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概要編集

日本の競走馬。日本調教馬として初めてケンタッキーダービーに出走した。

主な勝ち鞍はきさらぎ賞(1995年)。

日本で種牡馬として供用された後、ニュージーランドへ輸出された。

半姉にスキーパラダイス(父:リファール)、半兄にスキーチャンプ(父:アイスカペイド)がいる。


プロフィール編集


略歴編集

1992年

4月24日、かつて社台ファームの米国法人だったフォンテンブローファーム(ケンタッキー州)で誕生。

父のストームバードはイギリスアイルランドの2歳牡馬チャンピオンとなり、種牡馬としては大種牡馬ストームキャットを輩出した。

母のスキーゴーグルはエイコーンステークス(GⅠ)などを勝ち6戦5勝の成績を残した。

生まれた時から好馬体の持ち主で、社台レースホース代表・吉田照哉は最初から「この馬でケンタッキーダービーを」と決心していた。


1993年

日本へ輸出され、育成・調教を積まれる。


1994年

栗東の森秀行厩舎へ入厩。

10月9日、武豊騎手を鞍上に阪神競馬場の新馬戦(芝1600m)でデビューして1着。後方待機から直線一気に伸びサンデーシチーを差した。

11月13日、京都3歳ステークスオープン)に出走し1着。再び後方2番手から豪脚を発揮した。

12月11日、朝日杯3歳ステークスGⅠ)に出走。出遅れとスローペースが祟り、フジキセキにクビ差の2着に敗れた。


1995年

2月5日、きさらぎ賞(GⅢ)に出走し1着。後方待機からの追い込みで重賞初制覇となった。外国産馬であるスキーキャプテンには日本に目標とするべきレースはなく、社台レースホース会員の理解を得てケンタッキーダービー(GⅠ)に挑戦することになる。

5月2日、ケンタッキー州ルイヴィルへ到着。賞金的に出走できるという保証がなかったため、それを見極めた上での日本出発で、強行日程となった。

5月6日、チャーチルダウンズ競馬場でケンタッキーダービーに出走。伸びを欠き、サンダーガルチの14着に敗れた。森調教師は「コース適性がありそうなベルモントステークスに向かわせる」とコメントしたが、蹄を痛めたため断念。帰国して休養に入る。


1996年

1月21日、アメリカジョッキークラブカップGⅡ)で復帰するが、カネツクロスの8着に敗れる。レース後屈腱炎を発症し引退となった。

社台スタリオンステーション荻伏で種牡馬入り。初年度はプライベート供用だったが100頭を超える繁殖牝馬を集めることに成功した。


1997年

初年度産駒にイチコウキャプテン(1999年青雲賞など)を輩出。


1998年

産駒のレオボストン(2000年青雲賞など)が誕生。


2001年

種付け数が落ち込み、秋にニュージーランドへ輸出された。


2005年

目立った活躍馬を出せず種牡馬を引退。その後の消息は不明である。


余談編集

  • 森秀行調教師は「GⅠこそ勝っていないが、自分が管理した馬でスキーキャプテンが一番強かったと思う。エアシャカールより切れた。」と語っている。

関連タグ編集

95世代 競走馬 種牡馬 ケンタッキーダービー

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