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フリオーソ(ウマ娘)

うまむすめのふりおーそ

ウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。モチーフ馬は2000年代後半から2010年代前半にかけて活躍し、地方競馬の船橋競馬場に所属しNAR記録を次々塗り替えた船橋のレジェンドホース『フリオーソ』号。
目次 [非表示]

「鍛錬を始めましょう。……私には、負けられない理由がある」

プロフィール

キャッチコピー-
誕生日5月1日
身長161cm
体重きっちり
スリーサイズB81・W53・H78
靴のサイズ-
学年-等部
所属寮-寮
得意なこと-
苦手なこと-
耳のこと-
尻尾のこと-
家族のこと-
ヒミツ
自己紹介
CV西連寺亜希

船橋トレセン学園から訪れた、特別留学生。

誠実で物静かなウマ娘だが、その胸の内には誰よりも熱い船橋への愛情を宿している。

船橋の強さを証明するために、掲げる目標はひとつ──打倒、中央

公式ポータルサイトより)


概要

メディアミックス作品『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘

3周年に合わせて2024年2月22日の「ぱかライブTV」で追加が発表された9人の内の1人。


モチーフは地方(船橋競馬場)所属のままで数々の中央馬と渡り合い、NARの記録を次々と塗り替えた07世代の競走馬「フリオーソ」号。




地方競馬所属かつデビューから引退まで地方所属のまま(=中央への移籍経験無し)であった競走馬のウマ娘化はハルウララ(高知競馬)に続き2人目となる。また、世界を代表する競走馬管理組織のゴドルフィンがオーナー(名義上はグループの生産部門を担うダーレーグループの日本の現地法人であるダーレー・ジャパン・ファーム)の競走馬は史上初。


勝負服は馬主ではなく主戦の戸崎圭太騎手の勝負服の、青地に胴赤散らしのデザイン(戸崎騎手は元々地方競馬の騎手であり、地方だと馬主ではなく騎手によって服が変わる)とメンコの市松模様が元になっている。

また、初登場となったトランセンドの育成ストーリーでまあまあの天然ぶりを見せたことから、性格面についても戸崎騎手の要素が入っているのではないかと推測されている。(戸崎騎手は競馬学校入学後まで地方と中央の違いを知らなかったり、ジェンティルドンナに対して「凄味が凄い」とトプロ構文的なコメントをする、短期免許で来日してきた外国人騎手に鶏の唐揚げを薦める時にバードと連呼する等の天然エピソードが多い)


競走馬『フリオーソ

2004年生まれの栗毛牡馬07世代)。

父は大種牡馬ブライアンズタイム。母ファーザはこれまた大種牡馬であるミスタープロスペクターを父に持ち、牝系は代々フランスの重賞馬で4代母はGⅠ馬。近親には「鉄の女」トリプティク、英愛ダービー馬ジェネラスがいるほか、日本での活躍馬にはオースミタイクーンクロカミもこの牝系に連なる。

主戦騎手は内田博幸戸崎圭太。どちらも地方競馬(大井競馬場)出身で現在はJRAに移籍して活躍中の名手であり、特に地方競馬時代の戸崎騎手の代表的騎乗馬として名高い。


馬主は当初ダーレー・ジャパン・レーシングだったが、後にダーレー・ジャパン・ファームに名義が変更された後、最終的に「H.H.シェイク・モハメド」に変更された。

これらはいずれもアラブ首長国連邦シェイク・モハメド殿下(同国副大統領兼首相)をトップとする世界的な競馬組織ゴドルフィンの当時の日本での馬主名義である。この頃から本格的に日本競馬へ進出したゴドルフィンだったが、当時は地方競馬の馬主資格を持っていたが中央競馬の馬主資格は持っていなかった。そのため、フリオーソは地方競馬からデビューする運びとなった。

その後、ダーレー・ジャパン・ファームはフリオーソのデビューの翌年の2007年7月に中央競馬の馬主格を取得したが、同年11月に僅か4か月で資格取消を申請して撤退(地方競馬では引き続き所有している他、現在では生産者としての活動がメインとなっている)。時を経て2009年にモハメド殿下は「H.H.シェイク・モハメド(H.H.はHis Highness=殿下の意)」という名義で中央競馬の馬主資格を取得しており、それ以降は中央の厩舎をメインに預託している。そして、2018年3月に「ゴドルフィン」に名義を変更し、合わせてそれまでの「海老、白袖、海老一本輪」の勝負服も「青・袖水色1本輪」という、ゴドルフィンを象徴するロイヤルブルーを基調としたものに変更した。


