事故内容
パンアメリカン航空側・PAA1736便
機材 | ボーイング747–121 |
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乗員 | 16名 |
乗客 | 380名 |
犠牲者数 | 335名 |
KLMオランダ航空・KLM4805便
機材 | ボーイング747-206B |
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乗員 | 14名 |
乗客 | 234名 |
犠牲者数 | 248名(全滅) |
事故当日のテネリフェ空港の状況
当日のカナリア諸島の航空事情は些か混迷を極めていた。何故なら、諸島の空港の1つであるラス・パルマスのグラン・カナリア空港で分離独立主義者(テロリスト)による爆弾テロとさらなる爆破予告があり、行き場を失った多数の航空機は、ただ近くにあっただけの小さな空港であるテネリフェ空港へ避難していた。この様に運行上想定外の出来事によって目的地と異なる場所へ降り立つことを、航空用語で「ダイバート」と呼ぶ。
暫くして騒ぎが虚報という報告が入りテネリフェ空港に待機していた旅客機達は通常運航へと戻すため次々と離陸していた。この時離陸した航空機は1時間に50機ともなったという。そのため余りの過密振りに管制塔側はたった1つの平行誘導路を駐機場代わりとして航空機を待機させ、離陸への移行には滑走路でタキシング(誘導路上を車輪で移動すること)しながら離陸開始位置に移動せねばならなかった。
離陸開始位置は滑走路端なので、これはつまり滑走路上を逆走することを意味する。かなり危なっかしい運用であるものの、巨大なジェット機が通れる通路をいくつも建設するのは多くの場所において負担であり、この様な運用は21世紀の現在でも大多数の空港で行われている。衝突という大惨事を避けるために、管制塔による的確な現状把握と指示が必要となることはいうまでもない。
元々テネリフェ空港はテイデ山という標高が高い火山麓にあるため空港自体の標高が633mあり、頻繁に雲に覆われる立地にあり、これを憂慮して島の南西に新しい空港を建造している最中であった。
さらには事故当時空港には地上用レーダーが備え付けられておらず、雲による濃霧の中での移動や離陸は管制への依存が大きかった。
霧の中の大惨事
「PAA1736便」ことパン・アメリカン航空1736便も緊急着陸した後に本来の空港に辿り着くべく「KLM4805便」ことKLMオランダ航空4805便の後に続いて離陸の順番を待っていた。乗客も本来の予定を超えて半日も機体の中へ押し込められ辟易していた。
管制の方も空港内に臨時で駐機していた飛行機の大群を迅速に捌こうと、KLM4805便やPAA1736便へ同じ無線周波数を用いて同時に指示を出して動かそうとしていた。丁度その時間帯にテネリフェ空港恒例の雲による視界不良が発生してしまったのである。
PAA1736便は管制指示に従い、滑走路を暫く移動した後に取付誘導路へ入って平行誘導路へ入り、さらに進んで滑走路端に待機しているKLM4805便後ろに付こうとタキシングをしていた。KLM側が滑走路端で方転を終えて離陸準備に入ったころ、PAA側は副操縦士がテネリフェ空港に不慣れなこともあって取付誘導路への方向転換に苦慮していた。
その時、KLM便がまだ滑走路にPAA便がいるも関わらず離陸を開始。PAA便側の機長がそれを視認し、「There he is! Look at him! Goddamn... that son of a bitch is coming!」と暴言雑じりに叫ぶ(『メーデー!航空機事故の真実と真相』では「何だあいつ? あのバカ来やがった!!」と和訳されている)。
PAA副操縦士も反応しほぼ同時に「Get off! Get off! Get off!」と緊急回避を進言した(『メーデー!』では「よけて!よけて!」「よけてよけて! 早く早く早く!!」と和訳された)。両機共にすぐさま回避行動を取るが、PAA側はエンジン出力全開で左に旋回しようとしたものの45度程度しか曲げられず、一方のKLM側もトラブルが発生しても離陸せねばならない「離陸決心速度」を既に超えていたため強引に機首上げ操作を行うが離陸出来ず滑走路にテールストライクする有様。
そして、KLM側が少し浮いた機体をPAA側の機体上部へ接触させる形で激突。PAA側は機体上部をゴッソリ持って行かれて大破・炎上し、KLM側も1度は空中へ浮かんだものの激突の衝撃で第2エンジン以外が脱落して全滅し、残った第2エンジンも破片を大量に吸い込んで損壊していたためすぐさま失速して地面に叩き付けられ爆発炎上した。結局、KLM側の乗員乗客248人は脱出出来ずに全員死亡、PAA側も乗員乗客396人中、運良く脱出出来た61人が生き残っただけであった。
