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ユナイテッド航空232便不時着事故

あいおわのきせき

ユナイテッド航空232便不時着事故とは、飛行中に油圧を喪失し操縦不能になり、スー・ゲートウェイ空港に緊急着陸を試みたものの結果的に不時着、大破炎上した航空事故である。112人が犠牲になったものの、日本航空123便墜落事故の教訓が生かされた例となった。また、“アイオワの奇跡”と呼ばれることもある
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事故概要

発生日時1989年7月19日
発生場所アイオワ州 スーシティ スー・ゲートウェイ空港
機材DC-10-10
乗員11名(うちコクピットクルー3名)
乗客285名
犠牲者112名※

※救助された乗客のうち1名は事故後31日で亡くなった。この乗客は、アメリカ連邦規則集の基準上は負傷者に分類されたが、ここでは死亡者に含める。


搭乗員

・機長(CAP):アルフレッド・C・ヘインズ

・副操縦士(COP):ウィリアム・R・レコーズ

・航空機関士(F/E):ダドリー・J・ドヴォラーク

・デットヘッド:デニス・E・フィッチ(DC-10の機長資格と教官資格を保有。以下TCA)


事故の経緯

事故発生

ユナイテッド航空232便(以下UAL232便)はアメリカの国内定期旅客便で、出発地はコロラド州デンバーのステープルトン国際空港、イリノイ州シカゴのシカゴ・オヘア国際空港を経由し、ペンシルベニア州フィラデルフィアのフィラデルフィア国際空港へ向かう路線だった。1989年7月19日の便には、乗客285人、乗員11人が搭乗していた。客室のファーストクラス座席にはデットヘッド(非番)としてデニス・E・フィッチが搭乗していた。ステープルトンを離陸してからおよそ1時間後、大きな爆発音が発生し機体が激しく振動し始めた。航空機関士は尾翼を通して設置してある第2エンジンで異常が発生したと報告。チェックリストに基づきエンジン停止を試みるもスロットルレバーは反応せず、燃料レバーも効果はなかった。そこで航空機関士は防火バルブを閉じることを提案。これでようやく第2エンジンは停止した。さらにチェックリストを続ける中で、航空機関士は機体の3系統あるすべての油圧系統の圧力計と油量計がいずれもゼロを指していることに気づいた。つまり油圧を全て喪失してたのである。機体は右旋回で降下しつつあり、完全にパイロットの操縦を受け付けなくなっていた。そこで機長は左翼にある第1エンジンの推力を減らし、機体は左右の水平を取り戻し始めた。その後、ラムウェアタービン(電力を喪失した際に展開される非常用風力発電機)を手動で展開して予備の油圧ポンプを作動させるも、こちらも効果はなかった。乗員はミネアポリスの航空路交通管制センターに無線連絡し、緊急事態を宣言。もっとも近い飛行場への進路誘導を要請した。管制官は最初、アイオワの州都デイモンにあるデイモン国際空港への着陸を提案するが、UAL232便の飛行方向が変わったためスーゲートウェイ空港への誘導を開始した。


TCA機長の登場

客室では状況説明がなされ、緊急着陸に備えるように通知された。TCA機長ことデニス・E・フィッチはパイロットを信頼していたため当初は協力を遠慮していたものの、エンジン1基停止時の飛行手順と異なる飛行状況だったことや、客室乗務員から深刻な状況であることを聞き、手助けを申し出た。客室乗務員はこのことをコクピットに伝えると、機長はただちにコックピットに招くよう指示をした。このとき、機長と副操縦士は精一杯の力で操縦桿を左に切っていたが、機体は右旋回をしていた。まず機長はTCA機長に対して制御手段がないことを伝え、客室の窓から外部の損傷がないか、そして操縦翼面が操作に反応しているか確認するようTCA機長に依頼した。確認の結果、損傷は見られなかったが内側エルロンが僅かに上向きに固定され、スポイラーが下げ位置でロックされているを報告した。TCA機長はスロットル操作を担当し、これにより機長と副操縦士が他の操作や管制塔との通信などに専念できるようになった。

緊急着陸

こうしてエンジン制御のみでなんとか機体をスーゲートウェイ空港まで持って行くことができたがフラップが使用できないため着陸侵入速度は高く侵入角も異常なほど浅かった。そして運の悪いことに着陸直前に大きな横風が機体を襲った

着陸時のコクピットの様子

CAP「左旋回、左旋回!スロットルを絞るんだ」

COP「推力を全部絞って!」

CAP「左旋回!」

COP「スロットルレバーを全部引き戻して」

TCA「ダメだ、スロットルを絞れない。制御不能になる」

CAP「OK」

TCA「機長、戻って」

CAP「左推力、左、左、左、左、左、左!」

GPWS「Whoop Whoop Pull up!(ウーウー、上昇しろ)×4」

CAP「全員衝撃に備えろ!!」

CAP「神よ!」(ボイスレコーダー最後の肉声)


原文

CAP: "Left turn, close 'em off."

COP: "Pull 'em all off."

TCA: "Nah, I can't pull 'em off or we'll lose it, that's what's turning ya."

CAP: "Okay."

TCA: "Back, Al!"

CAP: "Left, left throttle, left, left, left, left, left, left, left, left, left, left, left!"

GPWS: "Whoop whoop pull up. ×4

CAP: "Everybody stay in brace!"

CAP: "God!"


