ピクシブ百科事典

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アニメに登場するオリジナルウマ娘はこちらを参照。

概要

競馬ゲーム・アニメ『ウマ娘プリティーダービー』のキャラクターは、歴代の競走馬を元にしている。

そんな中、ウマ娘化されていない競走馬も、現役競走馬も含めて多数いる。

このタグは、そんなウマ娘化されていない競走馬がウマ娘化されたら?という趣旨で非公式に作られたイラストである。

デザイン

基本的に公式のウマ娘のデザインは例外もあるが以下の特徴が多く、こちらにも踏襲されていることが多い。

  • 服装は騎手の勝負服や馬名を基に作られている
  • モデルが牡馬の場合右耳、牝馬は左耳に飾りがついている
  • 体色、ないし髪色は馬の毛色をイメージさせる
  • 頭に白斑がある場合メッシュ等で、脚に白斑が有る場合服装を左右色違いにしてデザインに取り入れる
  • イメージカラーは勝負服やメンコを用いる

注意・留意すべき事

  • 実際に実装されているキャラクターではないため、タグ文末に(ウマ娘)をつけてタグ付けする場合、実馬関係者に配慮する必要がある。
  • ウマ娘運営側のアナウンス通り、実馬の印象を損なうような表現は行わない事。時々過度なカップリング描写やR18作品にこの様なタグをつける投稿者がいるが、ウマ娘という企画自体がやや綱渡りでありその二次創作ともなれば余計に要らぬトラブルを引き起こしかねない。その点も踏まえての投稿を心掛けてほしい。
  • 応援してくださっているファンの皆さまにご注意いただきたいこと


主なイラスト

競走馬

日本調教馬

ウマ娘になりてぇんだ‥‥


 1931年に宮内省下総御料牧場がアメリカより輸入した3頭繁殖牝馬のうちの1頭・星若(ほしわか)の持込産駒。1877年にレキシントン産駒の種牡馬3頭が輸入されて以来、54年ぶりに導入された本格的アメリカ血統の持ち主だった。
 競走馬としては同じくアメリカからの持ち込み馬として誕生したクレオパトラトマス(此方も引退後は繁殖牝馬として『月城』《つきしろ》と改名している)と共に活躍、1936年4月5日に鳴尾競馬場(※現在、阪神競馬場で行われているGⅢの『鳴尾記念』の名前の由来となった競馬場である)で開催された、当時日本最高峰の競走である帝室御賞典(1944年まで開催された、現在の天皇賞の前身にあたる大競走である)で優勝する等、18戦13勝の戦績を挙げた(そのうちの3勝は障害競走であり、1990年代後半に活躍したゴッドスピードの様なタイプであった)。
 因みに美馬厩舎の所属騎手だった庄野穂積や、産経新聞記者・内山勝三郎の回想に依れば、スマートだったクレオパトラトマスに比べて、エレギヤラトマスは一回り大きく、「ごつい感じのアメリカ馬らしい型」であったという。
 引退後は名前を「月丘」と変え、繁殖牝馬としても活躍。1940年に生んだ牝馬ハチアジカワ(繁殖名・年丘)は京都記念で優勝、繁殖入りして第33回東京優駿(日本ダービー)優勝馬テイトオーの祖母となり、1948年に生んだクモワカ(繁殖名・丘高)は桜花賞で2着、母として桜花賞優勝馬ワカクモを産んだ。さらに同馬から派生した系統からは「流星の貴公子」ことテンポイント、グレード制導入直後の桜花賞を制したダイアナソロン等々、数々の名馬が輩出され、エレギャラトマスの牝系は下総御料牧場から出たものとしては最も発展した系統となった。1995年には、5代孫のフジヤマケンザン香港国際カップに優勝し、クレオパトラトマスの孫・ハクチカラが米国ワシントンバースデーハンデキャップを制覇して以来36年振りの日本馬による国外重賞制覇を達成している(但し、ハクチカラの場合は重賞制覇扱いとなっているものの、当時のアメリカの競馬は重賞制度を設けておらず、「重賞とは認めない」としている事もあり、実質フジヤマケンザンが日本馬初の海外重賞制覇という事になる)。

セントライト


 現在も菊花賞トライアル競走「セントライト記念」(GⅡ。サラ系3歳の国際競走で、1947年10月12日に創設)に名を残す日本史上初のクラシック三冠馬
 1984年にはJRA顕彰馬にも選出。
 太平洋戦争も潜り抜け、余生を生まれ故郷の岩手で種牡馬として過ごした。
 特筆すべきはクラシック三冠を達成した歴代競走馬で唯一現役が1年(1941年)のみである(しかも現在とは違ってレース数も多くなかった為、三冠達成した日数も史上最短《225日》である)事と、東京優駿では2着のステーツ8馬身差を付けての優勝は、1955年のオートキツ(2着はカミサカエ)とはタイながらも日本ダービー史上最大着差として現在も記録に残っている(因みにセントライトの主戦騎手であり、この東京優駿でも騎乗していた小西喜蔵は後日競馬機関紙「優駿」に「こういう言い方をすると生意気そうに聞こえるかも知れないが、セントライトの優駿競走制覇は、事実、文字通りの楽勝であった」とインタビューを寄せている)。
 因みに体高が166㎝で体重が500㎏前後という、当時としては非常に大柄な馬(性格を除いて例えると、戦時中に同体格の白いアレが居る様なものである)で、その体格で危うく競走馬デビューが叶わず仕舞いになりかけたというエピソードがある(軍馬育成の観点から、競走馬は体高164㎝以下でないと出走不可能という体高規制が設けられていたが、セントライトがデビューする直前にこの規制は撤廃されている)。

オリジナルウマ娘・メイヂヒカリさん


 シンザンが「鉈の切れ味」、コダマが「剃刀」と評されたのに対して、鋭く優れた瞬発力で以て主戦騎手である蛯名武五郎から「日本刀」に準えられた名馬。また、後述する幾つかのレースの初代覇者として制したり賞を初めて受賞、式典の初の当事者にもなっている。
 1954年度啓衆社賞最良3歳牡馬(初代受賞者)、1955年度同最良4歳牡馬、1956年度同年度代表馬及び最良5歳以上牡馬(尚、年度表彰を3年連続で受ける競走馬は史上初であり、1993年~95年のヒシアマゾンまで現れなかった)。1990年、JRA顕彰馬に選出された。
 主な勝利としては1954年朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)、1955年菊花賞(このレースでは同年に東京優駿を制して以降6連勝を記録している好敵手オートキツに何と10馬身差も付けて制している)、オールカマー(この年に創設。初代覇者に輝いている)、1956年天皇賞(春)(こちらも2番手のウゲツに5馬身差をつけて圧勝、騎乗の蛯名が最後に余裕で後ろを振り返る程だったという)、そして同年に創設された中山グランプリ(現・有馬記念。翌1957年に現在名に改名)の初代覇者としても有名。
 因みにメイヂヒカリの調教師であった藤本冨良は「今のメイヂヒカリならば外国でも十分満足に戦える」と思い、海外遠征も視野に入れていたが、馬主の新田松江(前馬主である故・新田新作の妻)の「もう此処で引退をさせて欲しい」という強い願望で引退を決意。前述の年度代表馬に選ばれた他、東京記者クラブ賞も受賞。更には同クラブの企画により、中山競馬場に於いて日本競馬史上初の引退式が執り行われた(更には有馬記念をラストランとする競走馬もまた数多くいるが、図らずもメイヂヒカリはその有馬記念をラストランとした第一号でもある)。
 引退後は故郷の大塚牧場で種牡馬として繋養された。内国産種牡馬冷遇時代にあって1963年に種牡馬ランキング10位、1964年には11位と一定の成績を挙げたが、全体的には低迷した。しかしメイヂヒカリ産駒の内の一頭であるオーシヤチが種牡馬としてアイアンハート(1974年のカブトヤマ記念の勝ち馬)を出し、父クモハタから続く4代にわたる内国産の父系を繋いだ。また秋の天皇賞、有馬記念に優勝した牝馬トウメイの母の父としても名を残している。
 因みにやや紛らわしい馬名であるものの、メイヂヒカリの2歳年下でヒカルメイジという馬も存在している(※ヒカルメイジの馬主はメイヂヒカリと同じく新田新作→新田松江であり、主戦騎手もまた蛯名武五郎である。1957年にスプリングステークス、NHK盃《現・NHK杯》、そして第24回日本ダービー《タイムは2分31秒0で、1952年に「幻の馬」ことトキノミノルが記録した当時のレコード記録を0.1秒上回っての優勝だった》を主な勝ち鞍に15戦9勝の戦績を挙げ、種牡馬としても第24回の菊花賞優勝馬グレートヨルカ、第51回の天皇賞(春)優勝馬アサホコ等の重賞優勝馬を輩出する活躍を見せている)。

コダマ(オリジナルウマ娘)


 1959年~1962年にかけて活躍、その並外れた実力から「カミソリ」と例えられた競走馬。1990年9月12日にJRA顕彰馬に選定。
 父親はイギリスで1戦のみレースを出た後に種牡馬となったブッフラー、母親1949年の東京優駿で牡馬相手に2着の好走、後にウマ娘ではマチカネフクキタルから神様として崇められているシラオキ(史実ではマチカネフクキタルスペシャルウィーク等の先祖に当たる牝馬)である。
 名前の由来は馬主の伊藤由五郎が大の鉄道マニアという事で1958年11月に東海道本線、ひいては日本の鉄道で初の電車特急として登場した「こだま」から来ている(後に東海道新幹線の愛称となり、現在に至る)。
 生涯戦績は17戦12勝。主な勝ち鞍は阪神3歳ステークス(1959年)、スプリングステークス皐月賞東京優駿(共に1960年)、大阪杯スワンステークス(1961年)、宝塚記念(1962年)。現在のグレード制に照らし合わせるとGⅠ4勝(1984年から2017年までGⅡだった大阪杯も含めるとGⅠ5勝)、GⅡ3勝(大阪杯を除くとGⅡ2勝)挙げた事になる。
 1960年度啓衆社賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬。尚、前年の1959年にも阪神3歳Sを含む、無敗の3戦3勝を挙げた事から最優秀3歳牡馬にノミネートされたが、時期同じくして朝日盃3歳ステークスを含む4勝4敗を挙げたマツカゼオーが選出され、逃している。
 主戦騎手は後にシンザンの主戦騎手としても知られる栗田勝(但し、途中で渡辺正人が3戦騎乗、鶴留明雄が4戦騎乗している)。
 1959年9月20日に京都競馬場で行われた新馬戦で勝利を収めて以来、1960年10月8日のオープン戦で2着で敗れるまで無傷の7連勝を挙げ(その間に当時八大競走として位置づけられていた皐月賞と東京優駿を制覇して牡馬クラシック二冠馬になる)、全国区にその名を轟かせて競馬ブームの発端を作った。菊花賞ではオープン戦で初の敗北を喫してからも脚部の不安を始めとした体調不良の継続や厩務員組合のストライキ(解決したのは菊花賞出走の約2時間前)によって調教がままならない事態に陥ったが為に5着に終わり、セントライト以来史上2頭目、そして戦後初の三冠馬を逸する事となった。
 その後、年末の有馬記念にもファン投票1位で出走したが、当日は5番人気と評価を落とし、結果も牝馬スターロッチの6着に終わった。東京優駿以降4戦全敗となった秋の成績を、調教師である武田文吾は「特急コダマどころか各駅停車にも劣る」と評したが、クラシック二冠が高く評価され、コダマは当年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出された。
 翌1961年には大阪杯と春の天皇賞への前哨戦であるスワンステークスを制して再び評価を上げる。しかしその天皇賞を目前にして右前脚に屈腱炎を発症。休養を余儀なくされ、温泉療養の後、今度は秋の天皇賞に備えて9月15日に東京競馬場に入ったが、調教中に屈腱炎が再発して再度休養に入り、この年のシーズンを終える事となる。
 翌1962年には4月のオープン戦こそメジロ一族の開祖であるメジロオーの2着となるが、其処から春の天皇賞を回避してオープン戦2戦を連勝。そして迎えた第3回宝塚記念を2着リュウライトを3/4馬身差で制するも、レース後肩等を痛めてしまい、それが元となって現役を引退。
 その後種牡馬としてはサトヒカル(毎日杯京都杯=現・京都新聞杯中京記念》)、ファインローズ阪神四歳牝馬特別阪神牝馬特別スポーツニッポン賞金杯鳴尾記念松籟ステークス《後の中京大賞典》)、ヒデコトブキ(阪神四歳牝馬特別桜花賞、)、二ホンピロファイト(秋の京都大障害)といった重賞を勝利する競走馬を輩出した。

