誘導
- 日本の競走馬。本項で解説する。
- 『ウマ娘プリティーダービー』にて1をモチーフとして登場するウマ娘。→ エアシャカール(ウマ娘)
2に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。
概要
生年月日 | 1997年2月26日 |
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死没 | 2003年3月13日 |
英字表記 | Air Shakur |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | アイドリームドアドリーム |
母の父 | ウェルデコレイティド |
主戦騎手 | 武豊 → 蛯名正義 |
競走成績 | 20戦4勝(海外遠征1戦0勝含む) |
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
生涯
「エアシャガール」ではない。名前は冠名のエアに、アメリカのMC「2パック」ことトゥパク・アマル・シャカール(1971 - 1996)の名を採ったもの。シャカールはヒップホップ界に多大な影響を与えたがわずか25歳で凶弾に斃れた。本馬誕生の前年に亡くなったこの人物を偲んでの命名である。
4歳:「準三冠馬」の活躍
3~4歳時の主戦騎手は武豊。
2000年の皐月賞では、後団からレースを進めると3コーナーから追撃を開始。外回りの距離的ロスがありながらも直線でしっかり差し切り、牡馬クラシック一冠目を制した。
続く日本ダービーも皐月賞と同様に3角から外回りに仕掛け、最終直線で先頭に立つ。しかしその外から河内洋騎乗のアグネスフライトがすっ飛んできて、この2頭の一騎打ちとなった。この時のフジテレビ三宅正治アナウンサーの実況は名実況として知られる。
「エアシャカール!エアシャカール!豊だ!
アグネス!河内の夢も飛んできている!
エアシャカールか!エアシャカールか!
それとも、アグネスか!アグネスか!
河内の夢か!?豊の意地か!?どっちだぁーーーーっ!?」
……結果は、ハナ7cmの差でアグネスフライトの勝利。エアシャカールは二冠目を逃した。
日本ダービー後は海外遠征を敢行。イギリスの名門GⅠキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに挑戦したが、前年の凱旋門賞でエルコンドルパサーを下したフランスの優駿モンジューの前に敗れた。
3冠目の菊花賞は、エアシャカールの右にヨレる癖を把握した武が内寄りにレースを展開。直線で馬の混んだ中からうまく抜け出し、二冠目を獲得した。
結果的に、日本ダービーのあと7cmでエアシャカールは三冠馬になり損ねたことになり「準三冠馬」とも呼ばれた。
その後
……だが、その後が続かなかった。菊花賞後のジャパンカップ、この2000年にレース時点でGⅠ・GⅡ6戦全勝という「世紀末覇王」テイエムオペラオーに、一世代下を代表する二冠馬として挑みかかるが、なんと14着の惨敗。
古馬時代はGⅡでの2着が最高で勝利することができず、2002年の有馬記念を最後に引退した。
種牡馬生活に入ってわずか3ヶ月の2003年3月、放牧中の事故で骨折し、安楽死の措置が取られた。
特徴
皐月賞や日本ダービーで見せた、距離ロスなど知るか!と言わんばかりの外からの豪快なマクりは非常に絵になるもので、本馬のハイライトと言える。
一方ものすごい気性難で知られ、これが古馬時代の成長を妨げたのは間違いない。父サンデーサイレンスも大変気性の荒い馬だったが、武豊をして「サンデーサイレンス産駒の悪い部分を全部集めたような馬」「何を考えているのか頭の中を見てみたい」と言わしめた。
またターフ上では右ヨレの癖があり、まっすぐ走らない馬を捌いて二冠へと導いたのは武の技術によるところが大きい。
関連項目
競馬 競走馬
他の「エア」の競走馬たち。いずれも馬主は東京鐵鋼社長・吉原毎文氏である。
エアグルーヴ(「女帝」、オークス・天皇賞秋、1997年度代表馬)
エアジハード(安田記念・マイルチャンピオンシップ)
エアメサイア(秋華賞)