船橋競馬場の名門川島正行厩舎に所属し、石崎隆之騎手を背に2歳7月にデビュー。危なげなく2連勝するが、3戦目の平和賞(当時SⅢ)でハナ差2着に敗れる。しかし強気に交流GⅠ(JpnⅠ)全日本2歳優駿に出走すると、中央馬を退け2馬身差で優勝。GⅠ級競走初制覇を果たす。


3歳時には川島調教師の意向により中央の芝レースに挑戦するも共同通信杯(GⅢ)で7着、スプリングS(GⅡ)で最下位11着と惨敗。この結果を受けて南関東クラシックに目標を切り替えるが、こちらでも羽田盃(当時SⅠ)3着、東京ダービー(当時SⅠ)2着と勝ちきれないレースが続く。しかしジャパンダートダービー(当時JpnⅠ)では今野忠成騎手を背に中央勢を相手に完勝。東京ダービー馬アンパサンドと地方馬ワンツーを飾る。

秋はJpnⅠJBCクラシック(大井競馬場開催)に参戦するがヴァーミリアンの2着。GⅠジャパンカップダート(現GⅠチャンピオンズカップ)で10着に惨敗すると、東京大賞典(当時JpnⅠ)もまたもやヴァーミリアンの2着。秋シーズンはヴァーミリアンの前に手も足も出ずに3歳シーズンを終える。


4歳はJpnⅠ川崎記念から始動。ヴァーミリアンがいないここはチャンスだったはずが、フィールドルージュの2着に敗れる。しかしJpnⅡダイオライト記念で終生のパートナーとなる戸崎騎手と初コンビを組むと、アジュディミツオーボンネビルレコードを5馬身千切り捨て圧勝。続くJpnⅠ帝王賞は逃げ切って完勝し、GⅠ級競走3勝目を挙げる。

夏の休養明けのJpnⅡ日本テレビ盃では圧倒的1番人気に推されるがボンネビルレコードに差され2着。その後初めて関東を飛び出したJBCクラシック(園田競馬場開催)ではヴァーミリアンだけでなくメイショウトウコンにも交わされ4着。ジャパンカップダートは復活したカネヒキリの前に7着。東京大賞典もメンバーが揃ったとはいえ5着と不完全燃焼に終わる。


5歳初戦の川崎記念も惜しくもカネヒキリの2着に敗れ、相手が一気に軽くなったダイオライト記念は楽々逃げ切り連覇達成で久々の勝利を挙げる。しかしJpnⅠかしわ記念エスポワールシチーの前に5着。帝王賞はヴァーミリアンにまたも突き放され2着。JpnⅡブリーダーズゴールドカップは当時まだ交流GⅢ&GⅡ大将だったスマートファルコン相手に4着。脚部不安でしばらく休養し、ぶっつけで東京大賞典に挑むがサクセスブロッケンらの7着と惨敗。前年以上に煮え切らないまま1年を終え、2年連続で受賞していたNAR年度代表馬の座も逃してしまう。ちなみに、この年のNAR年度代表馬は全日本2歳優駿を制した笠松の2歳牝馬ラブミーチャンだった。


6歳時は3年連続で川崎記念に出走。ミルコ・デムーロ騎手を鞍上に迎えたこのレースでは前年に続いて逃げの手に出るが、ここでも後ろに張り付いていたヴァーミリアンに交わされクビ差2着。ダイオライト記念はやはり逃げるが5着に沈み3連覇を逃す。更にかしわ記念はエスポワールシチーに差されて2着とどうにもこうにも勝ちきれないレースが続いた。しかし帝王賞では2番手追走から直線ではカネヒキリ以下を完璧に封じ込め、2馬身半の差を付け完勝。4歳時の帝王賞以来丸2年ぶりのGⅠ級競走4勝目を飾る。

秋初戦の日本テレビ盃もトランセンド、スマートファルコンの強豪2頭を相手に回し2馬身半差で完勝。しかしJBCクラシック(大井競馬場開催)と東京大賞典は高速逃げの戦法で覚醒したスマートファルコンの前に手も足も出ず完敗の2着。それでも久々のGⅠ級勝利もありNAR年度代表馬を2年ぶりに受賞。


7歳初戦は4年連続となる川崎記念に出走。有力馬が次々と回避した結果、2番人気と3番人気が当時主な勝ち鞍が1600万下だったボランタスメイショウタメトモという今までと比べると見劣りするようなメンバーとなりフリオーソは単勝元返しの1番人気に応え逃げて5馬身差の圧勝。4度目の挑戦で念願の川崎記念制覇を果たしGⅠ級競走5勝目を挙げる。更に中央のGⅠフェブラリーステークスに挑戦し、珍しく後方から上がり最速の末脚で迫るがトランセンドを交わすには至らず2着。この2着でGⅠ級競走通算10度目の2着となり、シーキングザダイヤを抜いて史上最多となった。

