概要
垂直尾翼を貫く第2エンジンのダクトが特徴的な3発機である。その独特なスタイルから現在でもファンが多い。ライバルは同じ3発機であるロッキードL-1011トライスター。
座席数は270~300席のワイドボディ機で、できるだけ新技術を使わない堅実な手法で設計・製造された。当初はアメリカ国内の中距離路線をターゲットにしていたが、やがてボーイング747ほどのキャパシティがいらない長距離路線にも投入されるようになった。
総生産機数は446機。
種類
DC-10-10
基本的なタイプ。アメリカン航空などが導入。
-30、-30ER
長距離路線向けの機体。日本では日本エアシステムが導入。-30ERはさらに航続距離を伸ばした機体で、スイスエア、フィンエアーなどが導入。スイスエアとフィンエアで若干仕様の違いがある。
-40、40D
エンジンがプラット・アンド・ホイットニー社のJT-9Dである。ノースウエスト航空と日本航空が導入。
-15
高地向けの機体。アエロメヒコなどが導入。
KC-10
米軍向けの、空中空輸機仕様の機体。
ボーイングMD-10
コックピットをMD-11と同様に近代化したもの。
その他
・センターギヤのある機体とない機体の両方が存在する。
・すでに旅客輸送からは引退している。ラストフライトはビーマン航空。貨物機としては第一線で活躍中。
設計ミスによる重大事故
日本の世間では「ロッキード事件」によってトライスターが悪者扱いされてしまいがちだが、航空機や旅客機を知る人々からはトライスターよりも、むしろDC-10の方がかなり悪名高い存在と見做される事が多い。
その原因は、DC-10が設計ミスによる重大事故で350人近くの死者を出しているためである。
貨物ドアによる2つの事故
1972年、アメリカン航空に納品されたばかりのDC-10がアメリカン航空96便として運航されていた時、離陸上昇中に貨物ドアが機内と機外の圧力差に耐えきれずに脱落した。幸い、この時は操縦系統がまだ機能していたため、機長の神業とも言える操縦により(落下した棺桶を除き)乗員乗客全員が生還した。
その後の事故調査により、DC-10の貨物ドアには設計上の欠陥があったことが判明し、国家運輸安全委員会(NTSB)は改善を要求した。
しかし、製造会社であったマクドネル・ダグラスは、要は「ロッキードのトライスターにだけは負けたくない!」とライバルを蹴落とすことに意固地となり、貨物ドアの設計ミスを認めようとせず、抜本的な解決を怠ったまま機体を作り続けた。
その結果、1974年に346人が死亡する大惨事に発展した。
トルコ航空はパリからロンドンへ向かうDC-10を981便として運航していたが、前述の96便と同様に機体が離陸上昇中に貨物ドアが脱落した。しかし、その後の展開は96便とは全く異なった。981便はほぼ満席だったために、貨物ドアが脱落した時に乗客の数人が機外へ座席ごと投げ出され、この時に操縦系統が破壊された。さらに、脱落した貨物ドアが尾翼に激突したことで機首が下がった。操縦系統を失ったパイロットたちにはなすすべもなく、そのまま981便はパリ郊外の森に墜落した。
この事故はDC-10のみならず、製造会社であるマクドネル・ダグラスの信用を大きく失墜させ、後にマクドネル・ダグラスがボーイングに吸収される遠因を作った。
また、マクドネル・ダグラスの民間機部門の発言力低下にも繋がっている。というのも、元々マクドネル・ダグラスは第二次世界大戦後にジェット戦闘機を次々と送り出して有力メーカーにのし上がった旧マクドネル社と、旅客機などで名を馳せた名門である旧ダグラス社が合併して誕生したのだが、実態は経営不振に陥っていたダグラス社を旧マクドネル社が救済したものであった。従って、マクドネル・ダグラスにおける本流は旧マクドネル社を前身とする軍用機部門であり、元々旧ダグラス社を前身とする民間機部門は発言力が低かったのである。
そんなただでさえ低い発言力がこれらの事故によって更に低下してしまった結果、マクドネル・ダグラスは民間機部門にリソースを割かなくなってしまう。以後、マクドネル・ダグラスは1997年のボーイングへの吸収まで民間機部門において完全な新型機を出さず、そのほとんどがDC-10及び旧ダグラス社時代に開発されたDC-9の改良型であるMD-80シリーズという状態となった。
