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概要編集

アメリカ生産・調教の競走馬種牡馬

ケガのため8戦走っただけで引退したが、種牡馬として大成功をおさめた。

主な勝ち鞍はヤングアメリカステークス(1985年)。


プロフィール編集


略歴編集

1983年

2月27日、ウィリアム・T・ヤング所有のオーバーブルックファームケンタッキー州)で誕生。

父のストームバードはノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭で、産駒にはスキーキャプテンなどがいる。ストームキャットは初年度産駒であった。

母のターリングアは「ビッグ・レッド」と呼ばれたセクレタリアトの産駒で、現役時代は重賞5勝を挙げた。


1984年

病気にかかったためキーンランドセールへの出品は取り止めとなり、ヤングの所有馬として走らせる事になった。

障害競走馬を多く手掛けアメリカ競馬殿堂入りを果たしたこジョナサン・E・シェパード調教師に預けられた。


1985年

8月11日、サラトガ競馬場の未勝利戦(ダート6ハロン)でデビューし、マスティンレイクに頭差の2着に敗れた。

8月21日、サラトガ競馬場の未勝利戦(ダート6ハロン)に出走し、初勝利。

9月9日、メドウランズ競馬場の一般競走(ダート6ハロン)に出走し1着。

9月28日、ワールドアピールステークスに出走し1着で入線したが、進路妨害によりダンジグコネクションの2着に降着。

10月10日、ヤングアメリカステークスGⅠ)に出走し、コースレコードで1着。

11月2日、ブリーダーズカップジュヴェナイル(GⅠ)に出走し、タッソに鼻差の2着に敗れた。

12月、右前脚を骨折して手術を受け、長期休養となる。


1986年

10月31日、1年ぶりに一般競走で復帰し1着。

11月22日、アナポリスステークスに出走し、ミッドナイトコールの4着に敗れた。左前脚を故障したため引退となる。


1988年

オーバーブルックファームで種牡馬入り。産駒はパワーに優れ、早熟で頑丈な馬が多かった。


1991年

初年度産駒のハーランノーベンバースノーがGⅠ勝利。


1992年

北米2歳リーディングサイアーとなる。


2004年

馬主のヤングが死去。


2008年

5月、受胎率が低下し、サラブレッドの種牡馬を引退。人工授精が認められるクォーターホースの種牡馬となるが、冷凍保存された精液で誕生したクォーターホースは1頭だけだった。


2009年

オーバーブルックファームは所有馬の大半を手放したがストームキャットは留まり、余生を過ごす。


2012年

北米リーディングブルードメアサイアーとなる。


2013年

4月24日、高齢による合併症で安楽死の処置がとられた(30歳)。


主な産駒編集

ノヴェンバースノウ デザートストーマー ミストゥザストーム ミストルキャット サーデュラ タバスコキャット フォレストワイルドキャット シルケンキャット ヘネシー アルディザ シャープキャット アルジャブル カティンカ キャットシーフ タクティカルキャット フォレストリー ジャイアンツコーズウェイ ハイイールド ファインダーズフィー ブラックミナルーシュ レイジングフィーバー ソフィスティキャット ネブラスカトルネード ストームフラッグフライング ホールドザットタイガー グッドリワード ワンクールキャット スウィートカトマイン コンソリデーター アフターマーケット ブルーグラスキャット ミスターシドニー ライフイズスウィート コレイジャスキャット シーキングザダイヤ スタープログラマー ゲイリーイグリット フサイチギガダイヤ


関連タグ編集

86世代 競走馬 種牡馬

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