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青雲の空を 駆け抜けた稲妻よ 永遠なれ

                《墓碑文より》


概要編集

日本の競走馬種牡馬

1998年に皐月賞菊花賞を優勝した二冠馬である。

勝ち鞍は他には京都大賞典(1998年)、日経賞(1999年)、札幌記念(1998年)など。


雑草血統、かつ新人調教師の管理馬ながら、「最強世代」と呼ばれた98世代ライバルたちとしのぎを削った。

その強さもさることながら、主戦を務めた横山典弘騎手による鮮やかな逃げ切り勝ちが印象的であった。

JRAの「20世紀の名馬100」では第30位にランクインした。「芦毛の逃げ馬」というレアな存在だったこともあり、今でも人気は高い。


プロフィール編集


略歴編集

1995年

4月26日、北海道鵡川町(現在はむかわ町)の西山牧場に誕生。


1996年

父・正行から西山牧場を引き継いだ西山茂行繁殖牝馬を大幅に整理、繋養中の種牡馬も売却するなど大幅な改革を行った。

セイウンスカイの父・シェリフズスターも売却されて行方不明になる。産駒も売り払われ、栗東のとある調教師の要望でセイウンスカイとセイウンエリアだけが残されたが、件の調教師は引き取りに来なかった。

しかし、定年となった父・保田隆芳調教師の後を受けて自らの厩舎を開業した保田一隆調教師が付き合いのある西山牧場を訪れ、セイウンスカイを管理する事となった。


1997年

当初はみすぼらしかったセイウンスカイだが、次第にバランスのとれた馬体となっていった。

10月1日、美浦の保田一隆厩舎に入厩。


1998年

1月5日、徳吉孝士騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦でデビューし、初勝利を飾る。2着に6馬身差をつけた。

1月25日、ジュニアカップオープン)に出走するが、ゲート前で立ち止まった所をスターターステッキで叩かれたのが原因でゲート嫌いになる。2着に5馬身差の1着。オープンに昇格。ソエ骨膜炎)が出て休養に入る。

3月8日、弥生賞GⅡ)で重賞初挑戦。スペシャルウィークに半馬身差の2着に敗れた。馬主の意向で徳吉騎手は降ろされる事となる。

4月19日、横山典弘騎手に乗り替わり皐月賞(GⅠ)に出走し1着。西山牧場と横山騎手にとって初の牡馬クラシックでの勝利となった。レース後、枠入り不良で発走調教再審査となりゲート試験を受けた。

6月7日、東京優駿(GⅠ)に出走。キングヘイローが逃げを打つという意外な展開となり、セイウンスカイは2番手でレースを進めたが直線での手応えが悪く、スペシャルウィークの4着に敗れた。レース後、西山牧場へ戻り休養に入る。京都新聞杯(GⅡ)を選んでゲート再審査となった場合、日程的に菊花賞(GⅠ)に出走できなくなるため、秋初戦は京都大賞典(GⅡ)となった。

10月11日、京都大賞典に出走。年上のGⅠ馬3頭を相手に20馬身の大逃げを打ち、3コーナーで後続に捕まったかに見えたが、そこからの再加速で逃げ切り1着。同日の毎日王冠サイレンススズカが勝利し、「日本競馬史上、逃げ馬が最も輝いた日」と言われた。

11月8日、菊花賞に出走。他馬を寄せ付けない圧巻の逃げ切りで、3000mの世界レコードを叩き出し1着。菊花賞での逃げ切りは至難で、このレースでのセイウンスカイを「菊花賞史上最高の走り」に挙げる者も多い。

12月27日、有馬記念(GⅠ)に出走しグラスワンダーの4着に敗れた。


1999年

3月28日、日経賞(GⅡ)で始動。直線で後続を突き放し、セイウンエリアに5馬身差をつけて1着。

5月2日、天皇賞(春)(GⅠ)に出走しスペシャルウィークの3着に敗れた。脚元の不安から休養に入る。

8月22日、札幌記念(GⅡ)に出走。後方待機からのまくりで1着。秋競馬へ向け休養に入る。

10月31日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走しスペシャルウィークの5着に敗れた。レース前、セイウンスカイは枠入りを嫌がり、枠入りの指示について厩舎と発走委員が揉めて1ヶ月の出走停止処分となった。レース後に屈腱炎を発症し、長期休養となる。


2001年

4月29日、天皇賞(春)で1年半ぶりに復帰し、テイエムオペラオーの12着に敗れた。脚元の不安から休養に入る。

7月、橈骨を痛めたため引退が決まる。

8月19日、札幌競馬場で引退式が行われた。


2002年

アロースタッド新ひだか町)で種牡馬となる。血統的な評価が低く、種付頭数は少なかった。


2007年

アロースタッドから西山牧場へ移動した。


2011年

8月16日、朝に担当者が訪れると、頭から出血した状態で死んでいた。心臓発作を起こし、その痛みで立ち上がって頭を打ったものと思われる(16歳没)。

西山茂行がブログに思い出を綴っている。→セイウンスカイよ、永遠なれ…

セイウンスカイの墓の隣には同じ西山牧場の活躍馬・ニシノフラワーの墓がある。


血統編集

雑草血統から生まれた名馬の代表格とされる。


父・シェリフズスターはイギリスから導入した種牡馬であったが、数百頭に種付けしたにもかかわらず活躍馬が一頭も出なかった。セイウンスカイがデビューする頃にはすでに廃用となり、行方不明となっていた。

当然周囲からの期待はほぼ皆無であり、セイウンスカイを預かる予定だった栗東の調教師も結局引き取りに来ず、開業したばかりの新人調教師・保田一隆の厩舎に預けられることになった。保田師は残っていた3頭の仔馬から選ぶように言われ、厩舎のバランスから牡馬が欲しかったに加え、セイウンスカイがシンボリ牧場に由来する牝系を持っていたため、化けることに賭けてセイウンスカイを選んだ。

※同年、崎谷彦司に預けられたシェリフズスター産駒のセイウンエリアも中央、地方合わせて43戦5勝の成績を残した。


競走馬としての高い能力は後天的に獲得したものであったようで、種牡馬としてはまったく成功できなかった。

しかし、同じ牧場のニシノフラワーとのあいだに生まれたニシノミライの孫にあたるニシノデイジーが、2022年の中山大障害を勝利し、セイウンスカイの血統からGⅠ馬が誕生した。

西山氏の回想(2018/9/4)


気性難編集

気持ちよく走っているときは驚異的な強さを見せたが、他馬にマークされるなどして気分を損ねると全力で走らなくなってしまうという弱点があった。

また、極度にゲート入りを嫌い、ゲートの前で何分も暴れて発走を遅らせ、体力を消耗してしまうことがあった。


タイトルホルダーとの比較編集

2021年第82回菊花賞にて、タイトルホルダーがセイウンスカイ以来の逃げ切りで菊花賞を制した。

鞍上は横山典弘の三男・横山武史


序盤をハイペースで飛ばした後、中盤で後続を待つようにスローペースに落として息を入れ、終盤で再加速するという逃げ方もそっくりで、タイトルホルダーを菊花賞勝利に導いた。


1000m毎のラップタイムタイム着差2着馬
セイウンスカイ(1998年)59.6 → 64.3 → 59.33:03.23.1/2スペシャルウィーク
タイトルホルダー(2021年)60.0 → 65.4 → 59.23:04.65オーソクレース

外部リンク編集


関連タグ編集

JRA 競走馬 98世代 最強世代 西山牧場

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