シーキングザダイヤは2001年3月1日生まれ、父ストームキャット、母シーキングザパール。通算30戦7勝。
名牝シーキングザパールの子供として期待されていた。
2003年デビュー、2004年アーリントンCで受賞初制覇、NZTを母子制覇するがNHKマイルCは7着。ダートに矛先を変え兵庫GTでダート重賞を制覇する。
2005年からシーキングザダイヤの長い苦悩が始まる。川崎記念でタイムパラドックスの2着、フェブラリーSでメイショウボーラーの2着、南部杯でユートピアの2着、JCダートでカネヒキリの2着、東京大賞典でアジュディミツオーの2着、とGIで2着5回。
2006年川崎記念でアジュディミツオーの2着・フェブラリーSでカネヒキリの2着、JBCクラシックでタイムパラドックスの2着、JCダートでアロンダイトの2着、とGIで4回2着に入りついにGI2着9回目。
2007年フェブラリーSは1番人気だったが9着と勝てず無冠の帝王を返上出来なかった、この辺りから衰えが見えGIで好走する事が出来なくなり12月を最後に引退。
2008年の1年のみ日本で種牡馬をした後アメリカに輸出され、更に2013年の上半期の終了後チリに輸出されている。アメリカ時代の産駒がインドで持込馬として走り大レースを複数勝利したり、チリで2度リーディングサイアーに輝いたりと種牡馬としては海外での活躍が目立っている。
GI未勝利の馬としては史上最多のGI2着回数記録を誇っている。GI馬ではフリオーソがGI2着10回の記録を持つが、GIを勝っていない馬としては非常に珍しい。
ライバルと対戦成績
余談
ウイニングポストシリーズで「牝馬のシーキングザダイヤ」が登場していた時期がある。これは本馬が設定ミスで牝馬として登場したわけではなく、繁殖牝馬が仮名で登場する時期に本馬の母・シーキングザパールをモデルとした馬に偶然同じ名前が設定されていただけである。
関連タグ
毒親の被害者 馬なり1ハロン劇場においては完全にこの立ち位置。
非関連タグ
作者はキャラが立っているし入会の必要はないと思っていたが、上述の通りの成績を上げた物だから描くのに苦悩したらしい(なお結局最後まで入会しなかった模様)。