曖昧さ回避
- かつて運航されていた旅客機(SST)。事実上唯一実用化された超音速旅客機である。pixivのコンコルドタグの大半がこれに関するイラストにつけられている。本稿で解説
- フランスのパリにある広場。
- 「娯楽惑星コンコルド」—静岡ローカルのパチンコ店。
概要
世界で2機種しかない(もう1機種はTu-144)超音速旅客機の一つで、史上最速の旅客機。1969年に初飛行し、1976年から2003年まで商業運航された。
アエロスパシアル(当初はシュド)とBACの英仏共同開発機で、後にアエロスパシアルが母体となったエアバス・インダストリーが保守を引き継いだ。巡航速度は2.0M、巡航高度は約60000ft(=18000m)。
歴史
1954年、初の超音速戦闘機であるF-100が登場し、戦闘機に超音速時代が到来した頃から超音速旅客機の実現は人類の夢となり、1960年代に入ると各地で生産が目指された。当時の航空業界を主導していたアメリカ合衆国ではパンナムやトランスワールド航空の主導により超音速旅客機の構想が立ち上げられた。この結果ボーイングによりB-2707が計画された。同機はコンコルドの2~3倍の収容数を誇り、実現寸前まで行った…のだが、オイルショックが原因となって計画は潰れ、アメリカは超音速旅客機開発を諦めてしまった。
そんな中、初の実用化に成功したのがこの機体である(運航自体はTu-144の方がわずかに早いが、短期間で運航を停止している)。現代の飛行機には標準装備されている「フライ・バイ・ワイヤ」が世界の旅客機では初めて搭載され(ただしアナログ式)、タンク間で燃料を移送しトリムを調整するシステムを備えるなど旅客航空機技術の最先端を行っていた。
しかし、1969年の初飛行後も開発は遅延を重ね、もはや採算が合わないことが判明していたにもかかわらず、当初予定の7倍に膨張した開発費をつぎ込んだ末、1976年にようやく定期運航にこぎつけた。
こうしてデビューしたコンコルドであるが、燃費が非常に悪く(1座席あたりの燃料消費量は当時の他の機体の3.5倍と言われ、近年の低燃費化した機種と比べるとさらに差は開く)運航コストが高くつき、オイルショック後の時流にはそぐわないものになった。加えて超音速飛行に伴う衝撃波、いわゆるソニックブームなどの環境問題も抱えていた。こうした問題に加えて航続距離が短く、大西洋線でしか使えないことが仇となり、太平洋線就航を計画していたパンアメリカン航空(パンナム)や日本航空(JAL)、その他の多くの航空会社も発注をキャンセルしてしまった。
また、超音速飛行に特化した三角翼は離陸時に揚力を得にくく長い滑走距離を必要とするうえ、離着陸時の騒音の大きさから、多くの空港が乗り入れを禁止した。
結局1979年に製造が打ち切られた。試作機、量産先行機を含めて僅か20機のみの製造であり、実際に旅客運行された機体は開発国でもある英仏両国のフラッグキャリア、エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの運行した16機だけである。
1990年代に入ると装備の陳腐化や機体の老朽化が進んだ。それでも代替機種がなく一定の人気はあったため、最新の電子装置の導入などの近代化が検討されたが、最後まで抜本的な改修はなされないままだった。特に操縦席はグラスコックピット化されたボーイングやエアバスなどのハイテク機に対して、コンコルドのそれはアナログの計器が並ぶ古色蒼然としたものだった。
ただし、運航末期の2000年以降には客室の全面リニューアルがなされ、シートや内装が現代的なものに変わっている。
コンコルドの名は「コンコルド効果」(後述)など「失敗作」の代名詞になってしまったが、当時としては大変に先進的な機体であり、フライバイワイヤや燃料移送システムなどコンコルドで培われた技術は後世の旅客機に引き継がれている。
事故
2000年7月、フランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港にてコンコルド「エールフランス4590便」が墜落事故を起こした。
