概要
DC-10の後継機として開発された。DC-10をベースに、胴体延長による収容力強化やグラスコックピットを導入するなどのハイテク化が図られている。また、燃費向上を目的とし、ウイングレットを装備している。
販売不振
しかし、200機程度しか製造されず、散々な結果になった。
販売不振の要因となったのは、開発が遅れ、さらに性能も予定より低いものとなってしまい前評判が悪くなった事。
何より、双発機の長距離洋上飛行が技術的にも規則としても可能になったことである。ボーイング767やエアバスA300が長距離洋上飛行OKになったときには、「あいつはMD-11より小さいからまだ大丈夫だよ」と高を括っていたがボーイング777も長距離洋上飛行OKになり、さらにエアバスからもより経済性の高いA330やより航続距離が長いA340が台頭して一気に競争力が低下。
予定通りの性能を目指して改良は続けられた(燃料タンクの容量増強から第二エンジンのダクト形状の変更、フラップトラックのフェアリング形状変更といった大規模なものから、ワイパー停止時の向き変更まで多岐に渡ったという)が、それも焼け石に水であり、運行していた会社は早々に777などの双発機へと置き換えてしまった。
1997年にボーイング社がマクドネル・ダグラス社を買収した後は、「貨物機としてならまだ行けるんじゃね?」とは考えられたものの、777や767のほうが圧倒的に優れていることは明らかな上バックオーダーも少なかったのであっさり注文受付を取りやめ、2000年に生産終了となった。
操縦の難しい飛行機
空気抵抗を減らすためにDC-10よりも重心を後ろにずらし、水平尾翼を小型化した。しかしこれが安定性の悪化をまねき、非常に揺れやすく、かつ操縦の難しい機体となった。実際、この設計は本来戦闘機などの運動能力向上機に用いるべき手法であり、旅客機には不向きなものだったと評されている。
安定性の悪さは自動操縦装置などの各操縦補助システムがフォローしていたが、システムが外れるとパイロットでは修正が困難になることが多かった。安定性が重要な旅客機にとってこの問題は致命的であり、実際にJALでも1997年に三重県上空でシステムが外れたことに加え機体特性と条件が合致したことによって乱降下が発生し、乗務員1名が死亡、乗客複数名が負傷する事故が発生している。
また着陸時に他の旅客機と比べて速いスピードをとらなければならかった。これに安定性の悪さが加わり、着陸時の事故が多かった。同じ時期に開発された旅客機と比べて事故率が非常に高く成田空港で開港以来初の死亡事故を起こしたのもMD-11である。
しかし、このような操縦性の悪い機種でも、フィンエアーやKLMオランダ航空、エバー航空、UPSなど無事故で飛ばし続けていた航空会社も存在する。
最後の3発機
エンジンを3発搭載する旅客機はMD-11以降開発されていない。これは、上述したように777などの大型双発旅客機が長距離飛行が可能となったために、燃費の悪い3発機の需要は大きく減ったためである。
日本ではJALが1993年に国際線用に10機導入。社内ボランティアの提案で機体全体としては「J-Bird(ジェイバード)」の愛称がつけられ、各機には日本の貴重な野鳥の名称が付けられた。
しかし、同じ時期に当時は国内線用として導入された777に役目を奪われた上、マクドネル・ダグラス社を吸収したボーイング社が有利な下取り条件を提示したことから、2004年、2号機「タンチョウ(JA8582、JALのMD-11では唯一のサンアーク塗装機)」の引退をもって、わずか10年ですべて退役。DC-10の後継機として導入されたにもかかわらずDC-10よりも先に退役する事態となった。かつてJALが導入したコンベア880以来の短命機となった。
貨物機としてはがんばってます!
ここまでマイナスイメージばかり述べてきたが、この飛行機はあくまで同世代の旅客機と比較して欠点が目立つということであり、旅客機全体でとびぬけて欠陥機というわけではない。実際に、旅客機としてはあまり成功しなかったが、貨物型のMD-11は結構人気なのだ。重量のある貨物を運ぶには3発機のパワフルさは頼もしく、旅客型がすべて退役した今も、貨物型あるいは旅客型を貨物型に改修したものが世界各地を飛び回っている。JALの退役機もその中に含まれている。