捏造ウマ娘 シンザン


 1961年誕生。日本競馬史上2頭目(第二次大戦後は初)の三冠馬にして、史上初の五冠馬。数多くの逸話を持ち、神馬と讃えられる真のレジェンド級名馬。
 生涯成績は19戦15勝。負けた4戦はいずれも2着で、デビュー戦から引退レースまでの連続連対数19(※)は今なお中央競馬におけるレコード記録である(2位は15連続連対のビワハヤヒデ。因みに連対率100%の競走数としても歴代1位で、これに続くのはダイワスカーレットの12戦《但し、海外出走を除いた場合を含めるとディープインパクトの13戦が歴代2位となる》)。
 また、シンザンが引退した2年後の1967年1月15日にその功績を記念して「シンザン記念」(GⅢ。サラ系3歳《旧4歳》の国際競走)が創設された。
 引退後は種牡馬としても活躍。ミナガワマンナ(菊花賞《1981年。シンザン産駒では初のクラシック制覇》、アルゼンチン共和国杯《1982年、1983年》)、ミホシンザン(1985年……スプリングステークス《GⅡ》、皐月賞《GⅠ》、京都新聞杯《GⅡ》、菊花賞《GⅠ》。1987年……アメリカンクラブジョッキーカップ《GⅡ》、日経賞《GⅡ》、天皇賞(春)《GⅠ、優勝直後に疲労が著しく見られ、これが現役最後のレースとなった》)を始め、多くの重賞制覇を果たす競走馬を輩出している。

(※)尚、参考ながら地方競馬での実績をも含めるとオグリキャップ19連続連対(笠松競馬:12戦連続、中央競馬:7戦連続)でシンザンと同率1位となる(因みに1950年代前半にアメリカで活躍した、オグリキャップの父方の祖父であり、『グレイゴースト(灰色の幽霊)』や『グレイファントム(灰色の幻影)』の異名を持つネイティヴダンサー22戦連続連対(生涯戦績は22戦21勝、2着1回)を果たしている)。

ハイセイコー


 第一次競馬ブームのきっかけとなった名馬。
地方競馬では6戦6勝(うち後に「ハイセイコー記念」という名前となった重賞・青雲賞をも含む)と無敗を誇り、そこから中央に移籍したという経歴や、宿命のライバル、タケホープとの名勝負など、さまざまなドラマを生み出している。
 競馬が広く一般に浸透するきっかけを作った功績などから、顕彰馬入りを果たした。

カブラヤオー


 狂気の逃げ馬の異名を持つ、1972年生まれの競走馬。ネット上ではよく「逆噴射しないツインターボ」とも例えられる。主戦騎手は菅野澄男菅原泰夫(共に6戦ずつ騎乗。但し、1976年7月25日の札幌競馬場でのオープン戦のみ赤羽秀男が騎乗)。
 デビュー前は馬体がみすぼらしく、幼少期に他の馬に蹴られたトラウマから極端に臆病で、買い手がつかないほどだった。しかし馬込みを怖がる本能に任せて破滅的なペースで逃げまくるという戦法で連戦連勝。皐月賞では1,000m58秒9という、当時の芝の質を考えれば異常なラップを刻んで逃げ切り勝ちを収め、その走りは殺人ラップ狂気のハイペース等と呼ばれる事になった。この時ブービー人気(21番人気)乍ら果敢に先頭争いを仕掛けてきたレイクスプリンターその最中に骨折し、本当に命を落としている(レース後、レイクスプリンターの主戦騎手だった押田年郎は「あの馬《カブラヤオー》は普通じゃない。化け物です」と涙ながらに語っている)。
 日本ダービーでも競りかけてくる馬がいた為、皐月賞より距離が長いにも関わらず1,000m58秒6というさらなるハイペースで逃げを打つ。今では考えられない28頭立ての大レースだったが、カブラヤオーに振り回された結果ほぼ全頭が最終直線でヘロヘロになっているという地獄のようなレースとなった。カブラヤオー自身も口を割ってフラつくほどバテていたが、この時の3番人気ロングファストが近づいてくるとド根性で立て直して逃げ切った。あまりの必死さに観客どころか実況者(フジテレビの盛山毅アナウンサー)まで「頑張れカブラヤオー!!勝てそうだ、勝てそうだ!!カブラヤオー勝った!!カブラヤオーと、そして(鞍上の)菅原泰夫、良く逃げ切れました!!」と叫んだ程の壮絶な勝利だった。
 その後、蹄鉄を交換する際に蹄を削りすぎたせいで屈腱炎を発症してしまい菊花賞には出られなかった。しかし1975年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出される。
 翌年の復帰後はオープン戦を中心に出走し、屈腱炎が再発して引退するまで13戦11勝という成績を収めた(1着になれなかったのは3歳新馬戦《2着》と1976年6月20日のオープン戦《11着、最下位》のみ。特に後者はゲートに頭をぶつけて脳震盪を起こしてしまい、調子を崩したのが原因。只、それまで折り返しの3歳新馬戦から9連勝を飾っており、この連勝記録は現在も中央競馬記録として残っている)。2003年8月9日、31歳(人間の年齢に換算すると推定で101歳)で天寿を全うしている。
 屈腱炎の原因は人為的ミスであり、カブラヤオーは自分の滅茶苦茶な走りに耐えられる屈強さと高い心肺機能を持っていた。気性の問題さえなければ普通に走っても強かったと思われる。

櫻、進撃。


 昭和50年代半ばに活躍した競走馬。戦績は26戦9勝で主な勝ち鞍は函館3歳ステークス(現・函館2歳ステークス)(1979年)、京王杯オータムハンデキャップ(現・京成杯オータムハンデキャップ)2連覇(1980年、1981年)、スプリンターズステークス(1981年)。現在のグレード制を照らし合わせるとGⅢを3勝(函館3歳S、京王杯オータムHC)、GⅠ(スプリンターズS)を1勝挙げた事になる。1981年に優駿賞スプリンター賞(現・JRA最優秀短距離馬)を受賞。
 異父弟に1986年の秋の天皇賞を制したサクラユタカオーが、その息子であり、スプリンターズステークスを2連覇する等、1400m以下の短距離では絶対王者の強さを誇ったサクラバクシンオーは甥にあたる(加えて1987年に牡馬クラシック2冠《皐月賞菊花賞》を獲得したものの、その年の有馬記念で馬場の窪地に脚を取られて負傷、その後長い闘病生活を経て安楽死するという悲劇の最期を迎えたサクラスターオーもサクラシンゲキの甥《サクラスターオーの母親がサクラシンゲキの異父妹サクラスマイル》である)。
 特徴としては典型的な逃げ馬で、特に芝1200~1800mでの距離に強かったが、一方で2000m以上のレース(特に皐月賞、有馬記念)になると持久力に欠いて2桁着順になる事が多かった。
 しかし1981年の記念すべき第1回ジャパンカップ(芝2400m)では適性距離では無いにも拘らずスタートから飛ばしに飛ばして1000メートル通過ラップが57秒8、1600メートル通過ラップが1分34秒7という、その当時の2400mのレースとしては異常なハイペースで逃げている。最終直線に向いても逃げ粘ったが、最後はスタミナ切れを起こし、馬群に飲み込まれて9着に終わった(優勝はアメリカ産馬のメアジードーツだが、2着から4着までもが外国産馬で、5着が日本馬では入線一番乗りのゴールドスペンサー《因みにこの競走馬は中央競馬出身では無く、地方競馬出身。鞍上は後にサニーブライアンとのコンビで名を馳せた大西直宏騎手》という結果に終わっている)。しかし、出走馬の多くがこのハイペースに離されずについて行くという厳しいレースで、直線で後ろから襲いかかる海外からの招待馬を相手に回して逃げ粘る姿は、サクラ「シンゲキ」という馬名と相まって「死を覚悟の上で敵艦に体当たりする太平洋戦争末期の旧日本軍の航空機」を連想させたことから、後に「日の丸特攻隊」というニックネームが付けられた。
 引退後は種牡馬としてヒデリュウオー(中日スポーツ賞4歳ステークス《GⅢで、現・フェアリーステークス》)、ユーワビーム(カブトヤマ記念《GⅢ》)、ニシヤマショウ(北九州記念《GⅢ》)等の複数の重賞馬を輩出。その殆どは父親同様に短距離戦やマイル戦を得意とした逃げ馬という特徴を受け継いでいる。
 また映画「三本木農業高校、馬術部 〜盲目の馬と少女の実話〜」のモデルとなった元競走馬(中央競馬での戦績は17戦0勝)で馬術競走馬であるタカラコスモスもサクラシンゲキの産駒である。

ミホシンザン【ウマ娘化】


 馬名から解る通り、前述の2代目三冠馬にして中央競馬史上初の「五冠馬」となった「神馬」ことシンザンを父に持つ、昭和60年代を代表する強豪馬の内の一頭。また馬名の通り、現役時代は美浦トレーニングセンターの田中朋次郎厩舎所属である。
 シンザンの産駒としては最も実績を残した為、ファン等からは「シンザンの最高傑作」と呼ばれている。

【ウマ娘】Queen of 1986 【メジロラモーヌ】


 「その美しき黒い流線形。 嫉妬すら追いつかない。憧れすら​届かない」というJRAのCMコピーで知られる、史上初の三冠牝馬(因みに当時はエリザベス女王杯が4歳《現3歳》牝馬三冠目のレース。1996年に新たに三冠目となる秋華賞が創設されてから4歳以上→3歳以上の牝馬のレースになった)。
 因みに1310頭いるメジロ一族の中で、通算で10戦以上出走して勝率が5割以上の競走馬はメジロマックイーン(21戦12勝)とメジロボサツ(18戦9勝)(※1)、そして彼女(12戦9勝)のみである(但し、平地競走と区別して障害競走限定も入れた場合はメジロワース《平地は22戦6勝。障害限定だと通算で21戦11勝》も含まれる)。
 メジロ一族を代表する名馬であり、2005年に老衰で逝去してなお「史上最強の牝馬」として名前が上がる正に歴史に名を刻んだ存在。
 アニメ2期で登場したマックイーンの「おばあさま(※2)」が彼女という可能性も考えられていたが、2021年11月19日に実装されたメジロドーベルの育成ストーリーにて名前のみが登場し、「ターフで待っている」という言葉から現役のウマ娘であることが判明した。

(※1)1960年代後半に活躍した競走馬で、おもな勝鞍は1965年朝日杯3歳ステークス、1966年第1回4歳牝馬特別(現・フローラステークス)、函館記念等。1966年の優駿牝馬(オークス)2着。1965年啓衆社賞最優秀3歳牝馬受賞。現役引退後は繁殖牝馬としても活躍。特に牝系として繁栄しており、その末裔の一頭にはメジロドーベル(曾孫)がいる。
 因みに母馬メジロクインは難産が祟ってメジロボサツ出産後間も無く死去。更には競走馬としてデビューする直前に父馬のモンタヴァルまでもが急逝。両親を早くも喪った不運と、仏事に繋がりかねない馬名(仏教に於いて悟り《=菩提》を求める衆生《=薩埵。全ての生きとし生けるものの事》を意味する「菩薩」が由来)の連想により、ファンからは『走るお墓』という縁起でもない渾名を付けられたという。また難産の影響からか馬体重は常に380㎏程度メロディーレーンハルウララ並みの軽量で現役生活を送っている。
(※2)これについてはメジロラモーヌの他、メジロマックイーンの実の祖父である1970年春の天皇賞馬メジロアサマ《この説を支持しているファンからは『おばアサマ』と呼ばれている。また、この動画でも『おばあさま=メジロアサマ』説が競馬実況アナウンサーの重鎮である杉本清によって言及されている》、若しくは「メジロのおばあちゃん」ことメジロ商事株式会社、有限会社メジロ牧場の元会長である北野ミヤ氏の説もある)

【ウマ娘】四白 流星 六馬身。【メリーナイス】

 
 1987年の日本ダービー優勝馬。オグリキャップの登場やデビューから3連勝したものの故障で引退したサクラロータリー、同世代としてクラシック路線で活躍したマティリアルの現役死等で隠れがちながら、四白流星の容姿で六馬身の着差(2着はサニースワローで、10年後にダービー制覇を成し遂げる事になるサニーブライアンの伯父)は日本ダービー史上3位(後にその圧倒劇はJRAが作成したポスター『ヒーロー列伝』で『四白 流星 六馬身。』というキャッチコピーに使われる程だった。因みに歴代1位は後述する1941年のセントライトと1955年のオートキツが記録した8馬身差)の偉業である。

メジロさん家のパーマーさん妄想


 メジロマックイーンメジロライアンと同期のメジロの代表馬。
 1992年宝塚記念有馬記念を勝利し、史上4頭目の春秋グランプリ連覇を達成した

そしてTVアニメ2期に於いて公式ウマ娘化された。メジロパーマー(ウマ娘)

新聞大好きヘリオスさん妄想


 1991年、1992年のマイルチャンピオンシップ連覇。メジロパーマーと通称「馬鹿コンビ」を結成するなどのネタも存在する。
 短距離場と言われているが有馬記念等の長距離でも善戦を見せる規格外の実力を持つ。

メジロパーマーと同様に、TVアニメ2期にて公式ウマ娘化された。ダイタクヘリオス(ウマ娘)

