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KLMオランダ航空

けいえるえむおらんだこうくう

もともとはオランダの航空会社だったが、現在は事実上フランスの航空会社・エールフランスの一部門。
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概要

1919年10月に設立された。オランダ陸軍の航空部門(現在のオランダ空軍)の地上職を務めていたアルベルト・プレスマンの手によって設立されたが、オランダ政府と当時の女王の援助も受けていた。

元々オランダ(特にアムステルダムスキッポールエアーフィールド)をヨーロッパの空の乗り継ぎ地点でもあると考えて、そういう路線網を組んでいた一方、カリブ海のSSS諸島およびBES諸島や東インド諸島と言った、オランダの植民地への路線も開設していた。

初期には、同じオランダの航空機メーカーであるフォッカーの旅客機を多く採用していたが、後にアメリカダグラス社のDC-2DC-3を採用するようになった。だが第2次世界大戦でオランダそのものが激戦地になったことから、所有していた飛行機すべてを失ってしまった。

大戦終結後、プレスマンはアメリカに乗り込み、陸軍航空隊(現在のアメリカ空軍)からC-47輸送機の大量払い下げを受けることに成功、旅客機に改造した。さらにロッキード社やダグラス社からも旅客機を大量に買い付けている。それを元手に路線の復興(ただし東インド諸島に関しては独立戦争の絡みで見送られ、インドネシアとして独立後に改めて開設)を行い、1951年末までには、オーストラリア以外のすべての大陸にその翼を広げたのだった。なおその頃にはアメリカ空軍羽田エア・ベースに乗り入れ、日本進出も果たしている。ただ、その戦後復興の疲れが出てしまったのか、奇跡的な復活を見届ける格好で、創業者のプレスマンは1953年12月にこの世を去った。

その後はダグラスDC-8をアメリカ以外の航空会社以外ではいの一番に注文をするなどの積極性を見せる一方、ボーイング747に関してはパンナム日本航空などよりは導入を1年程度見送るなどの、「石橋叩いて渡るくらいなら、コンクリート橋に作り替えた方が早いじゃーん」と言った慎重性も持ち合わせた経営を行い、結果どんなときでもへこたれなかったことから、多くの航空会社から一目置かれていた。ただ、それが災いしたのか、1990年代以降経営難が続いていたエールフランスに目をつけられ、結果2004年、エールフランスに事実上吸収合併されてしまった。もっとも、エールフランスの関連会社という形で、ブランドと路線網は維持されてはいる。

現在のオランダ国王が、関連会社・KLMシティホッパーのフォッカー70の副操縦士を月2回程度務めていたことがある(外部リンク)。

日本との関わり合い

日本へは2016年1月時点でアムステルダムから、成田空港関西国際空港(関空)に乗り入れている。かつては名古屋空港(現在の愛知県営名古屋飛行場)や福岡空港、さらには新千歳空港にも乗り入れていた。特に名古屋と新千歳に関しては、新千歳経由名古屋線という、何ともユニークな路線構成で乗り入れていた。

フジテレビのバラエティ番組「オールスター家族対抗歌合戦」の商品提供会社として知られていたが、それ以外でも、TBSのアクションドラマ「ザ・ガードマン」のヨーロッパロケの協力、NET→テレビ朝日のバラエティ番組「象印スターものまね大合戦」の商品提供、フジテレビのアニメ「小公女セーラ」のロケハンスタッフの航空機運賃提供(故に該当作品のエンディングにテロップを出せた)も行っている。先述の、「オランダは、ヨーロッパの空の接続地点でもある」と言うポリシーを生かしたものでもある。ちなみに、搭乗地(成田か関空)にてKLM同士の乗り継ぎ便のチェックインも済ませ(スルーチェックイン)、スキッポールエアーフィールドでの乗り継ぎ待ち合わせが長くなってしまった場合、物見遊佐でのオランダ入国も可能だったりする。なかなかしっかりしている。

外部リンク

KLMオランダ航空 - Wikipedia
CNN.co.jp オランダ国王、KLM旅客機操縦の「副業」明かす

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