概要
Аэрофлот〈Aeroflot〉
あえろふろーと
ロシア連邦の民間航空会社。
歴史
この航空会社はソ連時代から存続している。ソ連はその広大な国土から交通手段としての航空産業が必要であるとして、ボリシェヴィキは革命当初から航空産業育成に力を入れた。「ソ連邦航空産業省」が設立され多額の資金を投入したり、ネップの時代にはルフトハンザドイツ航空を招いて技術育成を委託するなど手段を択ばない並々ならぬ支援策の末、1923年にソ連邦航空産業省に所属する民間航空組織「ドブリョート」が設立。1930年には国内の地方航空会社を統合しソビエト連邦唯一の航空局(国営)となり、1932年「アエロフロート・ソ連航空」と改称した。
1956年のツポレフTu-104投入以降急速なジェット化が進み、これに比例する形でアエロフロートは規模を拡大していった。全盛期には保有航空機数は実に2000機に及び(現代のアメリカン航空でも700機がやっとであることを考えるとその規模のえげつなさが窺える)世界最大の航空会社と言われたこともある。冷戦時代からアメリカ路線を運行しており、民間レベルにおける両国の交流の象徴とされた。
一方でサービスを度外視したした低運賃と友好関係の象徴として採算度外視で開設された巨大な路線網から海外での認識は今でいう格安航空会社のような地位であった。しかしながら、当時ソ連領内を通ることのできる航空会社はアエロフロートのみであり、日本から欧州へ向かう最短ルートはアエロフロートによるソ連通過ルートであった(その他の空港会社は中東経由の南回りルートと、1957年にスカンジナビア航空が開設したアンカレッジ経由の北回りルート)。
ソ連崩壊後にロシアをはじめCIS諸国にアエロフロートから独立した多数の新会社(ベビー・フロート)が誕生。アエロフロート・ソ連航空自体は国際線専門の「アエロフロート・ロシア国際航空」に改組したが、その後はロシア国内の航空会社の再編により、フラッグ・キャリアとして、現在の「アエロフロート・ロシア航空」となっている。
今なお社章はソ連時代から続く鎌と槌をモチーフにしたものが使われているが、近年ではコーポレートアイデンティティ計画に基づきロシアの国旗をモチーフにしたリボンも多用している。
客室乗務員の制服は赤系のものと黒系のものの2種類がある。これもソ連時代から大まかな基調は不変である。(下の画像に2種類双方の制服が描かれている。日本では赤い方の制服のイメージが強い)
ここからわかる通り、大幅なイメージチェンジを進める一方で、かつてパンアメリカン航空や中国民航と並び立つ世界的航空会社としての伝統やブランドを今なお守り続けている。
かつてのサービスを度外視した低運賃で日本からヨーロッパ方面の格安旅行の定番エアラインという評判は、現在では機内サービス向上が見られる(とはいえ、現在もヨーロッパの航空会社では安い部類に入る)。
関連動画
機内安全ビデオ