トロットサンダー


 地方競馬(浦和競馬)から鳴り物入りで中央競馬にやって来た、1990年代半ばを代表する強豪馬のうちの一頭。但し一方では後述する馬主の違反行為によって、強引に引退に追い込まれた悲運の名馬としても知られている。
 主戦騎手は地方(浦和)では桃井十四秋本間光雄、中央では一貫して横山典弘が鞍上を務めた。
 戦績は22戦15勝(うち浦和競馬では9戦8勝で2着1回《全て連対》、中央競馬では13戦7勝で2着1回、3着2回、そして7着3回)。主な勝ち鞍はマイルチャンピオンシップ東京新聞杯(共に1995年)、安田記念]]](1996年)。  数字だけの戦績や芝・ダートの適性そして脚質を見ると、かの「芦毛の怪物」と言われたオグリキャップを髣髴とさせるが、得意距離を見るとややサクラバクシンオーに近い競走馬である(因みに芝2000mのレースにも2度出走《札幌記念函館記念。当時は共にGⅢだが札幌記念は2007年にGⅡに昇格》しているが、いずれも過去最低の7着で終えている)。
 特筆すべきはマイルレース(1600m)には無敵と言っても過言では無い位に滅法強く、地方・中央合わせて8度出走(マイルCS、安田記念も含む)しているが、それら全てを勝利で飾っており、それが為にファンからは「マイルのスペシャリスト」もしくは馬名に肖って「マイルの雷帝」と呼ばれている。
 マイルレース8勝目である安田記念を終えた後の1996年7月、次の毎日王冠(GⅡ)と秋の天皇賞に出走して引退する事が発表されたが、毎日王冠へ向けて調整が進められていた矢先、9月に両前脚の橈(とう)骨に骨膜炎を発症し、元騎手であり、馬主の藤本照男が所有する藤本牧場へ放牧に出され療養に専念する事が決定。しかしその最中の9月末、馬主の藤本が「名義貸し」を行っていた事が発覚。これによって「マイルのスペシャリスト」のまま引退となった。
 引退後は種牡馬として地方競馬で重賞7勝を挙げたウツミジョーダン(生涯戦績は50戦14勝)を筆頭に2004年11月に他界するまでの8年間で196頭の血統登録頭数、うち166頭を出走頭数として輩出している。

キョウエイボーガンちゃん


 1990年代前半に活躍した競走馬だが、後に様々な数奇の運命を辿る事でも知られている。生涯戦績は13戦5勝で、主な勝ち鞍は神戸新聞杯(GⅡ)、中日スポーツ杯4歳ステークス(現・ファルコンステークス)(共に1992年)。
 そして何よりもこの馬を(悪い意味で)有名にさせたのが、第53回菊花賞に於いて本馬と同じく逃げを得意とする好敵手ミホノブルボンに対して終始徹底した逃げを敢行した事である
 その結果、キョウエイボーガンは第3コーナーの出口でスタミナ切れを起こして失速、16着に沈んでしまったがミホノブルボンもまたキョウエイボーガンの逃げに競り掛かってしまってペースを崩され、ゴールまで残り50mの辺りでライスシャワーに躱され、史上5頭目の三冠馬となる夢を潰える事となってしまった。
 キョウエイボーガン陣営としてはその前の京都新聞杯(GⅡ)でキョウエイボーガンが前もってハナを切らなかったが故に優勝したミホノブルボンに惨敗(9着入線)を喫した為、3000mという未知の距離の菊花賞であるにも拘らずその対策として序盤から逃げを打ったのだが、これがミホノブルボンの三冠馬になる瞬間を心待ちにしていたファンの逆鱗に触れてしまう事になり、マスコミ等も交えてキョウエイボーガンは「ミホノブルボンの三冠馬を邪魔した」「くだらない馬」と激しく非難され、更に競馬評論家の大川慶次郎氏からは「何の勝ち目も無い馬が強引に逃げて三冠馬誕生を台無しにしてしまった」という趣旨の発言を容赦無く飛ばされる始末で、この時同じくミホノブルボンの三冠馬を阻んだとしてヒール扱いされていたライスシャワー以上にヒールとして心無いバッシングを受ける羽目となってしまった
 以降は次戦のOP戦であるポートランドステークスで2着になり、調子を取り戻したかに思われたが、其処から脚部不安に見舞われてしまい、後の3戦は掲示板入線すら叶わない敗戦続きとなり、1994年10月15日のOP戦であるオパールステークスをラストラン(6着入線)として引退。
 だが、重賞を2勝挙げたにも拘らず引退後は種牡馬はおろか乗馬としても扱われず、そのまま廃用処分(つまりは屠殺⇒食肉)にされる予定であった。
 因みに本馬の母親であるインターマドンナはキョウエイボーガンを出産したのを最後に用途変更・廃用にされており、この時キョウエイボーガンもまた、まさに母親と同じ末路を辿りつつあった
 しかし、本馬のファンである一人の主婦が身元引受を申し出た為、キョウエイボーガンは兵庫県の出荷用の牧場から引退競走馬の福祉施設土佐黒潮牧場に移送され、1996年からは引退名馬けい養展示事業の助成を受けて、現在は群馬県吾妻郡東吾妻町の乗馬クラブ「乗馬クラブアリサ」で余生を送っている。
 2021年8月まではJRAに於いて重賞制覇経験馬としてはナイスネイチャに次いでレガシーワールドと共に歴代2位タイの長寿であったが2021年8月18日にレガシーワールドが死去し、タイではなくなった。また、G1優勝馬は1歳年下のウイニングチケットが最高齢になった。

ジェニュイン


 フジキセキタヤスツヨシと並んでサンデーサイレンスの初年度産駒を代表する一頭であり、サンデーサイレンス産駒としては初のクラシック制覇(1995年の第55回皐月賞)を果たした事で知られる競走馬である。
 馬名は「正真正銘、本物の」を意味する英語の「Genuine」が由来。通算戦績は21戦5勝(2着7回、3着1回)、主な勝ち鞍は前述の皐月賞とマイルチャンピオンシップ(1996年)。
 皐月賞を制して以降、ファンの期待に応えて重賞戦線で善戦を繰り広げるも異母兄弟のタヤスツヨシ(対戦成績では2勝1敗でジェニュインが勝ち越している)やドージマムテキマヤノトップガンサクラチトセオーサクラローレルバブルガムフェロー等といった好敵手や強豪馬に阻まれて中々勝ち切れなかったが、それでも一番人気に推されて出走したマイルCSでは当初7,8番手で走っていたが、最終コーナーを回った所でスパートを仕掛け、残り100mの辺りで終始逃げ続けて来たエイシンワシントンを捉えて躱し、同じく追撃して来た2着のショウリノメガミを半馬身差で制し、1年7ヶ月振りに2度目の重賞、そしてGⅠ制覇を果たした。
 しかしこのマイルCSでの勝利が現役最後の勝利であり、以降も善戦すれども勝てず、連覇を狙った翌1997年のマイルCSでは9着に終わり、レース後に引退を表明。未勝利戦を制した後から球節(第1指骨と第3中手骨《管骨》を繋ぐ部分)に異常が見られ、しかもそれが慢性化してきた為、ジェニュインの調教師である松山康久は「競走成績はその時の球節の状態の良し悪しに左右された」とコメントを残したほど、球節の不安に苛まれた現役生活となった。
 引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入りして初年度は122頭に種付け。その後も4年連続で100頭を超える種付けをする人気を得る。2000年の種付けシーズン前にレックススタッドへ移動する。
 2001年から2004年はシャトル種牡馬としてオーストラリアでも供用される。現地では産駒が好評で、2004年は日本へ帰国せず、オーストラリアでのみ種付けする程であった。翌年も滞在予定であったが、2004年デビュー産駒のドンクールがデビューから4連勝し、ジェニュインの種牡馬としての人気が国内でふたたび高まった事から、2005年3月に急遽帰国。種付けシーズン途中での供用ながら144頭に種付けする人気ぶりであった。その後オーストラリアに残した産駒から、ニュージーランド産馬ポンペイルーラーが日本の産駒に先駆けてオーストラリアンカップ(GⅠ)を制覇し、GⅠ馬の父となった(ポンペイルーラーの生涯戦績は22戦8勝。主な勝ち鞍はJJリストンステークスクレイグリーステークス《共にGⅡで2006年》、セントジョージステークス《GⅡ》、前述のオーストラリアンカップ《共に2007年》、クイーンエリザベスステークス《GⅠ、2009年》)。
 一方で日本では中央の平地重賞勝ち馬がメイプルロード(2002年の小倉2歳ステークス《GⅢ》)のみと期待ほど走らず、日本に帰国以降も期待のドンクールは成績が頭打ちになる(最終的には通算で中央32戦4勝、地方13戦3勝)等、産駒成績は散発的に地方競馬の重賞勝ち馬を出すにとどまった(それでも2002年に生まれたベストタイザンが地方競馬にて園田金盃笠松グランプリ東海桜花賞等の地方重賞を制しており、通算戦績でも82戦29勝《うち中央では4戦0勝と勝ちが付かなかった》を挙げる活躍を見せている)。2009年には種付け頭数が一桁になり、種付けシーズン後にレックススタッドを退厩。白老ファームを経て社台スタリオンステーションに移動するが、種牡馬として供用されることはなかった。
 種牡馬引退後は新田牧場に移動し、その後再び社台スタリオンステーションに移って余生を送っていたが、2015年1月19日に放牧中の負傷により23歳(人間で例えると77歳程の年齢である)で逝去。因みに異母兄弟のフジキセキもそれから11か月後の12月28日に事故による頸椎損傷を起こして他界している。

ムーンリットガール


 嘗て中央競馬で活躍した、アングロアラブ系の競走馬。
 父ドウカンガバナー、母グリンベストは共にアングロアラブ種であるものの、母方の高祖父に1961年の第11回安田記念、第6回有馬記念を優勝、その年の啓衆賞年度代表馬(現在のJRA賞)に輝いたホマレボシ(更に遡るとその父親として昭和24年の皐月賞と菊花賞を制し、種牡馬としても産駒が中央競馬で通算勝利数1135勝《2011年5月にフジキセキに更新されるまで国産種牡馬による最多記録だった》を挙げる程に貢献、1984年にJRA顕彰馬にも輝いたトサミドリや、母方の祖父に昭和14年の東京優駿を制し、引退後は種牡馬として6年連続リーディングサイアーに輝き、1984年にトサミドリと共にJRA顕彰馬にもなったクモハタがいる)がいる。また同じく母方の高祖父の一頭としてアングロアラブ種としては1960年と1961年に2年連続で公営日本一に輝き、引退後は種牡馬としても1974年、1975年に連続でアングロアラブ種としてのリーディングサイアーに輝いた名馬センジユがいる。
 生涯戦績は37戦10勝(中央競馬:15戦7勝、地方競馬:22戦3勝)。主な勝ち鞍としては中央競馬ではOP戦として福島アラブ3歳ステークス(福島)、アラブ3歳ステークス(中京)(共に1994年に優勝)、シュンエイ記念(小倉)、アラブ王冠(新潟)、アラブ大賞典(中京)(全て1995年に優勝。因みにこれらを含めて中央競馬では同年を以て全てのアングロアラブ競走を廃止としている為、3レース共に最後の覇者となっている)。地方競馬ではアラブ銀杯(笠松)(1996年)、東海グローリ、花吹雪争覇(共に笠松で1997年に優勝)。
 因みに中央競馬時代には重賞に二度出走している(1994年のGⅢ札幌3歳ステークス《現・札幌2歳ステークス。12着》と1995年のGⅠスプリンターズステークス《14着。尚、この時の優勝馬は兎に角大きい事で知られるヒシアケボノである》)。
 特徴としてはダートよりも芝のレースを《10勝中7勝は芝でのコースである》、距離は1600~2000m台を得意とするが、時としては2500mもの長距離(前述の最後のアラブ大賞典では2分36秒3のレコードタイムを叩き出している)をも制する程のスタミナを維持する等の万能振りを見せていた。
 引退後は繁殖牝馬となったが2003年に用途変更となり、以降の動向は不明。産駒は3頭産んだが競走馬として出走したのは2頭(初仔のスプランディードと第3仔のキングユキオー。いずれも牡馬である)だけで、残る1頭は牝馬で登録名は無く血統登録はされたものの繁殖にも上がらず仕舞いの為、牝系は途絶えた。但しスプランディードは笠松競馬を主戦場として最高位のA級まで昇格、42戦8勝ながら2着入線が5度、3着入線が10度と健闘を見せている。

サニーブライアン妄想
【ウマ娘】サニーブライアン(非公式)


