概要
ボーイング707と並ぶ、第一世代ジェット旅客機を代表する機体。
日本ではJALがフラッグシップ機として運用したことで知られている。
ボーイングの707、デ・ハビランドのコメット、ビッカースのVC-10と共に「これからは旅客機もジェットの時代」という印象を決定づけた機体である。
歴史
DC-6やDC-7の後継機として企画された機体。
開発開始時点では80人乗り程度の中型機として開発されていたが、後に707と同じサイズに拡大された。
ローンチカスタマーはパンアメリカン航空となった。
先行する707に対しての遅れを取り戻すため、試作機は作らずいきなり量産機を作る(クック・クレイギー・プラン)というとんでもない手法が取られた。
発売開始の時点では期待した通りの性能が出ずに販売で苦労したが、それらも徐々に改良され、また胴体延長型が出たりすると次第に売れ行きが伸びていき、707と共に世界の航空路線のジェット化に貢献した。
しかしエンジンが旧式でしかも燃費の悪いやつ(ターボジェットのJT3C、或いは低バイパス比エンジンのJT3D)だったり、騒音規制も厳しくなったなどの理由で次第に後継機に道を譲っていった。
現在ではエンジンをCFM56に換装された機体がNASAなどで使われている。(ちなみにCFM56が初めて「実戦投入」されたのは、何を隠そうDC-8のエンジン交換である)
その流麗なスタイルから「貴婦人」という愛称で呼ばれ、今なおファンの多い機体でもある。
機体
機体は170~200人程度の収容力を持つナローボディ。
今では「小型機」の部類に入るが、当時としては相当な大型機の部類であった(プロペラ機なんて50人とか70人とかそんなのがザラだし…)。胴体を延長した-63型に至っては、登場当時世界最大の旅客機となっていた。
エンジンはターボジェットのJT3C、または低バイパス比ターボファンエンジンのJT3Dを4発搭載する。現在では高バイパス比エンジンのCFM56に換装された機体も存在する。
DC-8の面白い機能として、「とりあえずどれでもいいからエンジンを1つ始動させれば、後は残りの3つも稼働しているエンジンからの圧縮空気の供給を受けてドミノ倒し式に始動できる」という機能がある。
APU(補助動力装置。駐機中の電源を賄うための発電機)は搭載しておらず(一部では「搭載はしているが容量が小さい」との話もある)、駐機中は地上の電源車などから電力供給を受ける(GPU方式)。ちなみにGPU方式は騒音が小さくて済むなどの理由で、見直されてきている方式だったりする。
与圧用の空気はエンジン内の圧縮空気を一部取り入れるボーイングとは違い、機首に設けたインテークから吸入した空気を用いる。これは万が一エンジンが故障した際に機内に煙などが紛れ込むのを防ぐためである。
また、コメットの空中分解事故のトラウマから、過剰とも言えるフェイルセーフ(何かトラブルが起きても「安全な方に」行くようにする設計)機構が搭載された。
主翼は独自研究の結果に生まれたスーパークリティカル翼を採用。これは今の飛行機にも用いられる偉大な構造である。
日本では
日本ではJALが1960年8月から1987年12月まで運航していた。
1960年代はそれこそJALの旗艦として活躍、1970年代以降はボーイング747を補佐する役割を担い続け、国際線・国内線両方で活躍した。
JALにとって本機に対する力の入れようは並々ならぬものであったらしく、わざわざDC-8の導入に合わせてCAの制服までも一新したほど。
そのうえ内装も特注品となり、ダグラス社を以ってして「たった4機でそこまでやるか…」と言わせたとかなんとか。ただしJALはそれ以前にもDC-7で似たようなことをしているが。
さらに引退時にも特集の映像作品が制作されているあたり、相当な思い入れがあったものと推測される。
ANAでいうボーイング727のような存在、と言えるかもしれない。
また、台湾路線維持(再開)のために設立された関連会社・日本アジア航空でも使用されている。
1960年代に活躍したJ-POPバンドであるザ・スパイダースのナンバーに、ズバリ「夢のDC8」なるものがあったりする。
また、KLMオランダ航空、スカンジナビア航空、スイスエア、タイ国際航空、フィリピン航空、ガルーダ・インドネシア航空が日本(主に東京線)乗り入れに使用した。
関連イラスト
関連タグ
ボーイング707 - 同期と書いてライバルと読む。
DC-9 - 機体の基本設計などは本機のものが流用された。
A340 - そのスタイルから「現代版DC-8」と呼ばれる事がある。