パイロットの努力も虚しく、機体は着陸に失敗、大破炎上した。しかし待機していた救助隊の懸命な救助活動によって184人が生存、うち13人は無傷だった。コクピットクルーは4人共に重傷を負ったものの、後に全員が常務に復帰できるまで回復した。犠牲者は出てしまったものの、油圧系の喪失という絶体絶命の状況下にもかかわらず、半分以上の人間が無事だった点を見れば奇跡だったとも言える。


事故原因

しかし一体なぜ油圧をいきなり喪失したのか。調査官が残骸を調べたところファンカウリングとテイルコーンがなくなっており、垂直尾翼には3つの穴が空いていた。そこで尾部を復元、調査したところ、第2エンジンの第1段ファンディスクとその付近の回転軸は、飛行中に分離したことが分かった。ファンディスクが勢いよく破損したことによりエンジン回転部分の部品が強いエネルギーで飛散し、機体構造部分を貫通した結果、尾翼に集中していた3系統のうち第1、第3油圧系統の配管を食い破り、第2油圧系統はエンジン破損時に破壊された。つまり尾翼を通して設置されていた第2エンジンの破損が全ての油圧系統を破壊したため操縦不能に陥ったということだった

分離したファンディスクを回収した調査官は早速解析に取り掛かった。驚くことに回収された際にファンディスクは外輪部の約3分の1が分離していたのである。そこで冶金学者を呼んで金属の破断面を解析したところ、ここでも驚くべき結果が出た。金属疲労を起こしていたのである。ファンディスクは勢いよく回転するためかなり頑丈に作らなければならない。このため金属としては頑丈で軽量な鋳造チタン合金が使われるのだが、なぜ頑丈なチタンが金属疲労を起こしたのか。更なる分析の結果、ファンディスクに窒化物ハードアルファと呼ばれる不純物が紛れ込んでたのである。いくらわずかとはいえこれが混入していれば早期に金属疲労を起こしてしまう

ファン・ディスクの製造工程は、大きく3ステップに分けられる。まず、チタン合金の鋳塊製造、次に鍛造、そして最終機械加工である。ハードアルファは、チタン合金の鋳塊製造時に形成されたものだった。NTSBは、キャビティが存在した部分ももともとはハードアルファが占めていたと推定した。そして複数の可能性を調査検討したうえで、キャビティが発生したのは、最終機械加工から表面処理などのためのショットピーニング工程までの間のどこかだと判断した。

事故機は1971年の製造から事故までの約17年間、速度超過やバードストライクの記録はなく、機体やエンジンもユナイテッド航空や製造メーカー側の正規マニュアルに沿って定期点検を受けていた。にもかかわらずこの亀裂を見逃してしまったのはディスクの取り付け位置の関係上確認が極めてしにくかったことや、そもそも重要な箇所とは考えられていなかった為発見の機会が少なくなった可能性があったことが指摘された。


生かされた数々の教訓

296人のうち184人が生存できたことは、航空界を驚かせた。事故調査報告書では「安全な着陸は事実上不可能」と述べており、もっと多くの犠牲者が出てもおかしくない事故だった。実際にシミュレーターで事故の状況を再現、ベテランの搭乗員がこれに挑んだが安全な着陸はほぼ不可能と結論付けられた。何より功を成したのはクルー・リソース・マネジメント(CRM)が適切に機能していた点が特筆される。かつて、機長は機内の権威であり、いわゆる「偉い人」であると捉えられてきた。しかし同じユナイテッド航空のDC-8が1978年に燃料切れを起こして墜落したユナイテッド航空173便燃料切れ墜落事故で、事故原因は降着装置の不具合に固執した機長が燃料切れを危惧したクルーの警告を無視したことであったことを受けてCRMの訓練が徹底されることになった。232便のパイロットたちは問題への対処手順、考えられる解決法、取るべき方策を話し合っており、機長は時折ジョークを飛ばして場を和ませたり、TCA機長が協力を申し出たことに対し、機長は速やかにかつ積極的に、そして適切に受け入れたなど、臨機応変な対応を取った。シミュレーター試験の結果から、UAL232便のような状況を模した訓練は有効性がないという結論に至った。事故調査報告書は「あのような状況下でUALの乗員が示した能力は、高く称賛に値し、合理的に期待できる範囲をはるかに超える」と記している。

またTCA機長ことデニス・E・フィッチは4年前に起きた日本航空123便墜落事故を受けて、全油圧系統が喪失した時に備えフライトシミュレーターでエンジン出力の調整だけで機体を操縦する訓練を行っていた。偶然だったとはいえもしデニス機長が乗り合わせていなかった場合、232便は123便と同じ末路を辿った可能性だってあったのだ。この事故と123便の事故をきっかけにNASAでは操縦不能に陥った場合でもコンピュータによるエンジンコントロールで機体を制御し、着陸させる方法を開発し、日本の三菱重工でも同様の研究が行われている。


事故後の教訓

事故後、ファンディスクの製造工程において不純物の混入を防ぐため製造工程が根底から見直された。また旧工程で製造されたディスクを検査したところ新たに2基のファンディスクに亀裂が見つかり交換された

マクドネル・ダグラス社は、すべてのDC-10に対してすべての油圧系統に遮断バルブを追加し、油圧低下を検出した際にバルブを閉じるようにした。これにより、本事故と同様の事象が発生した場合に、最小限の油圧と飛行制御を確保できるようにした。


解説動画


関連タグ

航空事故

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アエロフロート3519便墜落事故…機種こそ違えどこちらもファンディスクの金属疲労によって起きた事故。クルー達の混乱もあって適切な対処ができず機体は墜落。111人中110人が死亡する大惨事となった。

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