大まかな概要
発生日時 | 1994年3月23日シベリア時間午前1時頃 |
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発生場所 | シベリア南部のど真ん中 |
機材 | エアバスA310-300(該当機材は92年初飛行・エールフランスからの移籍機材)→ |
乗員 | 12名 |
乗客 | 63名 |
犠牲者 | 75名(全滅) |
91年のソ連崩壊の後、ソ連の国営航空アエロフロートは無数の会社に分割され規模を縮小。一方でイメージ向上のためエアバスから最新鋭機を購入し、中長距離国際線に導入していた。
この593便も優秀なオートパイロットを搭載した新型エアバス機を使用した国際定期便の一つで、モスクワから香港(啓徳)への直行便であった。
しかし94年3月22日モスクワ発、翌日香港着の該当便は、シベリア上空で緊急事態の類を一切伝えないまま突如消息を絶ってしまう。
……そして翌日、シベリア南部の山岳地帯で機体の残骸が発見されたこと、そして生存者0という悲惨な結果が報告された。一方で、コクピットの残骸から通常は発見されないようなものが出てくる。
子供の遺体だった。
もっとも9.11以前の当時は、巡航飛行中の旅客機のコクピットを乗客がリクエストすれば立ち入り出来るようになっており、これだけでは墜落の原因とは成りえない。
…………しかし回収されたボイスレコーダーから、衝撃の事実が判明する。
親バカが招いた惨劇
事故便には、機長の2人の子供が乗っていた。そしてシベリア上空の巡航飛行中、デッドヘッドで搭乗していた同僚の誘いでコクピットを見学させてもらうことになるのだが、ここで機長は息子を自分の操縦席に座らせ、操縦桿を少しいじらせる。
オートパイロットで補正できると考えたようだが、ここで機長の息子は偶然オートパイロットを部分解除する操作を行ってしまう上に、警報音は鳴らず誰も気付いていない。
機体のバンク(横傾斜)は45度にまで達し、限界を迎えた機体で残ったオートパイロット機能がそれなりに抵抗するも最後は諦めたようでオートパイロットが完全解除され、失速。
機体はきりもみ状態で急降下し、強いGがかかったため機長は息子と席を交代することすら出来ずにいた。つまりこの間、操縦桿の片方はずっと機長の息子が握っていたのである。
Gが軽くなった隙を狙って機長は息子との席交代に何とか成功するも、既に手遅れ。
優秀なオートパイロットを搭載したエアバスの最新鋭機は目の前のシベリアの山岳地帯に、高速で突っ込むように墜落した……。
余談
原因が原因なためかメーデー!航空機事故の真実と真相のファンからは自動操縦をもじって児童操縦と比喩されている
あとがき
子供に操縦桿をさわらせたことはあくまで発端に過ぎず、墜落過程においてコクピットの人間達が混乱に陥ったのは大体エアバスのシステムのせいである。
パイロット達は誰一人としてこのオートパイロットを部分解除する"隠しコマンド"の存在を全く知らず、機長の息子の操作で自動操縦が部分解除されたとき誰一人としてこれに気付かなかった。……というかそもそもエアバス側がこの隠しコマンドの存在を公にしておらず、この事故が無くともいずれどこかでこの隠しコマンドに端を発する事故が起きていたことは間違いないであろう。
実際エアバス製航空機はこの事故の前後にもオートパイロットが原因で重大事故やインシデントをいくつか起こしており、(内最も多くの犠牲者を出したものは日本の空港で発生した)結果として1994年のエアバスは業績不振に陥っている。
しかしそれを差し引いてもパイロットが素人に操縦桿をさわらせ、あげくいじらせるという行為は到底擁護不可能な大失態であり、当然アエロフロートへの風当たりも強く、ソ連時代から事故が頻発していたこの会社の信用は再び失墜してしまった。
現在ではテロ対策のため、乗客が飛行中のコクピットに入ることは出来なくなっている。
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