直前に飛んだコンチネンタル航空(現:ユナイテッド航空)のDC-10が落とした金属片を踏んだ結果、ランディングギアのタイヤがパンクしてその破片が翼の燃料タンクを叩いて破裂させた結果燃料に引火、それに伴いすぐそばのエンジンを2基喪失、既に停止できるタイミングも逸していたため無理やり飛ぶも、タイヤの破裂でセンサーが故障しランディングギアを格納できなくなっていたことも重なり飛び続けることが出来ずに墜落したのである。
コンコルドはそれまで統計上は飛行時間あたりの事故率が最も低い「安全旅客機」だったが、他機種と比べて飛行回数が格段に少ないため、このコンコルド初の死亡事故によって、逆に最も高い「危険旅客機」に認定され、耐空証明が取り消される事態となった。
コンコルドとその操縦士たちの名誉のために書くが、金属片を踏んだ時点でコンコルドの結末は確定しており、対処は不可能だった。
あの番組でも本件は紹介され、事故後の改修や退役へ至るまでの経緯も放送されている。
終焉
タンク、タイヤ等への改修が行われた2001年11月、コンコルドの運行再開が認められるものの、直後の2003年には完全に退役してしまうことになる。
9.11による航空不況や燃料費高騰なども影響しているが、最大の原因は機齢が20年以上となって老朽化し、エアバスがサポートを打ち切ったことにある。つまりは寿命である。
結局後継機は誕生せず、人類が夢見た超音速飛行は幻と化してしまった。コンコルド墜落事故に携わった事故調査委員もコンコルドの完全退役を「人類の航空機史上初めての後退」と惜しんだ。引退後は一部機体が静態保存されることとなったが、コンコルドが飛び立つ姿は永久に見ることが出来なくなってしまった。
遺産
1960年代、米国の2大メーカーボーイングとマクドネル・ダグラスに市場を席巻される中実現したコンコルド構想は、当時アメリカに負けっぱなしであった欧州航空機製造業界に一石を投じた。製造から40年が経ち、かつて世界最大の旅客機製造国であったイギリスこそ航空機産業の規模は大幅に縮小してしまったが、フランスのアエロスパシアルはドイツと手を組み、今や世界の大型・中型旅客機のシェアをボーイングと二分するエアバス・インダストリーを作り上げた。
航空業界において経済性・環境性能が何より重視されるようになった今、かつての「超音速旅行への夢と憧れ」が復権することはもはや無いと思われるが(今後、温室効果ガス排出抑制の要求が一層シビアになれば「電気の力で飛ぶ飛行機」への移行が求められるようになり、空の旅は現在より低速化する可能性すらある)、コンコルドによって体現された世界への「航空旅行への夢と憧れ」の志は、違った形で引き継がれているのである。
夢の続き
しかし、超音速旅客機の夢は死んでいなかった。
アメリカのベンチャー企業Boom Technology社は超音速旅客機XB-1の開発を発表、2020年にプロトタイプを公開した。2021年に初飛行、2025年の運用開始を目指す。席数はコンコルドの半分以下の40~45にとどまるが半世紀の技術革新により生産コストは遥かに安上がり、コンコルド以上の速さを持ちながらソニックブームも30分の1まで減少するとうたっている。燃料も環境保護意識の高まりを考慮して再生可能エネルギーを使用する予定であり、実現すれば東京-サンフランシスコ間をハワイでの途中給油で5時間半、ニューヨーク-ロンドン間は3時間半で飛ぶことができるとされている。他にもいくつかのベンチャー企業が超音速旅客機の開発に手を挙げている。環境問題が重視される21世紀にあっても、人類の速さに対するあこがれはいまだに尽きていなかったのである。
その他
運賃と乗り心地
運賃は他の旅客機のファーストクラスより高額なスーパーソニッククラスとされ、R(このコードは後にシンガポール航空がファーストの上位として設定したスイートクラスに流用された)のクラス予約コードが使用された。もっとも、ソフトサービス(機内食など)こそファーストクラス級ではあったが、座席そのものについては、3時間程度の乗機時間なのもあってか、ファーストクラスがベッドにもなれる座席まで進化する中、せいぜい新幹線のグリーン車程度の座席のままであった。
機体の窓は、機体と窓の熱膨張率の違いからハガキ程度の大きさであり、更に超音速航行中の機体熱の上昇から、触るとかなり熱かった。また、巡航高度は通常の旅客機より遙かに高いため、成層圏にまで達し、機体から見える景色は通常の空より濃い紺色の空模様をしていた。
ソ連版コンコルド?