 サイレンススズカマチカネフクキタルらの同期で、1997年、大西直宏とのコンビで皐月賞日本ダービーを制した逃げ馬。
人気薄の状況で皐月賞を制すれども周囲から『フロック(まぐれ)』と言われ、日本ダービーでも人気が出なかったが、そのダービーでは見事に制して周囲の下馬評を覆す」という逆転劇を演じた事から1980~81年に同様の活躍を見せた馬に準えて「カツトップエースの再来」と言われたが、その日本ダービーの後に故障が発生、完治せずそのまま引退した辺りまでもがカツトップエースと見事に一致してしまった(因みに戦績もカツトップエースが11戦4勝、サニーブライアンが10戦4勝とほぼ一致している)。
尚、「ウマ娘化して欲しい競走馬アンケート」では3位に選出されている。またコミカライズ作品である「ウマ娘シンデレラグレイ」の冒頭ではルナスワローという、サニーブライアンの伯父であるサニースワロー(サニーブライアンの母親サニースイフトの実兄)をモデルとしたと思われるウマ娘が登場している。
加えて遡る事丁度10年前、1987年の日本ダービーではそのサニースワロー及び彼の主戦騎手でもあった大西直宏は2着に入線すれども後述する1着のメリーナイスには6馬身差も離され、かつ圧倒されていた為、サニーブライアンの日本ダービー制覇は伯父と大西騎手自身の雪辱を見事に果たしたともいえる。
 もしウマ娘化されたときは史実で叶わなかった菊花賞への出走、もしくは大逃げに目覚めたサイレンススズカとの再戦といったストーリーが見られるかもしれない。
 「一番人気はいらないから、一番だけ欲しい」(大西直宏)
 「これはもう、フロックでも何でもない!!!二冠達成!!!」(三宅正治)(フジテレビアナウンサー)

「捏造ウマ娘」メジロブライト


メジロライアン産駒で、同じ父を持つメジロドーベルとは同期。
父親同様にクラシックでは勝ちきれなかったが、1998年の天皇賞(春)にてマックイーン以来となるメジロ軍団の春天制覇を果たした。
2021年11月19日に実装されたメジロドーベルのストーリー及び育成にて公式ウマ娘化され登場した。→メジロブライト(ウマ娘)

岩手からの刺客


 生涯戦績は35戦23勝という輝かしい実績を持った、地方競馬最強と言っても過言では無い強豪馬で、1999年の第16回フェブラリーステークス覇者。日本競馬史上ただ1頭、地方競馬(岩手県競馬組合)所属にして中央競馬GIを制覇した
 「栗毛の来訪者」(2013年JRAフェブラリーステークスCMより)

あっぱれアラブのサンバコール!


 主に園田競馬を主戦場として数多くのレースで活躍した(時折その他にも姫路競馬、金沢競馬、佐賀競馬、福山競馬にも遠征している)、前述のモナクカバキチと同じアングロアラブ種の競走馬。
 生涯戦績は43戦20勝で、主な勝ち鞍は六甲盃(園田)、姫山菊花賞(園田)、西日本アラブダービー(福山)(共に1998年)、新春賞(園田)(2001年)、兵庫大賞典(園田)(2002年)、全日本タマツバキ記念アラブ大賞典(福山)(2003年)。
 血統でサラブレッドとしては父方の高祖父にメジロオーと1951年の春の天皇賞を制したタカクラヤマ(因みにモナクカバキチの父方の高祖父、及び好敵手のクールテツオーの母方の曾祖父もメジロオー《加えてその娘であり、曾祖母若しくは祖母のトキノメジロもだが》とタカクラヤマである為、両者とは一応乍ら親戚に当たる)が、母方の曾祖父にアローエクスプレス(※1)がいる。
 主にダートで1800~2400mの距離を疾走して実績を残した、サラブレッドに負けず劣らずの頑健なステイヤーの顔を持っているが、2004年8月15日の金沢競馬場でのセイユウ記念アラブグランプリで故障を発症して競走中止、これが最後の競馬となった。その後、2006年4月1日付けで地方競馬登録が抹消され、以後の消息は不明である。
 因みに主戦騎手を務めた田中学は「自分を育ててくれた馬」としてサンバコールを挙げており、一時期主戦騎手から何の前触れも無しに降板(1998年9月16日から約半年間は平松徳彦に替わっていた)させられたものの、其処から自己研鑽を積んだ事で「父・田中道夫(※2)の七光り」という評判から抜け出す切っ掛けになったという。

(※1)1969年~1971年にかけて活躍した競走馬で、主な勝ち鞍は1969年の朝日杯3歳ステークス京成杯3歳ステークス、1970年のNHK杯。同時期にクラシックを二冠(皐月賞、日本ダービー)制する等をして活躍したタニノムーティエとはライバル関係にあり、ファンからは両者のアルファベットの冠文字を取って「AT対決」と呼ばれ、競馬会を賑わせた。
 引退後は種牡馬としても活躍、1973年に生まれ、牝馬二冠(桜花賞、優駿牝馬)を制したテイタニヤを始め、多くの重賞馬を輩出して1980年と1981年に全日本リーディングサイアーを獲得。クモハタ以来史上2頭目の内国産リーディングサイアーとなった。

(※2)騎手としての通算成績は16860戦3164勝。兵庫県競馬組合に於いて1978年から1991年にかけて長くリーディングジョッキーの座を維持し続け、1989年にはワールドスーパージョッキーズシリーズで準優勝に輝いた、「園田の帝王」と謳われた名騎手。1995年に騎手を引退した後も調教師として活躍し、兵庫のリーディングトレーナーに輝いている。

妄想ナリタトップロードさんと落書き
ナリタトップロード(ウマ娘)


 マイルレースの猛者として1987年の阪神3歳S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)、1988年のマイルチャンピオンシップを制した他、オグリキャップタマモクロスと共に昭和最後の強豪馬として名を馳せたサッカーボーイを父に持つ、テイエムオペラオーアドマイヤベガと同世代(1996年生まれ)、且つ互いに激しく鎬を削り合って来た強豪馬。尚、2歳年上乍らほぼ同時期に活躍したステイゴールド(1994年生まれで1996年に登録)はナリタトップロードとは従兄弟の関係にあたる。
 特にテイエムオペラオーに到っては「宿敵」若しくは「天敵」と言っても過言では無く、彼の後塵を幾度と無く拝し続けてきたが、1999年の菊花賞ではテイエムオペラオーに競り勝って制覇している。
 生涯戦績は30戦8勝と一見すると物足りなさがあるものの、2位入線が6度、3位入線が8度あり、如何に並み居る強敵と競り合って来たのかが窺え、その中には春の天皇賞を2000年より3年連続で3着入線を果たしており、これは有馬記念を1991年から3年連続で3着入線を果たしたナイスネイチャと共に珍記録として残っている。
 またナイスネイチャ同様、ナリタトップロードは善戦すれども勝ち切れない競走が多かったが、それが共感を呼んだ模様で常に多くのファンから愛され続け、そのファンからの愛情の最たるものが2002年のシーズンの終わりに顕れた。
 ナリタトップロード陣営は当初引退レースを国際GIの香港ヴァーズに予定していたが、ナリタトップロードが同年内にGIを勝っていない馬にも関わらず有馬記念のファン投票1位に支持された為、陣営は香港遠征を取りやめて有馬記念を引退レースに選択。結果、1番人気のファインモーションを交わして4着入線を果たした(因みに有馬記念には1999年から4年連続で出走しているが、最後の2002年以外は7着、9着、10着と掲示板にすら載らない敗戦続きだった)。
 主な勝ち鞍はGIだと前述の菊花賞、GⅢだときさらぎ賞(1999年)のみである一方、GⅡでは弥生賞(1999年)、阪神大賞典(2001年、2002年)、京都記念京都大賞典(共に2002年)と計5勝を挙げており、これは2006年にバランスオブゲームがGⅡ制覇を6勝に更新するまでGⅡ最多勝利記録として残っていた。
 引退後は種牡馬として過ごしていたが、2005年11月7日に心不全の為に9歳(人間の年齢に換算すると推定35歳)の若さで他界。奇しくも6年前に悲願の菊花賞を制した日であった。
 ナリタトップロードの主戦騎手であり、コンビを組んで騎手生活で初の重賞制覇並びに初のGI制覇を果たした渡辺薫彦は訃報を聞いて「この馬はかけがえのない存在であったので、大変ショックを受けています」と非常に思い入れがあった事を窺わせるコメントを残している。

キョウエイマーチ再び


 1990年代後半に活躍した競走馬で、1997年の桜花賞優勝馬。父親はイギリス・フランス・アメリカを股にかけて活躍したダンシングブレーヴで、1997年にエリザベス女王杯を制したエリモシックは1歳上の異母姉、2000年に高松宮記念で優勝して「11度目のGⅠ挑戦で初制覇」と話題になったキングヘイローは1歳下の異母弟、阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ。2000年)と牝馬2冠(桜花賞、秋華賞。いずれも2001年)を制したテイエムオーシャンは4歳下の異母妹に当たる。

ジャングルポケット オリジナルウマ娘


アグネスタキオンマンハッタンカフェと同期のダービー馬。ラジオたんぱ杯3歳ステークスや皐月賞でタキオンに敗れるものの、彼の引退後○外解放元年となった日本ダービーで内国産馬の実力を見せつけ勝利。そして自走のジャパンカップでも、あのテイエムオペラオーとの叩き合いを制し内国産3歳馬初のジャパンカップ制覇を果たし、見事に年度代表馬に選ばれた。しかしその後は結果を残せず、右前蹄球炎を発症し引退。産駒にはトーセンジョーダンの他にも、デビューから最短で菊花賞を制したオウケンブルースリや09年のエリザベス女王杯テイエムプリキュアと共に大波乱を巻き起こしたクィーンスプマンテなど、数々の名馬を輩出した。


クロフネ ウマ娘
缶バッジ風クロフネ


 実の娘であるソダシの項で幾分か戦績を掲載しているが、名前の通りアメリカからやって来て芝・ダート問わず大いに活躍した、最強と言っても過言では無い程の実力を持つスプリント強豪馬。また、種牡馬としてもブルードメアサイアー(母方の祖父)としても数多くの強豪馬を輩出している。
 アグネスデジタルのストーリーでそれとなく存在がほのめかされているが、実装予定は今のところなし。

 2000年代前半に地方競馬(主戦場は園田競馬、後に福山競馬にも移転)で活躍したアングロアラブ種の競走馬。血統の関係で前述のモナクカバキチ、サンバコールとは親戚関係にある。
 生涯戦績は40戦19勝で、主な勝ち鞍は園田3歳優駿(園田)(2000年)、フクパーク記念(園田)、姫山菊花賞(園田)(共に2001年)、摂津盃(園田)、白鷺賞(姫路)(共に2002年)。
 鞍上の騎手が通算で9人入れ替わっているが、主戦騎手は当時兵庫県競馬組合に所属していた岩田康誠(後に2006年中央競馬に移籍)である。
 サンバコール同様に2000m台のレースで善戦を繰り広げる程の、サラブレッドに負けず劣らずの頑健さを持ち合わせているのが特徴で、且つサンバコールとは直接対決が3度(2002年の新春賞と兵庫大賞典、2003年の兵庫大賞典)あり、1勝2敗で負け越しているもののライバルと言っても良い程、いずれも熾烈な争いを演じている。
 但し福山競馬に移転してからは勝ち星に恵まれず、ラストランとなった2005年7月3日の豊島コミュニティセンター杯海水浴特別では殿負け(10着)を喫した後、レース中に故障していた事が発覚。その後競走馬登録が抹消され、「予後不良になったのでは?」と囁かれていたものの詳細は不明。
 
 (※)尚、イラストはサンバコールの項目を参照。2002年の兵庫大賞典をモチーフにした1枚目のイラストの向かって左、及び2枚目のイラストがクールテツオーである。
 因みに1枚目の左下の人物は、1956年に正式にアナウンスデビュー(但し、その前年から関西芸術アカデミー放送研究科に在学中、アルバイトとして春木競馬場と長居競馬場での競馬実況を行っていた)して2020年1月9日に勇退するまでの64年間、園田競馬場と姫路競馬場の場内実況を担当した吉田勝彦氏であり、同氏は2014年5月27日に「レーストラックアナウンサーとしてのキャリアの長さが世界最長」(1955年10月1日~2014年5月27日までの58年239日)としてギネス世界記録に認定されており、「吉田節」と言われる独特の実況(レース道中の流れを的確に捉えた語り口と、直線に入るにつれてボルテージが上がり、最期は裏返った声でゴールを伝える実況)も相俟ってファンから絶大な人気を得ている。

sinbori Kris S(ウマ娘)


シンボリ牧場では珍しい外国産馬であり、種牡馬としての活躍を見込まれやってきた。同じ牧場に『シンボリクリエンス』という紛らわしい名前の障害馬がいる上に名前が言い辛い。
ゼンノロブロイの影が薄い原因の一つ。クラシック期にはなかなか勝ちきれなかったが、秋になると覚醒し天皇賞秋有馬記念を制覇。更に翌年も両レースを連覇し二年連続で年度代表馬に選ばれた。中でも引退レースとなった03年有馬記念は、前走のジャパンカップにてタップダンスシチー9馬身もの差をつけて破れたことからそれまでにないほど強く調教を施され、見事9馬身を返して引退の花道を飾った(これは現在でも有馬記念最大着差)。ちなみにアグネスデジタルのサポートカードで団扇に描かれているウマ娘はシンボリクリスエスなのではないのかという説がある。

