概要
リアエンジン4発にT字尾翼という独特の外観の機体である。
この形状はいつものイギリス的発想だから仕方がないというわけではなく、当時のBOAC(英国海外航空。ブリティッシュ・エアウェイズの前身の一つ)の路線の中には、空気の薄い高地や高温地域(=どちらもエンジンのパワーが出ない)があったり、或いは空港の整備が進んでいないために強力なSTOL(短距離離着陸)性能が必要になったという理由から来ている。
4発エンジンは長距離運航に於いて安全性が高まるし、高温地域や高地と言った(飛行機にとって)劣悪な環境でも離陸時のパワーを確保できる。
さらにエンジンを主翼ではなく胴体に取り付けたために主翼がクリーンとなり、強力な高揚力装置を主翼に取り付けることを可能としSTOL性の向上にも寄与している。
(ちなみにほぼ似たような考え方&目的の機体としては、ボーイング727がある)
もっとも、この「リアエンジン4発」という配置が後々厄介なことになってくるのだが…。
歴史
航空機とジェットエンジンの分野では、英国系メーカーは、ジェットエンジンに於いてはロールス・ロイスやブリストル、アームストロング・シドレーなどのがシェアの多くを握り、また航空機に於いても世界初のジェット旅客機デ・ハビランドDH.106「コメット」を就航させるなど世界をリードしていた。
しかし、機体からエンジン(ゴースト50)まで全てデ・ハビランドで賄ったコメットは、空中分解事故が相次いだために飛行停止になり、その最中に新大陸のボーイングがボーイング707を発表。
「これからは旅客機もジェットの時代だ」という印象を決定づけると共に、「飛行機=イギリス」の図式をあっさりと覆してしまった。
なんとか巻き返しを図ろうとするも、機体設計を抜本的に見直し、エンジンもロールス・ロイス・エイヴォンを搭載した「切り札」であるコメットMk.3は、事故の影響に加えエイヴォンの開発が大きく遅れた事が響き、生産・就航に手間取った。
やむを得ずBOACはB707を発注するに至る。もちろんただでは買うつもりはない。エンジンは当時最新鋭のターボファンエンジン、ロールス・ロイスのコンウェイに換装されていた。
…しかしこのB707、いろいろ調べてみると結構な面で悩みどころが多かった。
まずは滑走距離の長さ。
B707は、滑走路がジェット機用に整備されている、先進国の空港間を結ぶことを前提とした、いわば「オンロード仕様」の機体であったのだ。
一方のBOACは、かつて世界中に植民地を持っていた大英帝国の名残で、それほど整備が進んでいない空港への路線も多数抱えている。
どういうことかというと「滑走路が短すぎてB707では危なっかしい、或いは離着陸自体ができない空港」へも幾つか就航していた。
そしてパワー不足。
先述の通りの経緯で、BOACは空気の薄い高地や、或いは高温地域と言ったエンジンのパワーが出ない地域にある空港へも幾つか就航している。B707はゴースト50やエイヴォンと同じターボジェットエンジンのプラット・アンド・ホイットニーJT3Cを使っていたが、パワー不足となることがあった。
よーく調べてみると、特に旧植民地への路線に於いては色々と不都合が目立つ。
一方で(機体規模から来た相対的なものとはいえ)B707/JT3Cよりもパワーのあるコメット/ゴースト50は飛行停止中で使えない。コメットMk.3/エイヴォンは出遅れている。
さてどうすればいい。
ならば自分たちで使い勝手のいい旅客機を作ってしまえばいいだけだ。
そういうことになり、「悪条件でも安定して離着陸ができるジェット旅客機を何とか作れないものか」とヴィッカーズに打診。
そうして完成したのが本機である。
エンジンは主翼ではなく胴体後方に4発配置。しかもB707と同じロールス・ロイス・コンウェイを搭載し強大な推力を発生させる。
エンジンを搭載しない主翼には強力な高揚力装置を取り付け、短い滑走路での離着陸を可能とした。
ダメ押しで当時の米国機には採用すらされていなかった自動操縦装置まで搭載。悪天候でも安全な離着陸を可能とした。
奇妙な見た目は決してひねくれた設計ではなく、「必要に迫られてこうなった」というものである。
しかし全てが遅きに失した。
VC-10のデビューは1960年代となったが、その頃にはすでにライバル達が就航していた。
さらにVC-10の独特のスタイルも後々に響いた。
リアエンジン4発はメンテナンス性に問題がある(リアエンジン旅客機の成功は、エイヴォンを2発搭載し、コメットの機体やアビオニクスを流用したフランスのシュド・カラベルまで無かった)。さらに低騒音・低燃費の高バイパス比ターボファンエンジンへの換装ができないという致命的な問題までも発覚。
このため受注数は伸びず、胴体延長型のスーパーVC-10と合わせても製造数は合計64機で終わった。
それでも軍用タイプ(輸送機、空中給油機)は2013年まで長く使用されている。
日本との関係
生産数の少ないVC-10だったが、かつてBOACが日本への定期便として使用していた機体であり、またイギリス王室専用機としても使用されていたため日本では結構馴染み深い機体でもある。
Il-62
実はこのVC-10、ロシア(旧ソ連)に「腹違いの兄弟」がいるのをご存知だろうか。
Il-62は旧ソ連の産業スパイがヴィッカーズからVC-10の設計図を持ち出し、その設計図を元に開発した機体と言われており、4発リアエンジンやT字尾翼などはVC-10に酷似している(実際、本記事の作成者の手元にある飛行機の図鑑でも同機に関して「VC-10によく似た機体」と書かれている)。
とまあ、生誕に関して多少黒い噂のあるIl-62だが…
「元ネタ」のVC-10の特性も含めて、実はロシア(ソ連)の地理的事情に非常にマッチした機体だったりした。
ロシア(ソ連)の飛行場といやあ、ユーラシア大陸の1/3強を占め、北は北極圏から南は乾燥地帯まで様々な地理・気候を網羅するだけあり、正直言って1960年代当時はあまり整備が進んでいない(今は分からないが)ものばかりだった。
「平地を地ならししただけ」みたいな滑走路は当たり前、滑走路のメンテナンスもろくに行われていなかったりするわ、挙句の果てに誘導装置もまともに整備されていなかったりするなんてのもよくある話だったそうな…それでも、雪解け期のシベリアの、泥沼状態の飛行場に比べるとまだマシだったりするが。
(ちなみにソ連時代のロシアやウクライナ製の旅客機の機首に、爆撃機よろしくガラス張りになっている機体が多いのは、誘導装置のまともに整備されていない空港に着陸する際に機首部分に設けたナビ席にナビゲーターを搭乗させ、そいつにナビをさせるという脳筋、もとい世代遅れでも確実なやり方をするためである。つまりあのガラス張り部分はナビ席である)
そんな飛行場だらけのソ連に、「強力なSTOL性能」「劣悪環境でも安定して離着陸できる性能」なIl-62(と、その"元ネタ"のVC-10)がうってつけだったのは言うまでもない。
「共産圏の空の足」として210機以上が製造され、数を減らしているとはいえ今でも活躍している(まあ後継機のIl-86がエンジンの開発不調でアレ過ぎたという理由もあるが…)。
関連イラスト
腹違いの兄弟、Il-62。