続くかしわ記念では3番手から進出すると、今度はエスポワールシチーを寄せ付けず3度目の挑戦にして念願の初制覇。アジュディミツオーを超えるGⅠ級競走6勝目を地元船橋でマークする。しかしその後は脚部不安などもあり長期休養に入った。


8歳になった2012年も現役を続行。5年連続で川崎記念に挑むが伸びを欠き、スマートファルコンから大きく離された3着に敗れ連覇を逃す。その後はダイオライト記念5着、かしわ記念は再びエスポワールシチーに突き放され2着、引退レースの東京大賞典も6着。ボンネビルレコードと共に引退式を挙げ、惜しまれつつ現役を引退した。


生涯通算成績39戦11勝。2着が14回でうち11回はGⅠ級競走というシルバーコレクターであった。詰めの甘いところもあったが、勝つときには他のダートの強豪も寄せ付けないほどの強さも見せた。獲得賞金8億4544万6000円はアブクマポーロを超え地方所属馬として史上最多。史上初めてNAR年度代表馬を4回も受賞した。更に、GⅠ級競走での2着11回と17連対は日本記録である。


引退後は馬主の系列会社であるダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスで種牡馬入りとなった。地方馬であるが故に状況は厳しいが、ヴァーミリアンと同じ種付け料と比較的期待された。産駒は初年度から地方で活躍し、NARでファーストシーズンリーディング種牡馬を獲得。その後も順調に地方競馬で成績を伸ばしている。中央では厳しい戦いが続いているが、リステッド競走勝ち馬テルペリオンが出るなど少しずつ実績を残す産駒も現れつつあり、2019年には地方サイアーランキング5位にまで躍進した。


備考

ゲームでの初登場

実はウマ娘化発表以前、ワンダーアキュートの育成イベント「おばあちゃんよ、永遠なれ」に登場している。

外見は不明で、名前は「ウマ娘F」。その際には同じ3周年で追加されたダート組のウマ娘E(エスポワールシチー)、ウマ娘T(トランセンド)も一緒だった。


ゴドルフィンとウマ娘

ゴドルフィンはアラブ首長国連邦の首相であるシェイク・モハメド氏が代表であり、群像崇拝が厳密に禁止されるイスラム教徒であることやアラブの王族であることからキャラクター化が最も難しい交渉相手なのではないかとされていた。

なお、実際にはゴドルフィン側はウマ娘関連馬の種付けが増加したことからウマ娘に対して好印象であり、22年10月の時点で所有馬のウマ娘化についての会議を行っていた模様。その中にはフリオーソも入っていたため、この会議の結果フリオーソが先陣を切る事になったようだ。

実際の記事(韓国語)

翻訳


関連ウマ娘

モデル馬が地方競馬所属

ハルウララ(ウマ娘):高知競馬場所属。

【地方→中央移籍】

オグリキャップ(ウマ娘):笠松競馬場所属。

イナリワン(ウマ娘):大井競馬場所属。

ユキノビジン(ウマ娘):盛岡競馬場所属。

【中央→地方移籍】

ツインターボ(ウマ娘):上山競馬場(現在は廃止)に移籍。

ダンツフレーム(ウマ娘):現役引退→荒尾競馬場(現在は廃止)で復帰→浦和競馬場に移籍。

※ブライアンズタイム産駒繋がり


ブライアンズタイム産駒繋がり

ナリタブライアン(ウマ娘)

マヤノトップガン(ウマ娘)

・ダンツフレーム(ウマ娘)

タニノギムレット(ウマ娘)

ノーリーズン(ウマ娘)


同期(07世代

ウオッカ(ウマ娘)

ダイワスカーレット(ウマ娘)

アストンマーチャン(ウマ娘)

※上記の3人はいずれも元が牝馬であるため、この世代の牡馬のウマ娘化はフリオーソが初となる。なお、地方所属かつダートを主戦場としていたためいずれとも対戦経験は無い。


GⅠ級6勝馬

アグネスデジタル(ウマ娘)

スマートファルコン(ウマ娘)

オルフェーヴル(ウマ娘)

ゴールドシップ(ウマ娘)

・オークスウマ娘:モチーフ馬ブエナビスタナカヤマフェスタの育成ストーリーに登場。


関連項目

ウマ娘プリティーダービー ウマ娘

フリオーソ


サトミアマゾン…『みどりのマキバオー』に登場する架空の競走馬で、同じく船橋競馬場所属。

フリオーソのキャラクター紹介文からサトミアマゾンを想起したトレーナーも多かった。

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