モナクカバキチ


 主戦場である広島県の福山競馬の他、荒尾競馬、金沢競馬、名古屋競馬等の地方競馬で長く活躍した、アングロアラブ種(アラブ種とサラブレッド種の混血馬)の競走馬。系統でサラブレッドとしては父方の高祖父にメジロ一門の開祖であるメジロオーが、母方の高祖父にはイギリスで競走馬として活躍した後、種牡馬として戦後日本のサラブレッド産馬の拡大に貢献したチャイナロックがいる。
 生涯成績は216戦55勝。主な勝ち鞍は第23回銀杯(福山)、第37回黒百合賞スポーツニッポン杯(金沢)、第89回名古屋杯(名古屋)。この勝利数55は地方競馬全国協会が設立され記録を取り始めた1962年以降では最多勝利数として現在も記録に残っている(因みに2位はハルウララと同じく高知競馬を主戦場として実力で大活躍したエスケープハッチの54勝《通算出走数は83レースであり、勝率としてはエスケープハッチに軍配が上がる》。尚、エスケープハッチとモナクカバキチは同世代《モナクカバキチが1歳年上》であり、通算勝利数の競り合いはおろか、1度だけエスケープハッチが福山競馬《2006年6月4日のアラブ大賞典福山市市制施行90周年》に遠征した際は直接対決も実現しており、この時はモナクカバキチが先行入線《6着。エスケープハッチはその次の7着入線》している)。
 特筆すべきは2012年7月14日の「オープニングとく戦」で55勝目を挙げた時の年齢で、この時モナクカバキチは13歳を迎えていた(因みに最高齢勝利を記録した競走馬は中央競馬から高知競馬に移籍してきたオースミパレード16歳5か月《2007年9月23日のD7、ダート1300メートル戦》である)。また、この勝利は日本における全アラブ系競走馬で最後の勝利となった《それから翌年の2013年3月23日に厩舎に入っていて出走可能な唯一の馬であったアラブ種のレッツゴーカップ(生涯戦績は159戦24勝。モナクカバキチ同様、福山競馬を主戦場として活躍しており、モナクカバキチより2歳年下の後輩にあたる競走馬。モナクカバキチとは8度直接対決をしており、3勝5敗と負け越したものの善戦を繰り広げた)が同日のレースを最後に引退し、アラブ系競走馬は事実上消滅したと読売新聞が報じている》。
 しかし体力の衰えが見られた為にその一月後の8月5日に引退を表明。一週間後の8月12日には主戦場である福山競馬場において勝ち星と同じ「55」のゼッケンを付けて引退セレモニーを行ない、現在は山梨県小須田牧場で余生を過ごしている。

ドリームジャーニー
ユメヘノタビジ


 2000年代後半に活躍した、7代目クラシック三冠馬オルフェーヴル実兄に当たる競走馬(オルフェーヴルと同じく父親はステイゴールド、母親はオリエンタルアート、そして母方の祖父はメジロマックイーンである)。
 ステマ配合を一躍有名にした馬であり、他にはゴールドシップフェイトフルウォーなどが有名。
 生涯戦績は31戦9勝で、主な勝ち鞍はGⅠでは朝日杯フューチュリティステークス(2006年)、宝塚記念(2009年)、有馬記念(2009年)、GⅡでは神戸新聞杯(2007年)、産経大阪杯(2009年。2017年にGⅠに昇格)、GⅢでは朝日チャレンジカップ(2008年)、小倉記念(2008年)。最優秀2歳牡馬(2006年)と最優秀4歳以上牡馬(2009年)を受賞。
 馬名の由来は「夢の様な旅路」で、父・ステイゴールドの香港での表記が「黄金旅程」と表される事からの連想で名付けられた。実況でも「夢への旅路」と強く意識した語彙が使われる。
 特筆すべきは前述の制覇した3つのGⅠで、いずれも歴代勝利馬の中では最軽量を記録した事がある(朝日杯FS……416㎏、宝塚記念……424㎏、有馬記念……426㎏)程に小柄な体格ではあるが、父親譲りの長距離を得意とする持久力と頑健さも持ち合わせており、2011年6月30日に7歳で引退するまで数々の強豪馬と競り合い、長くレースを走り続けた。
 引退後は2012年より種牡馬としての活動を始めた。初年度の種付料は200万円。初年度は95頭と中々の種付け数を集めたものの小柄な体が災いして種付けが下手と言う欠点があり、競走馬として登録された馬は36頭にとどまった。その後も50頭から70頭の種付けを集めていたものの2016年には種付けシーズン途中に骨折事故を起こして種付け数が激減。初年度産駒は2015年にデビュー。2017年の駿蹄賞をドリームズラインが制して産駒の初重賞制覇を果たす。同馬はその後東海ダービー岐阜金賞も制し、東海三冠馬となっている。2020年のダイヤモンドステークス(GⅢ)をミライヘノツバサが制して種牡馬入りから8年で産駒の中央重賞初制覇となった。
 なお、父親並みに気性が荒いことで有名であり、弟オルフェーヴルが厩舎入りする前から警戒される遠因を作った。兄弟共に主戦騎手となった池添謙一騎手曰く「(オルフェーヴルがヤバイ馬とよく言われるが)ドリームジャーニーの方がヤバい」「オルフェはスイッチの切り替えができる子だがドリームジャーニーは入りっぱなし」「引退後のオルフェは多少触らせてくれるがドリームジャーニーは係の人が付きっ切りでないと危険」と残し、引退後も伝説を作り続けている。

【ウマ娘】勝手にキャラデザ アストンマーチャン


 2006~2008年にかけて活躍した牝馬。生涯戦績は11戦5勝で主な勝鞍は小倉2歳ステークス (GⅢ)、ファンタジーステークス(GⅢ)(共に2006年)、報知杯フィリーズレビュー(GⅡ)、スプリンターズステークス(GⅠ)(共に2007年)。
 馬名はイギリスの高級自動車メーカーのアストンマーティン社と馬主である戸佐眞弓(とさまゆみ)氏の愛称を掛け合わせたものが由来となっている。
 因みに顔立ちが可愛らしいものの、馬体がグラマラスであった為に当時の担当厩務員からは「柳原可奈子」と呼ばれていたという。
 当初こそはファンタジーステークスではレース中に左後脚が落鉄(蹄鉄が剥がれ落ちる事)を起こしたにも拘らずレコードタイムを叩き出して制したり(1分20秒3。これは2020年にメイケイエールに0.2秒更新されるまで14年間レコード記録として残っていた)、また阪神ジュベナイルフィリーズではゴール直前に女傑ウオッカに惜しくもクビ差で交わされる(因みにこの時のタイムは共に1分33秒1で2019年にレシステンシアに0.4秒更新されるまでレコードタイムだった。また2020年に前述のソダシが同タイムで優勝している為、現在では歴代2位タイである)も名勝負を演じる程の実力を発揮していたが、スプリンターズステークスを制して以降は続くスワンステークス(GⅡ)と明けて2008年のシルクロードステークス(GⅢ)では共に二桁着順(14着、10着)と低迷。
 捲土重来を図るべく、かつ春秋スプリントGⅠ制覇を目指して高松宮記念に向けての調整を進めていた矢先の3月3日の朝に体調を突然崩し、高松宮記念を回避。その後X大腸炎を発症して栗東トレーニングセンター診療所に入院。加療の甲斐無く4月21日、現役競走馬のまま急性心不全の為に逝去。まだまだこれからという時の悲劇であり、多くのファンからその死を惜しまれた。

オリジナルウマ娘「レッドディザイア」


 2006年に生まれた牝馬で、父親はマンハッタンカフェ、母親はグレイトサンライズ。生涯戦績は14戦4勝(日本国内:10戦3勝、海外:3戦1勝)。海外ではオリビエ・ペリエクリストフ・スミヨンケント・デザーモが其々騎乗しているが、日本では終始四位洋文が鞍上を務めた。
 調教中の負傷や疝痛によってデビューは2009年にずれ込んだが、同年の桜花賞、オークスではどちらもブエナビスタの前に2着と健闘。そして秋華賞ではとうとうブエナビスタの追撃を振り切りG1勝利を手に入れた。
 戦績以外のエピソードとしては、同じ厩舎の先輩であるウオッカの大ファンだった事が有名。元々ウオッカは同性にモテる馬だったが、向かいの馬房にいたレッドディザイアは特に熱心だった模様。ウオッカと共にドバイにも遠征し、共に国際G2のレースであるマクトゥームチャレンジラウンド3に出走。先輩に良い所を見せたかったのか見事に1着を取っている。しかしこのレースを最後にウオッカは鼻出血を発症して引退し、日本に帰ることなくアイルランドで繁殖牝馬となったため、レッドディザイアはひどく落ち込んでしまった。関係者は彼女の為、空になったウオッカの馬房にウオッカの写真を設置することになった
 2011年11月、ウオッカと同じく鼻出血により引退。その後繁殖牝馬として4頭の仔を生んだが(うち初仔のレッドディヴェルと第2仔のビッグディザイアの2頭は調教中もしくは競走時に因る事故で予後不良になるという不運に見舞われている)、2016年5月20日に第4仔を出産した後腹膜炎となり10歳の若さで逝去した。

デンコウオクトパス 【オリジナルウマ娘】


 GⅠで菊花賞有馬記念宝塚記念天皇賞(春)を其々異なった戦法で勝利した事から「変幻自在の脚質」を持った馬として知られるマヤノトップガンを父に持つ、主に障害で活躍した競走馬。生涯戦績は36戦9勝(内訳としては平地27戦4勝、障害9戦5勝)で、主な勝ち鞍は平地では美作特別(阪神1000万下)(2010年)、玄海特別(小倉1000万下)(2011年)。障害では東京ジャンプステークス(JGⅢ)、東京ハイジャンプ(JGⅡ)(共に2012年)、京都ジャンプステークス(JGⅢ)(2013年)。
 馬名は馬主の田中康弘の持つ冠名である「デンコウ」にを付けたものである。主戦騎手は平地では18人も鞍上が替わっているが(この内最多騎乗は和田竜二騎手の4レース)、障害では東京JS(この時は北沢伸也騎手が鞍上を務めた)以外だと一貫して西谷誠騎手が鞍上を務めた。
 平地競走では準オープン級に二度昇格するも中々に勝利が出来ず(3着は2度ある《2011年の京都の寿ステークスと阪神の但馬ステークス》)、2012年1月に再度挑んだ京都の寿ステークスで13着に終わったのを切っ掛けに平地に見切りを付けて障害に移転。
 5歳春の2012年2月12日の京都の障害未勝利戦でデビュー、其処では2番人気に推されるも落馬してしまい、競走中止となった。
 しかし2戦目の2月25日の阪神の障害未勝利戦を逃げ切って障害初勝利を飾ると、その後の障害4歳以上オープンで後に同年の中山大障害で優勝したマーベラスカイザーに8馬身差の逃げ切り圧勝を飾ったり、東京の東京ジャンプステークスも前走同様にそのまま逃げ切って障害3連勝と障害重賞初制覇を果たした。
 その後は新潟ジャンプステークス、阪神ジャンプステークスはそれぞれ1番人気に推されるもそれぞれ4着、3着に敗れた。そして東京ハイジャンプは途中から逃げに持ち込み、最後は後続に迫られるもそのまま逃げ切って障害重賞2勝目を飾った。その後は11ヶ月もの長期休養に入り、休み明けとなった2013年9月の阪神ジャンプステークスは障害では生涯最低である5着に敗れたものの、続く京都ジャンプステークスでは逃げ切りを決めて勝利して重賞3勝目を飾る。しかしレース後に屈腱炎を発症してしまい再度休養に入ったが、その後陣営は競走馬としての回復の見込みが困難と判断。競走馬登録を抹消され、引退した。
 引退後は乗馬として京都、福岡に移転した後、現在は岡山県の両備乗馬クラブ・クレイン岡山の所属馬として過ごしている。

ジャスタウェイ
ジャスタウェイ


 父は国内で唯一ディープインパクトに勝った馬ハーツクライ
2014年3月29日、ドバイデューティーフリー(現・ドバイターフ)を制覇(馬主は大和屋暁)。
 名前の由来は脚本家である馬主の代表作に登場する爆弾から。当初は元ネタやシルバーコレクターっぷりからネタ馬扱いされたものの、天皇賞(秋)を名前の由来通り爆発的な末脚で圧勝。
 さらに翌年のドバイの圧勝で世界的名馬となった。現役時代、同じ厩舎で馬房も隣同士だった同世代のゴールドシップと仲良しだった事が広く知られており、ウマ娘のゴールドシップの同部屋の相手が未だ不明な事から、立ち絵も何もないものの実装が待ち望まれている筆頭格である。
 尚、そのドバイで記録した1分45秒52は、2000年に芝2000m→1800mに変更され(途中2002年~2009年に芝1777mの距離で施行された時期を含めて)、現在(2021年)に到るまで依然レコード記録として残っている