この事故で叩き出した犠牲者583名という記録は、それまでのワースト記録であったトルコ航空DC-10パリ墜落事故の346名を大幅に更新してしまった(PAA側の犠牲者すら335名に上り、テロ攻撃を除く1機の犠牲者ではJAL123便やトルコ航空981便に次ぐワースト3位である)。
真相究明への道
巨大旅客機同士の衝突による大事故は世界へ衝撃を与え、原因究明が急かされることとなった。
まず、コックピット音声が録音される「ボイスレコーダー」を視聴してみると事故調査官は違和感を感じ始めた。管制官はスペイン人であったがPAA側はアメリカ人でKLM側はオランダ人であり、話す言葉こそ英語であったものの、ニュアンス違いで指示を出し、意思疎通するのに苦慮していたのである。
さらにはPAA側は管制指示に反して、指示された横道ではなく次の横道から誘導路に入ろうとしていたことが判明した。管制側より出された「3番目の出口で左折する」という指示は本来「C3出口」のことを指していたが、PAA側は「C4出口」と受取っていたのである。
空港の図面で調べたところ、C3から出るには148度とUターン並みに大きく曲がることとなり、次のC4で曲がった方が現実的であること、また指示を受けた際には既にC1出口を通過していたことから「現在位置から3つ目の出口」と解釈したことが要因であった。KLM側は検証によって当該機でC3出口より誘導路に出られることを示し、指示に従っていれば衝突は回避出来た可能性はあったと主張していたが、後に不可能と結論付けられている。
一方の先行KLM側とのやり取りにも不可解な点があった。状況確認やり取りに使われる管制用語ではなく、「OK(オーケー)」や「Roger(ラジャー・了解)」といった口語表現単独で曖昧な表現を使っていたのである。
さらには、PAA側が誘導移動中に管制側より離陸許可について問い合わせたところ、待機を指示されたにもかかわらず滑走を始めたことが明らかとなった。これも上記のニュアンスの問題で、管制側の指示の中に「離陸」という言葉があったためにKLM側が「離陸許可が出た」と勘違いし、さらにそれの返信がオランダ訛りの英語で、「これから離陸する」とも「離陸している」とも受取れる不明瞭なものであったせいで管制側がKLM側の動きを正確に把握出来なかったことが要因と見られている。
「OK…(暫く無言)離陸を待機せよ、後で呼ぶ」
「駄目だ、こちらはまだ滑走路上をタキシング中である!」
管制は聞き取り辛い返答に混乱し、暫く逡巡後待機命令を出し、そのやり取りに不安を覚えたPAAは警告を行った。しかし、管制の無言の間にPAAが割込んで通信を行ったせいで混信が発生(「ヘテロダイン現象」と呼ばれる。2つの振動波形が掛け合わされることで新たな周波数が生成され、ノイズ音となって発現することがある)し、ノイズが発生。管制の「離陸を待機せよ」から後の通信とPAA警告が丸々打消されて管制の「OK」だけがKLMに届くという最悪の事態が発生した。
これによりKLM側は離陸許可が出たと確信したと思われる。しかも管制・PAA共にこのノイズには気付かなかった。
しかし、その後のPAA側は管制に「まだ滑走路にいる」ことを告げており、周波数が同じならKLM側にも伝わっているはずであったが、KLM側のヤーコブ・フェルトハイゼン・ファン・ザンテン機長は副操縦士が管制とのやり取りで受けた管制承認(飛行経路の確認)を離陸許可が出たと勘違いし副操縦士が復唱し終える前にスロットルを推力上昇へ動かしてしまった。さらに機関士の「PAA側がまだ出ていないのでは?」という疑念を口にするも、「大丈夫だ!」とザンテン機長は一蹴。加速したKLM側がタキシングしていたPAA側に突っ込み未曽有の大惨事となった。
これらのことから
- 管制:管制用語から離れた言葉で、曖昧な指示を出していた
- PAA:不可解な指示と感じながらも確認を怠り、管制官に無断で本来指示された出口よりもKLM機に近い出口を使おうとした
- KLM:「離陸許可」が出たと誤認し、PAA機が滑走路上に存在することが予見出来たにもかかわらず、滑走を開始してしまった
と、それぞれが失態を犯しており、それらが積み重なった結果の悲劇であることが導き出された。
そうした事情を踏まえて、航空事故調査官からは「KLMクルー側、特にザンテンが最も責任が大きい」という調査結果が提出された。KLM側は当初は自分達の過失を認めようとしなかったが、最終的に折れて慰謝料を払うこととなった。
