概要
ダグラス社が開発した短距離用のジェット旅客機で、ボーイング737の初期のライバル。性能もキャパシティも737とほぼ互角。
日本では東亜国内航空(後の日本エアシステム)が運航していた事で知られる。
開発
初のジェット旅客機DC-8を成功させたダグラス社は国内線向けの短距離ジェット旅客機を開発することにした。ライバルのボーイング727や737に対抗するため、DC-8の技術も流用しつつ短期間で開発し、1965年に就航した。
胴体はDC-8のものをほぼ流用しつつ、胴体後部にエンジンを装備したリアエンジン方式を採用。これによりフラップの大型化(=離着陸性能の向上)と降着装置の短縮(=地面とのクリアランス短縮)が可能になり、滑走路が短く大掛かりな設備もない小規模空港でも運航できるように配慮されていた。このコンセプトは727と共通するが、90席クラスの小型機とした事でパイロット2名のみで操縦可能で人件費も抑えられる(当時は機体規模が一定を超えると航空機関士が必要になる決まりになっていた)。そこから737に対抗する形で胴体を延長し100席クラス以上のバリエーションを生み出していった。
生産数は976機、その後の改良型を含めると2,400機以上と世界的ベストセラー機になったDC-9であったが、ただでさえDC-8の開発に多額の資金をつぎ込んだ状況であまりに売れすぎたためにダグラス社は資金不足に陥って生産が追い付かなくなってしまい、マクドネル社との合併に繋がる事になる。
名前のバリエーションがめちゃくちゃ多い
まずは派生型を見てほしい。
DC-9-10
DC-9-15/20
DC-9-30
DC-9-40
DC-9-50
DC-9-80
MD-81
MD-82
MD-83
MD-87
MD-88
MD-90
MD-95→ボーイング717
…なんと名前が2回も変わっている。
最初の変更は、DC-9シリーズの生産中にダグラス社がマクドネル社と合併してマクドネル・ダグラス社となったためで、1983年からMD-○○という表記となった。この時生産されていたのはDC-9-80であり、DC-9-80はMD-81へと名前が変わった。以後、MD-80シリーズの名称となる。
また、DC-9は基本的に最後の数字が大きいほど胴体が長くなるのだが、MD-80シリーズの場合は、MD-87以外は全長・全幅が全く同じなため、区別がつきにくい(エンジンやコクピット、航続距離の違いはある)。
このMD-80シリーズは、727と同クラスにまで胴体が延長されており、双発故の低騒音・低燃費とパイロット2名のみで操縦できるという強みを武器に、3発かつ航空機関士が必要な727を圧倒、生産終了まで追い込んだ。
しかしこれが、DC-9シリーズ最後の黄金時代となった。
MD-90は、低燃費のエンジンとグラスコックピットの採用で大幅に近代化されたものの、元より胴体が細い上にリアエンジン方式が仇となって重心を大きくずらさずに胴体を伸ばす限界に達していた事からエアバスのA320シリーズや737NGに圧倒され、以前ほどの人気を得る事はできなかった。
きわめつけは、最後の最後にMD-95がボーイング717へと名前が変わっているところ。
MD-90の短胴型であったMD-95の設計がほぼ終わったばかりの1997年、マクドネル・ダグラス社はボーイング社に吸収合併された。
ボーイング社はマクドネル・ダグラス社の旅客機を全て生産中止にし、MD-95も開発中止にする方針でいたが、MD-95を発注していたエアトランから猛反発された事、改良で航続距離が伸びた737よりも短距離向けで差別化が可能だった事で、旧マクドネル・ダグラス社の旅客機で唯一生産が続けられることとなった。
その際、それまでのボーイングの旅客機と同じくボーイング7X7という表記にすることになり、たまたま番号の空いていて、かつ100席クラスであることを示しやすい717が割り当てられることになった。
717が生産終了したのは2006年。生産数は決して多くなかったが、マクドネル・ダグラス社最後の旅客機は、その血筋を21世紀に残すことができたのである。