ジェンティルドンナ


 三冠牝馬として史上初の年度代表馬(彼女の活躍もあって、同世代のゴールドシップは皐月賞菊花賞の二冠+3歳有馬記念制覇がありながらも年度代表馬になれなかった)。コントレイルロジャーバローズ同様に父親はディープインパクトである。
 馬名の由来はイタリア語の「貴婦人」であるが、ファンからは「女傑」「アネゴ」と言われる程、凄まじい活躍を見せた。
 また、同じ時代に駆け抜けたオルフェーヴルゴールドシップ、そしてゴールドシップの盟友であるジャスタウェイとは数多くの名勝負を繰り広げている。

オジュウチョウサン(ウマ娘)
\オジュウチョウサン/


障害競走界きっての名馬。ゴールドシップと同じく、ステイゴールドの産駒。
新馬戦の不振をきっかけに障害競走へと転身したところ、才能が開花。2016年のJ・G1中山グランドジャンプでの重賞初制覇を皮切りに東京ハイジャンプ中山大障害等の障害重賞の勝ち鞍を席巻。特に中山グランドジャンプは初制覇から2020年まで勝ち鞍を譲らず、現状最多の5連覇を成し遂げている。
 その活躍から、「障害界の絶対王者」の異名を頂戴し、障害馬としては初のぬいぐるみ等のグッズも作られる等、障害馬のアイドルホースとして有名を馳せた。
 また、2018年には平地競走に復帰。福島の500万下のレースである開成山特別と東京の1000万下の南武特別を連勝した後(因みに此処まで障害競走でのキャリアを含めると11連勝している)、年末のグランプリ・有馬記念に出走。ファン投票ではレイデオロアーモンドアイに続く3位、本番では単勝オッズ9.2倍の5番人気に推される。レースではキセキに追走する2番手で展開を進めるものの、最終盤で追い込みをかけた馬群に飲まれ結果は9着。しかし、前年ダービー馬であるマカヒキに先着するという健闘を見せた。

トーホウジャッカル


 父親はスペシャルウィーク、母親はトーホウガイア。誕生日は2011年3月11日未曾有の大地震が日本を襲ったその日である。
 尾花栗毛の黄金の鬣を持ち、育成牧場の武田ステーブルでも期待されていたのだが、入厩直前に重度の肺炎と腸炎で生死の境を彷徨う。24時間体制での治療によって一命を取り止めたが、競走馬としてデビューできたのはダービー前日の未勝利戦。そのためクラシック登録もされていなかったが、鞍上の酒井学騎手はこの馬のポテンシャルに惚れ込み、せめて重賞を一つでも取らせてやりたいと考えていた。
 その後神戸新聞杯で3着となって菊花賞への優先出走権を確保、クラシックへの追加登録料200万円を払って出走した。すると何と3分1秒というレコードタイムで快勝。菊花賞レコードどころか、ナリタトップロードの残した日本レコードさえも1.5秒縮めるという快挙を成し遂げた
 しかし病魔に蝕まれた体は限界に近づいており、その後は体調不良や怪我に悩まされながらも何とか走り続けたが、ついに菊花賞の後は勝ち星を挙げることはできなかった。だが病気さえ無ければ発揮できたであろうポテンシャルを評価されてか、もしくはスペシャルウィークの牡系を繋ぎたいという意向があってか、2017年から種牡馬になった。
 ちなみに120億円事件の原因はトーホウジャッカルがうるさかったせいではないかと言われている。本当にそうだったのかはゴルシに訊かなければ分からないが(尚、この事件があった第56回宝塚記念ではトーホウジャッカルは外々に追われてしまい、4着に終わっている)。
 なお、アプリにて登場したウマ娘「リトルココン」が、ビジュアル発表当初はトーホウジャッカルではないかと推測されていた。

サトノティターン


 2002年、2003年に天皇賞秋と有馬記念(特に2003年の場合は共にレコード記録で優勝)を連覇した事で知られるシンボリクリスエスを父に持つ、2010年代後半に活躍した競走馬。馬名は冠名の「サトノ」にギリシャ・ローマ神話に登場する巨神達を意味する「ティターン(『タイタン』とも呼ばれる)」が由来である。
 生涯戦績は19戦6勝で主な勝ち鞍は重賞ではマーチステークス(GⅢ)(2019年)のみで、後は1000万下の是政特別(2018年)、1600万下の金蹄ステークス、「準重賞」と位置付けられるリステッド競走のブラジルカップ(共に2019年)。
 戦績を見ると一見パッとしないものの、特筆すべきはかの「兎に角大きい」事で知られるヒシアケボノを凌ぐ程、馬名に違わず非常に大きな身体の持ち主で、前述のマーチSを制覇した時の馬体重572㎏は2021年現在、JRAでの歴代重賞優勝馬の中では最重量を誇っている(※)。
 また、2020年12月6日に中京競馬場で行われたGⅠのチャンピオンズカップで出走した際の馬体重は592㎏であり、此方もGⅠ出走馬の中では歴代最重量として記録されているのだが、その馬体が災いしたのかその時のレースでは16頭中14着の惨敗を喫している。
 デビューが3歳(旧4歳)にずれ込み、更には古馬である4歳終了時点で僅か3戦しか出走が出来なかったほど、その大きな馬体から来る脚部の不安と生まれつきの体質の弱さに苛まれる事が多かったものの、堀宣行厩舎、ノーザンファーム空港牧場、ノーザンファームしがらきのスタッフは本馬を常に良い状態でレースに送り出すための努力を重ねてきた。その結果、サトノティターンは2021年6月19日のオープン戦であるスレイプニルステークス(結果は6着)をラストラン、つまりは現役競走馬では高齢である8歳まで走り続ける事が出来たのである。
 尚、引退後は社台グループの体験型公園・テーマパークであるノーザンホースパークで乗馬となる予定。
 
(※)マーチSでの勝利後、サトノティターンの前馬主である里見治(2018年より息子の里見治紀に代わっている)は報道陣の取材を受け、「(サトノティターンは)北斗の拳に出て来る黒王みたいな馬ですね」と表現した。
 因みにそれまでは1986年の京王杯スプリングカップ(GⅡ)を制したトーアファルコン570㎏が最重量であった(但し、GⅡ限定ならば現在もトーアファルコンが歴代最重量勝利である。因みに同馬はその他にも小倉3歳ステークス(1983年。まだグレード制が採用されていないが、現行と照らし合わせるとGⅢ)、1988年にはラストランとなったGⅢのCBC賞といった重賞をも制し、生涯戦績26戦8勝を残している)。GⅠのみに限定すれば1995年のスプリンターズステークスを制したヒシアケボノ560㎏が最重量(中央競馬限定。地方競馬を含めると2016年の東京大賞典を制したアポロケンタッキー565㎏が最重量である)で、オープン戦での勝利を含めれば2014年5月17日の京都競馬場で行われた、4歳以上1000万下のレースを制したショーグン626㎏が最重量である(但し、地方競馬を含めると2021年4月14日に行われた園田競馬場での第4Rで勝利したグラシーナも626㎏である為、現在ではタイ記録である。加えてショーグンは2015年1月17日の京都競馬場で行われた4歳以上1000万下のレースではばんえい馬を除けば最重量である640㎏の馬体重で出走、13頭中5着で掲示板入線を果たしている)。

ヒロイン列伝No.2「アエロリットちゃん」


 父・クロフネと同様に芦毛の馬体を持つ、ソダシの4歳年上の異母姉である競走馬。馬名の由来はフランス語で「隕石」を意味するもので、生涯戦績は19戦4勝(うち海外1戦0勝。アメリカのGⅠペガサスワールドカップターフで、10頭中9着という結果)。主な勝ち鞍はNHKマイルカップ(GⅠ)、クイーンステークス(GⅢ)(共に2017年)、毎日王冠(GⅡ)(2018年)。
 一見すると戦績はパッとしないものであるが2着入線(重賞を含めて全て芝1600~1800m台のレース)が7度あり、父同様にマイラーである事が窺える(但し、2019年の秋の天皇賞でも3着入線を果たしており、幾分か中距離への対応力も持っていた模様。とは言えど、流石に後述の有馬記念では前述のジャパンカップでのサクラシンゲキ宜しく、適性距離では無いのにもかかわらず終始逃げの態勢を取った末に玉砕している)。
 特徴としては4歳の春頃までは好位追走の競馬を主軸としていた。しかし同年の毎日王冠で逃げ切り勝ちを収めて以降は、海外レースを除き引退までの全レースで先頭に立ってレースを進めたばかりか、更に緩みないペースでレースを引っ張り、直線でも粘り切る展開を得意としており、本馬がハナを切る(レースの先頭に立つ事)展開を見せた2019年の5レースではレコード決着が2回(ヴィクトリアマイル・安田記念)、レコードまで0.2秒差以内の決着が2回(毎日王冠・天皇賞(秋))、引退レースとなった有馬記念も前半1000mを58秒台前半のハイペースで通過。道中では後続を大きく離す逃げを見せ、最終的にはスタミナ切れを起こして14着に終わったものの、レース自体は2010年以来9年振りに2分30秒台の高速決着となっており、名前通りまるで隕石が空を駆けるが如くレースの流れを加速させるペースメーカーとしての一面を持つ事でファンから認知されている。
 その後2019年12月27日付で競走馬登録を抹消。引退後はノーザンファームで繁殖牝馬となる。

キセキノテイオー


 かの優駿、トウカイテイオー最後の産駒(ラストクロップ)の一頭。
 長らく、生産者でもある乗馬クラブ「遊馬ランドグラスホッパー」で乗馬として活躍していたが、2021年、普通の競走馬ならば引退しても可笑しくない7歳という年齢でデビュー。
 競走馬から種牡馬入りし、トウカイテイオーの血脈を残すべく、ホッカイドウ競馬で奮闘している。

\アーモンドアイ/


 父親は顕彰馬となったロードカナロア、母親は2006年のエリザベス女王杯の覇者であるフサイチパンドラ、更に父方の祖父がキングカメハメハ、母方の祖父もサンデーサイレンスという優秀な血統を持ち、且つその家系に違わず、史上5頭目となる牝馬三冠に2018年のジャパンカップでは2分20秒6という、世界の芝2400mのレースタイムレコードを飾るJRA史上初の九冠馬になる等数々の輝かしい戦績も打ち出した最強牝馬である。

ロジャーバローズちゃん


 父親は6代目三冠馬ディープインパクトで、2019年の第86回日本ダービー優勝馬(鞍上は浜中俊)。
 このレースでは12番人気(93.1倍)と完全に伏兵扱いとされていたがスタートから常に2番手でマイペースに進め、直線に入ると先頭を走っていたリオンリオンを追い抜いて先頭に立ち、ゴール直前に同じディープインパクト産駒である異母弟のダノンキングリーに猛追を受けるもクビ差で制している。
 その日本ダービー制覇後にキセキサートゥルナーリア達と共にフランスの凱旋門賞に挑戦する事が決定しており、一旦放牧した後に厩舎に戻って調整をしていた矢先、8月6日にエコー検査で右前浅屈腱炎が発症していた事が判明。同日の内に現役引退を表明、種牡馬入りする事が決定した。
 ダービーで鞍上を務めた浜中は「自分をダービージョッキーにしてくれた馬。早い時期の引退は残念ですが、命を落とすようなケガではなく幸いでした。無事に繁殖に上がれるのは良かったと思います。ディープインパクトも亡くなり、後継種牡馬としていい子孫を残してもらいたい。また、その子供でダービーに挑めたらいいなと思います」とコメントを寄せた。
生涯戦績は6戦3勝。初の重賞挑戦となったスプリングステークス(GⅡ)での7着以外は全て連対(2着以内の入線)を果たしている。

メロディーレーン
メロディーレーン


 第7代目三冠馬・オルフェーヴルを父に持つ、とても小柄なことで知られる競走馬
 サラブレッドの平均的な体重は450~500㎏とされているが、彼女は最大でも348kgと非常に小柄である。
 大きいことで有名なヒシアケボノと比べておよそ6割ほど、JRA史上最高馬体重での出走記録(640kg)と優勝記録(626kg)をもつショーグンと比べておよそ5割程度の体重しか持っていない。
 しかしながら長距離走を得意とするステイヤーであり、2019年の第80回菊花賞では5着入線を果たしたり、2021年1月24日に小倉競馬場で行われた2勝クラスの「海の中道特別」(芝2600m)では優勝している。
 ちなみに、調教師が管理するInstagramアカウントがある。

ウマ娘「デアリングタクト」


 2020年、牝馬クラシック三冠を無敗で制覇(主戦騎手は松山弘平)。生涯戦績は8戦5勝(2021年4月25日現在)。
また、当馬の血統には父エピファネイアの母であるシーザリオの父…つまりは曽祖父としてスペシャルウィークがいる。