なお、981便として運航されていたDC-10は、元々は全日本空輸に納入されるはずだった機体であったが、それがキャンセルとなり破格で販売されていたのをトルコ航空が購入したものである。
この件に関して、「ロッキード事件による汚職が日本での事故回避に繋がった」と皮肉めいて語られることもあるが、実際にはロッキードによる贈賄前、全日空はアメリカン航空96便のインシデント等で同機への不信感を既に強めていたこともあり、L-1011採用へと方針転換していた。危機管理の重要性を認識させられる事例と言えよう。
手抜き整備で…
トルコ航空の事故から5年後には、アメリカン航空191便が整備不良によるエンジンの脱落で離陸に失敗し墜落炎上、乗員、乗客271人全員が死亡する大惨事も引き起こしている。
事故当初は機体の欠陥が疑われた(前述の貨物ドア欠陥という「前科」があったことも影響している)ためDC-10の耐空証明が一時停止され、アメリカでDC-10が運行禁止、権限の及ばない外国のものも領空内飛行禁止と、「米国内を飛んでいるDC-10がなくなる」ように徹底される事態が発生した。
一応エンジン脱落は時間短縮のために決められた手順に従ってエンジンだけを降ろすのではなく、外しやすい支柱ごと下ろしていたうえ、その脱着に細かい操作ができないフォークリフトを使用していたことによる強打と亀裂が原因の慢性的ヒューマンエラーであった(なお、この手抜き手順は他の航空会社にも広く蔓延しており、運行禁止になった同機を調べたところほぼ全てに同じ亀裂が発生しており、いつ同じ様な脱落事故が起きても不思議ではない状態であった)ものの、その後の失速、墜落は「左翼にシステム回路が偏重していたのでエンジンが纏めて持っていってしまった(これでフライトレコーダーも死んだ)」「その際左翼に不調が発生し速度が出せなくなった」という設計上の欠陥であった。
ここまでならシミュレーション上立て直せるはずなのだが、その上で「やはり回路が左翼にあってシステムと一緒に死んでしまった失速警報が発動しなかった」事で、片翼が失速していることに気が付かず、上昇ばかりしようとしてしまったのが着弾の原因であった。(この時の様子が有名な、「90度横に回転した状態で真っ直ぐ飛ぶエンジンが一つない墜落寸前の191便」の写真である)
要は「主因こそ無罪だが、"ヤバいとはいえ蜻蛉返りで事なきを得られた"事故を"全員死亡の大惨事"にまで発展させたのは構造的欠陥」であったのである。
その他
また、1989年にはユナイテッド航空232便で、搭乗者296人の内112人が死亡する惨事がアイオワ州で起きる。尾翼を貫通するように設置されていた第2エンジンが突然故障しただけでなく、このエンジンの破片が機体の油圧を三系統とも全て破壊していき、機体は事実上の操縦不能に陥った。それでもコックピットにいたクルー3人と偶然乗り合わせていた訓練教官の4人は左右のエンジン推力を調整するなど奮闘し、機体を最寄りの空港の滑走路にまで降ろせた。この事故で184人が生還出来たのは、日本航空123便墜落事故の出来事が活きたからだと言われている。
これに加えて、1996年には日本で(現時点で)最後の旅客死亡事故である福岡空港ガルーダ航空機離陸事故を起こし、さらに2000年には整備不良のDC-10から脱落した部品がコンコルドを墜落させているなど、何かと事故に関する話題になる事から、航空事故関連の動画でも悪い意味でおなじみの機体となり、ニコニコ動画では「またDC-10か」「みんなだいすきDC-10」というタグが使われているほど。
とはいえ
事故発生率自体は同世代の旅客機とほぼ変わらず、運用期間全体としての事故率は低いとも評されている。
欠陥による事故の印象が強いだけで、改善後は安全な旅客機だったのである。
また、同世代の中では機体構造の頑丈さは突出しており、フェデックスで運用されていた機体がハイジャックされかけた際には元攻撃機のパイロットが行った140度背面飛行からマッハ0.8以上での急降下というとんでもない操縦に耐えてみせていた。
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