なお、一部では『管制官がサッカーの中継を聞きながら勤務しており、注意が散漫であった』ともされることがあるが、これはオランダ側の報告書のみ指摘されていて、米国側では指摘がないことに注意しよう。
なお、そもそもの事故の発端となったグラン・カナリア空港の爆弾テロを起こした分離独立主義者は、事故の責任について否定している。
ザンテン機長・KLM側の事情
※KLMクルーが全員死亡しているため、これらの内容はあくまで他証拠から導いた推測であり、確定情報ではない。
- ザンテン機長は後のクロスエア3597便墜落事故原因を作ってしまったルッツ機長とは異なり、長年KLMオランダ航空のエースとしてキャリアを積んで来たベテランであり、機内誌の広告に写真が載る程の人物であったが、事故近年は後進の育成のために月平均21時間しか飛んでおらず、このフライトの直近12週間は全く操縦桿を握っていなかった。長年教鞭を振るって授業で管制官の役割も兼任して来た結果、全飛行に関する権限が自分の手中にあると錯覚するトレーニング症候群に陥っていたという仮説もある。
- なまじ社内で伝説機長として君臨して来た結果、副操縦士や機関士といった部下達が現状に疑問符を抱いても彼の権威に委縮して強く意見出来ず抑止力にならなかった。
- ブラックボックスが発見され、コックピットボイスレコーダー記録からコックピット内のやり取りを解析したところ、ザンテン機長を始めとしたクルー達が時間を気にしている様子が窺えた。テロ騒ぎに巻き込まれたことでこれ以上遅れれば正規の勤務時間内にアムステルダムに着けなくなってしまい、もし勤務時間を超過して乗客を送り届けたら社内規則違反で免許を剥奪されてしまう。かといって勤務時間を遵守し便をキャンセルすると今度は乗客に準備するホテル代が嵩むというジレンマに陥っていたと考えられる。また、ホテルを用意するとしても、そもそもテネリフェ島は宿泊施設を用意することが困難な小島であり、散々待たせたPAA側を巻き添えにして離陸出来なくなるというのは気の毒だという焦りもあったと指摘されている。
- 上記の事情から、何とか規定時間内に辿り着くにはテネリフェでラス・パルマスとその後のアムステルダムまでの燃料を補給する必要があった。が、もし補給を行わず機体がもう少し軽ければ間一髪で事故が回避出来た可能性はあったし、もし事故が起きたとしても火災が少なくなった可能性もあった
- 色々言葉の壁があり、それが混雑と時間制限への焦燥があって管制とKLM側に曖昧な意味の言葉によるやり取りが交わされた。
ザンテン機長にも色々不幸はあった。
だが、それによるプレッシャーによる思い込みで離陸を強行した可能性が非常に高く、やはりヒューマン・エラーといわざるを得ないであろう。
そのため『メーデー!』ではファンから名前をもじった残念機長と呼ばれFND三大迷パイロットに選ばれるという不名誉を被ってしまった。
もっとも、これはあくまで事故の主原因となってしまったパイロットのうち、名前や話の流れがある程度ネタにしやすかったことでネームバリューがあったのも一因である。他2名であるルッツ機長、ボナン副操縦士にも同様のことがいえるが、彼等よりもっと酷く、尚かつシャレとならない大ポカをやらかしたためネタにしにくい(出来ない)クルーもいるので、彼らが最も問題のあるパイロット三傑という扱いでないことにも留意したい。
事故後の対応策
- 世界中の航空に関する組織に対しては、聞き間違いを防ぐために標準的な管制用語を使用し、共通の作業用語には英語を使うよう要請が成された。
- 機長の権威に基づく運用を見直し、コクピット内ではそれぞれが責任を伴う発言の権利を持ち、クルーの合意と役割分担による運用を心掛けるCRM(クルー・リソース・マネジメント)という概念を本格的に導入するように訓練されるようになった。
事故が起きたテネリフェ空港周辺はかねてより頻繁に霧が発生する地域であり、対策として島南部への新空港の建設が事故以前より進められていた。事故の翌年、新空港はテネリフェ・スール空港として開業し、テネリフェ・ノルテ空港(旧・テネリフェ空港)と共にテネリフェの空の玄関口として機能している。
その後
PAA1736便コックピットクルー3名はFAA功労賞及び航空安全財団賞を受賞。
その内副操縦士であったロバート・ブラッグはパンナム倒産に伴い。ユナイテッド航空に異動後も本事故啓蒙活動に奔走、2017年9月に79年の生涯を終えた。
2007年3月27日には犠牲者遺族や救助活動を行った地元住民の協力により国際慰霊祭が執り行われ、メサ・モタ山に国際慰霊碑「天国の階段」が建立された。
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