ウマ娘「コントレイル」


 2020年、牡馬クラシック三冠を無敗で制覇シンザンミホシンザン親子やシンボリルドルフトウカイテイオー親子が成し得なかった、父・ディープインパクトとの親子での無敗三冠馬となった。(主戦騎手は福永祐一)。
 尚、「コントレイル」という名の付く競走馬は2頭存在しており、本馬は「2代目」である(初代は2010年生まれで2代目より7歳年上。生涯戦績は2戦0勝《2012年の中山競馬場での2歳新馬戦と翌2013年の福島競馬場での3歳未勝利戦。いずれも5着で入線》である)。

レシステンシア色塗り🎀


 父親はダイワメジャー、叔母はダイワスカーレットであり、プリンニシテヤルノの異母姉に当たる競走馬(レシステンシアの方が1歳年上)。
 馬名は母親マラコスタムブラダの出身国であるアルゼンチン共和国北部のチャコ州の州都・レシステンシアが由来である。
 生涯戦績は12戦5勝(2021年10月3日現在)、主な勝ち鞍はファンタジーステークス(GⅢ)、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)(共に2019年)、阪急杯(GⅢ)、セントウルステークス(GⅡ)(共に2021年)。
 2019年10月14日の新馬戦では鞍上に武豊を迎え、1番人気で出走。見事2着のキーダイヤを1馬身1/4差で制して勝利を飾ってから上記の重賞2勝を挙げ、計3戦無敗でシーズンを終えた。特に阪神JFでは1分32秒7を記録。叔母ダイワスカーレットの最大の好敵手であるウオッカ(次いでハナ差で2着に入ったアストンマーチャンを含めて)が2006年に記録した1分33秒1を0.4秒上回るコースレコードを叩き出しており、且つこの勝利が高く評価されて2019年度のJRA賞最優秀2歳牝馬に記者投票満票で選出された。
 しかし翌2020年から2021年のセントウルSを迎えるまではデアリングタクトラウダシオングランアレグリアダノンスマッシュといった強豪馬と鎬を削るもいずれも屈しており、7戦中僅か1勝(阪急杯のみ。それでもこのレースで記録した1分19秒2は2016年のミッキーアイルと翌2017年のトーキングドラムが記録した1分19秒9を0.7秒上回るニューレコードとなった)に留まっている。
 それでも内容としては3着に1回(チューリップ賞)(GⅢ、2020年)、2着に3回(《桜花賞》《GⅠ、2020年》、《NHKマイルカップ》《GⅠ、2020年》、《高松宮記念》《GⅠ、2021年。この時はゴール手前で内から迫ったダノンスマッシュにクビ差で交わされている》)入っており、秋に再始動として出走したセントウルSでは最終直線で先頭に立つと猛追して来たピクシーナイトを凌いで重賞4勝目を挙げ、スプリンターズステークスの優先出走権を獲得。そして迎えたスプリンターズステークスではそのピクシーナイトにセントウルSでの御返しと言わんばかりに2馬身差を付けられて2着に入線。古馬である4歳になった現在でも他の強豪に引けを取らぬ実力は健在故、今後の活躍に期待が出来る。


世界初の白毛G1馬 ソダシ
ソダシウマ娘化


通算成績10戦6勝、うち4度のレコードタイムを叩き出した、ダートの強豪で有名なクロフネと、白毛に鹿毛の斑模様が入っている事で人気を博したブチコを親に持つ、白毛馬として史上初めて芝の重賞勝利・GI勝利を達成した馬。

ユーバーレーベン(妄想)


 2021年第82回オークスの覇者。馬名はドイツ語で「生き残る」という意味を持ち、父親はかの「不沈艦」という異名や、良くも悪くも「芦毛の怪物」として名高いゴールドシップである(但し、気性の激しい事で有名な父親とは反対にユーバーレーベンの方は非常に大人しい。今の所は、だが)。
 これまでゴールドシップの産駒は中々に勝利に恵まれておらず(重賞ではゴールドシップの初年度産駒の一頭であるブラックホールが2019年の札幌2歳ステークス《GⅢ》を制したのみ。但し、このレースの2着も同じくゴールドシップの初年度産駒サトノゴールドである為、ワンツーフィニッシュを果たしている)、このユーバーレーベンも例に漏れず優駿牝馬を迎えるまで新馬戦を制したのみの6戦1勝であった。とは言えども内訳ではアルテミスステークス(GⅢ)の9着を除くと全て3着以内に入線(札幌2歳ステークス《GⅢ》……2着、阪神ジュベナイルフィリーズ《GⅠ》・フラワーカップ《GⅢ》・フローラステークス《GⅡ》……3着)しており、決して内容は悪く無いものである。只、どうしてもステイゴールド産駒のエタリオウ(※)を彷彿させてしまう。
 この地道な積み重ねにより参戦できた優駿牝馬では8.9倍の3番人気で推され、鞍上は阪神JFから騎乗しているミルコ・デムーロ(但し、フラワーCの時だけは丹内祐次が騎乗している)で出走。
 このレースには過去3戦全敗と苦杯を喫している天敵のソダシや「アパパネの娘」ことアカイトリノムスメといった強敵揃いの中でのものであったが、ソダシが徹底的にマークされた上に初の2400mの距離に慣れず勢いが付かない所を尻目にユーバーレーベンは父親ゴールドシップ譲りのスタミナを維持していたのか、道中後方から最終直線で一気に差し切る競馬を展開。最後はアカイトリノムスメの追撃を1馬身差で振り切ってゴール。4戦目にしてソダシ(8着入線)に勝利した他、これによってゴールドシップ産駒による初のGⅠ制覇を果たした。
 当然Twitterでも大きな反響を呼び、アカイトリノムスメをもじって「シロイアレノムスメ」という変な渾名を付けられてしまった。因みに、同年の日本ダービーと同日に開催された目黒記念(GⅡ)で別のゴルシの娘であるウインキートスが勝ち鞍を上げている。
 更にはウマ娘のゴールドシップの声優である上田瞳もユーバーレーベンの勝利に祝福のコメントを残している
 母方が同時期に屈腱炎を患い引退しており、彼女もその血筋から逃れられなかったようでレース後左前屈腱部に炎症を起こしたが、父の頑丈さを僅かでも受け継いだのか、或いは命名が功を奏したのか屈腱部は辛うじて無事であり、競走馬生命はなんとか繋ぎ止めた。
 
(※)生涯戦績は17戦1勝だが、GⅠ(2018年の菊花賞)等の重賞を含め、7度も2着入線を果たしている為、ファンからは「最強の1勝馬」と呼ばれた競走馬(加えて獲得した本賞金1億9570万円《総額は2億448万2000円》は1986年以降にJRAでデビューした1勝馬の中で最高額の記録となった)。但しその一方で、父親ステイゴールド(3着入線は8度ある)と違って3着入線が一度も無い、完全なシルバーコレクターとしても知られている。引退後はヴェルサイユリゾートファームへ移動し、当初乗馬となる予定であったが、種牡馬入りとなった。

祝!デビュー!プニンニシテヤルノ!


 2020年デビュー。
 名前の由来はウマ娘と会社を同じくするゲームキャラクターの必殺技(ユニオンバースト)。
 名前ばかりに目が行きがちだが、血統もダイワスカーレットの半兄ダイワメジャーの子であり、ダイワスカーレットから見れば姪っ子にあたる。
 デビュー前から界隈では話題になっているものの未勝利が続いており、それでも2月20日と3月6日の小倉競馬場での未勝利戦では連続して掲示板への入線(共に4着)を果たしている為、今後の活躍が期待されていたが、7月18日の未勝利戦(11着)で敗れた3日後の7月21日、7戦0勝でJRAの登録を抹消された。
 その後サラブレッドオークションにて311万円で落札され、大井競馬へ転厩。9月7日の第1R(1993南関競馬相互)にて地方デビューし、初勝利を挙げた。

競走馬擬人化・オリジナルウマ娘まとめ1
未実装妄想ウマ娘メイケイエール


 馬主である名古屋競馬株式会社の中西肇社長がウマ娘に逆オファーをした事で話題となった牝馬。冠名の「メイケイ」は会社名の名と競からきている。2021年時点での主戦騎手は武豊
 主な勝ち鞍は小倉2歳S(GⅢ)、ファンタジーS(GⅢ)(この時叩き出した1分20秒1は現レコードタイムである)、チューリップ賞(GⅡ)。
 普段の調教では関係者から「品のいいお嬢様」等と言われる程大人しいが、レースになった途端人(馬?)が変わったように暴れまくるお転婆お嬢様。調教師曰く「前に馬がいるとムキになるようです」との事で、その暴れっぷりは主戦の武ですら制御不可能な程。真面目すぎる性格の所為でとにかく先頭へ立たなくては駄目だと思っている、という話もある。
 2021年の桜花賞では武の負傷により癖のある馬によく騎乗する横山典弘が騎手を務めたが、スタートで出遅れ、掛かりながら暴走し先頭に躍り出て、終盤の逆噴射でシンガリ負けを喫し、終いには銜(ハミ)受け不良で調教再審査を喰らうという衝撃のレース展開を見せた。
 ダイワスカーレット等もムキになって先頭へ出ようとする癖があったというが、ことメイケイエールに関しては横山騎手をして「競馬以前の問題」と匙を投げるレベルだった。桜花賞の結果を受けて陣営はオークスへの出走を回避。調教再審査にはあっさりと合格し、スプリント路線に活路を見出すべくキーンランドCに1番人気で出走。しかしレイハリアが目の前を通って前に出ると懲りずに暴走し7着
 次は一応GⅠのスプリンターズSへ向かう方針の模様。ネット上では「いっそのこと池添(謙一。癖馬にやたらと縁がある)を乗せれば」などと冗談半分に言われていたが、本当に池添騎手が起用された(因みにこの時、メイケイエールは7番人気で唯一の3歳牝馬としての出走となった)。
 果たしてどうなることか……?と多くのファンが期待と不安を膨らませた中で出走した結果、10番人気のシヴァージから2馬身半差の4着に入線(因みに1着は3番人気のピクシーナイト、2着は2番人気に推された後述のレシステンシア)。
 レース後、池添は「やっぱり、かかるね。スタートしてから(三浦)皇成タイセイビジョン(横山)和生エイティーンガールに迷惑をかけてしまった。いかに、リラックスできるかだと思っていたが、馬自身が行く競馬を覚えている。それでも、我慢させたし、コントロール出来ている方だと思う。一度、我慢を経験させたので、それが次に生きると思う」と次への期待が持てる前向きのコメントを残している。
 因みに血統を遡ると牝系はソダシと同じシラユキヒメに辿り着く。(競走馬は母系が強く、ソダシはメイケイエールにとって従兄弟にあたる)

テイエムケントオー


 顕彰馬テイエムオペラオー、名牝テイエムプリキュア等と同じく、竹園正継を馬主とする牡馬。
 彼の特筆すべきところは、生産したのが農業高校(北海道静内農業高等学校)である事と、幼名「健叶(けんと)」がそのまま競走名の一部になっている所である。
 良馬の見極めに定評のある竹園氏が、オペラオーを超える2750万円で購入したこともあり、今後の成長に期待が高まる一頭である。
 2021年、生徒達が応援しやすいよう札幌競馬場でのデビューを予定していたものの、諸事情で函館競馬場でデビュー。結果は出遅れが大きく響き、最後に良い追い込みを見せるが伸びきれず5着という結果となった。続く札幌での未勝利戦ではスムーズなスタートから先行し好位置に付ける。だが、最後の直線で驚異の末脚を見せたイェヴァンポルッカに競り合う他馬ごと差し切られ2着となった。
 しかし、2戦を終えた段階で全て掲示板に絡む好走を見せているため、今後の勝利に期待したい所である。

ダイヤモンドダストちゃん


 2021年8月現在、地方競馬(園田競馬)に所属している競走馬。
 父方の高祖父にカナダ産馬として1964年に初めてケンタッキーダービーを制する等18戦14勝の生涯戦績を残した他、種牡馬としても一代系統を築き上げる程、数多くの競走馬を輩出した事で知られるノーザンダンサーが、母方の祖父には中央・地方問わず多くの重賞レースで善戦を繰り広げたシーキングザダイヤがいる(更にはその母親であり、1997年にNHKマイルカップを制し、1998年にはフランスのGⅠレースであるモーリス・ド・ゲスト賞を日本馬として初めて制覇したシーキングザパールは本馬の曾祖母に当たる)。
 現時点(2021年9月23日)での生涯戦績は4戦2勝。初の重賞挑戦である第23回園田プリンセスカップでは位置取りの悪さが仇となったのか6着に終わったものの、馬場の善し悪しを問わず逃げを得意としており、今後の活躍に注目。
 