コンコルドの他にも、実際に製造され旅客運航をした超音速旅客機があった。旧ソ連のツポレフ設計局が開発したTu-144旅客機である。東側の超音速旅客機として、西のコンコルドより2ヶ月早く初飛行した。ぱっと見の見た目はコンコルドとそっくりであり、大きな三角翼や、離着陸時に機首が折れ曲がるのも同じ。一見は折り畳み式のカナード(先尾翼)の存在程度しか違いがないように見える。
そのためか、西側諸国では「ソ連のスパイがコンコルドの設計図を盗み出して作った」という俗説がまかり通り「コンコルドスキー」の蔑称で呼ばれてしまっている。しかし実際には、両者は全く設計が異なる。例えばコンコルドがオージー翼と呼ばれる特殊な形の主翼なのに対し、Tu-144はダブルデルタ翼であり、Tu-144の折れ曲がる機首はコンコルドと違って別体のバイザーを備えていない。これらのことから、コンコルドを参考にしていたとしてもそのコンセプト程度でしかないことは明らかである。しかし、正式就航前に2度墜落事故を起こしてしまった事、そもそもの開発経緯が当時のフルシチョフ政権による西側への意地(他にスプートニク計画や世界初のSLBM搭載潜水艦の就役を実現させた)という事情もあり、生産数は原型機も含めわずか16機、旅客運行は102便と極めて短命に終わってしまった。
なお、1996年には米露共同による次世代超音速旅客機開発の試験機として、最新技術を盛り込んだ『Tu-144LL(機体記号:СССР-77114)』が製造(厳密には改造)され、アメリカで数年間使用されている。
銀幕にて
異色の出演は1978年のアメリカのファンタジー映画『天国から来たチャンピオン』。
何故かコンコルドが天国行きの便になっている。
ちなみに霧の中で駐機しているのではなく、あくまでも雲の上である。
ロボット作品において
『大鉄人17』では、敵のブレイン党によって造り出された偽物・ブレインコンコルドが登場。他の敵ロボットと違い変形はしないが武装している。
『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(G1)』のエアーボットのリーダーシルバーボルトは、コンコルドに変形するが高所恐怖症という皮肉な設定で、これを克服するエピソードも作られている。なお玩具においてはスマートな本機の形状とロボット形態を両立することは難しかったようである。
コンコルド効果
経済学の用語で「埋没費用効果」を「コンコルド効果」と言い換えることがある。
ある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態を指す。
コンコルドは開発段階で採算が合わないという予測が出ていたにもかかわらず、開発費の回収をあきらめきれずに開発を継続したことからこの名前がついた。
ただ勘違いされがちだが、コンコルドの赤字というのはあくまでもトータルの研究開発費に対する利益の話であり、実際に運用した航空会社では(ほとんど捨て値で機体が買えたこともあり)大部分の路線で黒字を出している。
関連タグ
フサイチコンコルド 1996年の日本ダービー馬。名前の由来はこのコンコルドではなくフランスのコンコルド広場だが、いずれこうなった結果多数の「コンコルド効果」の被害者を生み出すかもしれない……?
関連イラスト
イラストでも描かれる特徴的な曲がった機首は、空気抵抗の為に長くなった機首が着陸の際に下方の視界を遮るので、着陸に支障が無いように可変式とされたもの、つまり飛行時は真っ直ぐ伸びている。