特殊な例

きっと琉球競馬もあるだろうと


 沖縄の伝統的な競馬「琉球競馬」(現地では『ンマハラセー』と呼んでいる)で活躍した名馬。昭和3年ごろに活躍したと推定される白毛の馬(因みにヒコーキはサラブレッドでは無く、日本在来馬の一種である『宮古馬』であり、更に宜野湾市の教育委員会はヒコーキは『赤い毛並』を持っていたと推測している)。
 「流麗な脚さばきで加速すると、長い尻尾を垂直に伸ばし軽やかにフワリと舞ってみせる。」とも形容された優雅な走りで歴史に名を残した。
 西原町史や浦添市史、宜野湾市史など沖縄本島各地の地誌に存在が示されており、各地の大会で優勝している名馬だったという。
 因みに琉球競馬は「速さで着順を決める」現代の競馬とは違い、速さの他にもその脚の運びのリズムや馬の姿勢の美しさ(優雅さ)という“美技”を競うものであり、『消えた琉球競馬』の著者である梅崎晴光は琉球競馬を「美技を競う2頭立てのフィギュアスケート」と表現している。
 琉球競馬は1943年を最後に太平洋戦争の影響で途絶えたが、2013年に70年振りに再び伝統競技として復活している。

海外調教馬

海外ウマ娘を参照。

競走馬以外

バロンの愛バ


 競走馬ではなく、馬術競技用の競技馬。
 アングロノルマン種の競技場。フランス生まれだが、1930年にはイタリアに渡っていた。
 しかし騸馬にも関わらず気性が荒かったこと、体高が161cmと大型だったため誰も乗りこなせなかった。
 その性格故に馬主は手放したがっていたところ、1930年4月、軍務でイタリアを訪れていた日本陸軍の騎兵将校・西竹一と出会い、彼によって購入される。
 西だけはウラヌスを見事に乗りこなし、ヨーロッパの馬術競技で好成績を収め、1932年のロサンゼルスオリンピックでは馬術大障害飛越競技にて金メダルを獲得。現在に至るまで、日本人がオリンピック馬術競技で優勝したのはこのときだけである。ウラヌスはこのとき、最終障害にて自ら後ろ足を捻って飛越を成功させた。
 しかし、当時は軍の機械化が超スピードで進展していた時期であり、西は馬から戦車に乗り換えたのち、1945年に硫黄島の戦いで戦死。その一週間後、引退して余生を送っていたウラヌスも後を追うように亡くなった。
 前述の通り気性の激しいウラヌスだが西とは強い絆に結ばれ、太平洋戦争中に西が引退したウラヌスに会いに行くと、ウラヌスは足音を聞いただけで喜び、首をすり寄せたという。西もまたウラヌスが自分の数少ない理解者であると語っていた。

それ以外のウマ娘

 競走馬の擬人化というテーマから、フィクションに登場する馬をウマ娘化したイラストももちろん存在する。
 漫画やゲームに登場する馬は勿論のこと、中には二次創作と完全オリジナルのものもあったりする。
 ここでは著名なものを紹介する。

北斗の拳

ウマ娘「黒王号」


ご存知北斗の拳に登場する覇者ラオウが騎乗する愛馬
2mを超える巨漢のラオウが騎乗してもなお存在感が衰えることない巨体であり、その蹄は象の足かと見まがうほどに巨大。並みのモヒカン程度ならば踏みつぶして圧〇させる、主人同様に剛の脚を持つ。北斗無双などの外部出演ではこれらを踏まえて文字通り雑魚を蹴散らして走る姿が拝める。
史実におけるテイエムオペラオーの二つ名に「世紀末覇王」という直球でこれを想起させるものがある。
ラオウ以外の人物を鞍上に乗せぬ気高い馬であったが、彼の死後はケンシロウユリアを背に乗せて各地を旅した。
(…っえ? レースには縁がない? いやぁでもSTARH○RSE3には出走してるしなあ…)
なお、ジャンプアルティメットスターズ等でラオウだけが出演してても度々話題に上がり、両津勘吉が馬主になってレースに出そうと企んだり、下記カスケード一度勝負してみたいとコメントしたり、なんだかんだラオウ自身のトレードマークにもなっていた。

みどりのマキバオー

ウマ⋯娘⋯?
マキバオ-  X タマモクロス


お前の伝説は語り継がれる みんなの記憶に残り続ける
伝説は僕が引き継いでみせる
あのカスケードのライバルは こんなにもすごい奴なのかって
そう世界中の競馬ファンに見せてやるんだ! 
 週刊少年ジャンプにて連載されていた競馬漫画「みどりのマキバオー」の主人公。
 とても馬とは思えない小さな体をしているが、心臓は従来の競走馬と同等の大きさを持ち、信じられないほどのタフネスを得ている。生来よりムスタング(野生馬)走法と呼ばれる、左右の脚を同じタイミングで繰り出す強靭な蹴り足を持ち、逃げ、差し、先行などあらゆる戦法に対応できる潜在能力を持つ。他の馬が整備された芝の上でトレーニングに励む最中、陣営共々モンゴルに飛び調教師の旧友に預けられ野生の狼と死闘を繰り広げるなど、実際の競走馬ではありえないマンガならではなトレーニングも施された。
 本来は気弱で幼く臆病な性格だったが、借金苦から幼くして母馬ミドリコを別の牧場に売り飛ばされて以来、売りに出されたミドリコを取り戻すべく日本一の競走馬を目指すようになる。森で出会った野ネズミのチュウ兵衛を親分として迎え入れ、正規騎手が登録されてからも幾多の苦難を共にするようになる。しかし、デビュー戦以前に惨敗したカスケードとの出会いから競走馬としての闘志に火が付き、以降数多くのライバルや師、強敵(とも)との出会いや対決、そして別れを経て成長してゆき、やがて作中競馬界(そして現実の)の歴史を塗り替えるレジェンドホースとなっていく。
 元来持ち合わせたのんびり屋で心優しい気性は決して失うことなく、それがレースで『熱血』として良い方向で発揮するときもあれば、対決を放棄しかねない『弱さ』としても持ち合わせてしまう。
 サラブレッドとしての異常ともとれる体型や奇抜な走法に目が行くが、真に特筆すべきは逆境の中で育まれた負けん気と支え続けてくれた者達へとの絆から生まれた途方もない底なしのド根性であり、マンガだからこそ成立する常識破りのレースを展開し続けた。
 モチーフ元の競走馬はタマモクロスとされているが、境遇が似ていると作者が言っただけで明確なモデルではない。とはいえ、ウマ娘シンデレラグレイではコラボ企画したりJRA直々に言及があったり甥っ子の父にタマブクロスというとんでもない馬名があったりと、完全な無関係ではなくなった。なお血統構成としてはウイニングチケットが近かったりもする。
 地獄先生ぬ~べ~るろうに剣心などと並び90年代後半の少年ジャンプを支えた大黒柱であり表紙も務めた顔役だったが、未だに競馬会場などではマスコットキャラクターとして活用されていたり、現実の競馬ブームにも影響を与えていた。奇しくも作品が連載終了の1998年、スペシャルウィークら率いる黄金世代の大活躍が始まった。

カスケード
漆黒の帝王(ウマ娘)


血だけじゃねえんだ!
おれ達ターフで命をかけている者にしか
わからねえものがあるんだよ!
 同じく、「みどりのマキバオー」より、主人公ミドリマキバオーの最大のライバル。
 一見するとただひたすらに勝利を目指すマシーンのような冷徹な性格に思えるが、それは志半ばで夢を断たれ種牝馬となり、自分を産み落とすと同時に先立った母馬ヒロポンに無敗の三冠を送る為であり、ターフを駆ける者としての矜持や情熱は本物。
 追い込みを得意とし、対戦する有力馬たちのプライドをことごとく潰してきたことから「黒い殺し屋」と呼ばれた。幼くして古馬相手に挑発を吹っ掛けるような豪胆な性格でありながら、自身が認めた者へは(例えネズミであっても)最大限の敬意を持って接するため、他の競走馬からも憧れの存在や超えるべき壁として存在感を放っている。世代最強格として終始マークされており、アマゴワクチンニトロニクスなど同世代でカスケードをライバル視する者は多いが、圧倒的な実力でこれらをねじ伏せてきた。
 しかし凱旋門賞遠征の折に不治の病、シャルコー・マリー・トゥース病(※)が発覚し、決死の思いで有馬記念に出走してマキバオーと命がけの死闘を繰り広げる。(※現実にもキングヘイローの父がこれを発症し競走馬を引退している)自身の病状を思いやりペースを落とすマキバオーに「見くびっていた」「最低の競走馬」と極めて厳しい𠮟咤激励を飛ばし、特攻同然で残る力を振り絞り最後の黒い旋風を引き起こす。その強烈な姿勢でもってマキバオー含む後続馬たちにこの作品、および続編のテーマである「無謀でも挑戦しつづける魂」を伝えると、その短い現役時代に幕を下ろした。
 モチーフ元の競走馬は外見がフジキセキ、戦績はシンボリルドルフとされる。
 そのライバルキャラとしての完成度の高さから、未だにマンガ史に残るライバルキャラとしてカスケードを挙げる者も多い。既に連載同時代から「モデルはあしたのジョーに登場する力石徹ではないか?」という分析もあった。
 なお、ウマ娘のアニメ2期ではトウカイテイオーがカスタードのたい焼きを注文する際に「カスケ……」と言いかける場面がある。
 またシンボリルドルフの同期でカスケードという馬は実在し、ルドルフの勝った弥生賞に出走している。

アマゴワクチン


タイトルの数や賞金の為じゃねえ!
奴の誇りってのはそんなもんじゃねえんだよ!
だからこそ、奴は誰もが認める王者なんだ!
 同じく、「みどりのマキバオー」より上記二頭に並ぶ実力を持つ名馬。
 鼻先のシャドーロールがトレードマーク。
 二冠馬である全兄ピーターⅡがいたが、血統から来る足元の故障でターフを去ることとなってしまい兄から三冠馬の夢を託される。元来はマキバオー同様の気弱な性格だったが、ピーターⅡから「『尼子』の冠名を託されたお前こそが期待された子だった」と聞かされて以来、兄の夢を継ぎ、兄の夢を叶え、そして兄を超えるために奮闘を決意する。しかし兄の引退を誘発するような対決をしたカスケードに敗れ去る事で、今後は世代最強のカスケードに勝つこと目標とし、マキバオー同様ライバルたちとの激闘の日々に身を投じる。
 得意戦法は逃げだが、作戦によっては追い込みに出ることもある。ピーターⅡの影響でデビュー以前から有力株としてマークされるも、兄同様にレースのペースメーカーとして周囲の展開を支配し、時に罠を仕掛け、同世代のライバルたちと幾度となく知能戦を繰り広げる。有馬記念では兄の引退後に頭角を現したトゥーカッターと並び、「ピーターⅡ不在によって実力を軽んじられた」という怨嗟を向けられると「俺も『ピーターⅡの弟なのに』と言われ続けた」と返し、エリート血統ならではの苦しみを零した。
 モチーフは「シャドーロールの怪物」ことナリタブライアンとされる。こちらも半兄弟のビワハヤヒデがおり、幼少期は自分の影に怯えるほど小心者だった。また作中見せた「序盤大逃げで突き放した後ペースを緩め、後続が追い付いてきたところでまた上げて相手のスタミナを消耗させる」といった戦法を連載終了直後にセイウンスカイが実践してみせた。

ウイニングポスト

アプリのウマ娘にありがちな謎コラボ


 競走馬育成シミュレーションゲーム「ウイニングポスト」シリーズに登場する架空馬。
 シリーズ恒例の要素として登場する架空馬で、トウカイテイオーを父に持つ。
 母馬はスカーレットリボンスカーレットブーケファレノプシスとシリーズを経て変更されているが、父は一貫してトウカイテイオーである。
 また、シリーズ中のほかの架空馬にはダイタクヘリオスダイイチルビーの恋が実ったというifの下に生まれてくるファーストサフィーなど、個性的な架空馬が数多く登場する。

その他フィクションの馬

 さらには「固有名を持つ名馬の擬人化」に発展させたネタとして、競馬とは無縁の時代・世界で活躍した馬もウマ娘化されていたりする。

ウマ娘 war horse


 マイケル・モーパーゴによるイギリスの児童文学「戦火の馬」に登場するサラブレッド。
 サラブレッドながら農家に買われ、畑の耕作などで働き、農場の息子であるアルバートとも絆を深めていった。
 しかし、金目当ての農場主に軍馬として売られ、軍に入ることになる。
 そして、訓練を積んだジョーイは、将校の乗馬として過酷な第一次世界大戦の戦場に身を投じていくのだった・・・・・

その他には乗り手だけでなく本人(本馬?)もやたら強いワシの愛馬や、

フウウンサイキちゃん


センシティブな作品



 人中最強美髭武神を鞍上に三国乱世を駆け抜けた伝説の馬(と、それらが混ざった馬かどうかすら妖しい謎の英霊)や、

赤兎馬♀



 明らかに馬かどうかも怪しいヤツなどが、ウマ娘にされているものもある。

ハリボテエレジー(ウマ娘アレンジ)


ウマ娘ハリボテエレジー 勝負服Ver.



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競馬 ウマ娘プリティーダービー 競走馬擬人化 二次オリ

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