概要
ニシノデイジーは2016年生まれの日本の競走馬。
北海道・西山牧場生まれの2頭の優駿、セイウンスカイとニシノフラワーの直仔を祖母に持ち、早くも2歳にして札幌2歳ステークス・東スポ杯2歳ステークスの2つの重賞に勝利し注目を集める。
3歳時も日本ダービー5着など、クラシック三冠競走を完走した。
その後長らく苦闘が続いたが、試行錯誤の末に6歳となった2022年に障害競走に転向。同年末の中山大障害で、J・GⅠ初制覇を挙げて復活した。
プロフィール
馬名 | ニシノデイジー |
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欧字表記 | Nishino Daisy |
生年月日 | 2016年4月18日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ハービンジャー |
母 | ニシノヒナギク |
母父 | アグネスタキオン |
生産 | 谷川牧場(北海道浦河町) |
馬主 | 西山茂行 |
調教師 | 高木登(美浦) |
主戦騎手 | 勝浦正樹、五十嵐雄祐など |
母ニシノヒナギクの血統を辿ると、祖母ニシノミライは西山牧場を代表する2頭のGⅠ馬であるセイウンスカイとニシノフラワーの間に生まれた産駒である。
ちなみに馬名の由来は「冠名(ニシノ)+すてきなもの」。「すてきなもの」がどういう物であるかは明かされていないが、どうにかしてセイウンスカイとニシノフラワーの血統を残そうと試み、自ら「狂気の配合」「逆玉の輿」とまで称した配合を実行した馬主の西山茂行氏のことを考えれば、おのずとその意味が分かるだろう。
戦歴
2018年(2歳)
2018年の7月8日に函館競馬場で行われた新馬戦で勝浦正樹を背にデビューするも2着。
続く7月21日の未勝利戦で初勝利。
9月1日に行われた札幌2歳ステークス(GⅢ)は6番人気ながら重賞初挑戦で初勝利。
続く東スポ杯2歳ステークス(GⅢ)も8番人気ながら重賞連勝を決める。
年末のホープフルステークス(GⅠ)では3番人気に推されたが、サートゥルナーリアとアドマイヤジャスタに先着を許して3着に終わった。
2019年(3歳)
年明けは弥生賞(GⅡ)から始動し1番人気に推されるもメイショウテンゲンの4着に敗れる。
皐月賞(GⅠ)は見せ場のないまま17着の惨敗に終わるも、続く日本ダービー(GⅠ)は13番人気ながら5着に食い込み、地力の高さを証明した。
ダービー終了後は放牧に出され、秋はセントライト記念(GⅡ)から始動。最後の直線で追い上げるも5着だった。
菊花賞(GⅠ)は鞍上をクリストフ・ルメールに代えて臨み、当日も2番人気に推されての出走となった。しかし伸び悩み9着に敗れた。
結局、5戦中3戦で掲示板(5着以内)を確保する形でクラシックを終えることとなった。
2020年(4歳)
古馬としての初戦にはアメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)を選択。田辺裕信との新コンビで挑むが6着に終わった。
続く金鯱賞(GⅡ)でも4番人気ながら6着、目黒記念(GⅡ)では18着のシンガリ負けと振るわない。
ここで鞍上を勝浦に戻して函館記念(GⅢ)に出走するも13着に留まった。
夏の函館をもってデイジーは10連敗。2歳からコンスタントに走ってきたが陣営はここでリフレッシュを選択し、秋は出走を回避することとした。
2021年(5歳)
休養明け初戦は東京新聞杯(GⅢ)に出走。初のマイル戦ということもあって期待がかかっていたが、13着に終わる。
続く新潟大賞典(GⅢ)でも伸び悩み12着。
エプソムカップ(GⅢ)では新たに鞍上に「穴男」として知られる江田照男を迎え、かつて勝利した東スポ杯以来の1800mに挑むが、18着シンガリの惨敗を喫し、5ヶ月間の休養に入った。
11月の復帰戦はなんと霜月ステークス(OP、東京ダ1400m)。2018年に初重賞挑戦初制覇を果たした札幌2歳ステークス以降、常に重賞にのみ出走していたニシノデイジーだったが、ここでオープン特別にグレードを落とし、かつ初のダート戦、距離も過去最短となる1400m戦と、低迷の打破に向けて大きなカンフル剤が打たれたのである。鞍上も内田博幸が初騎乗となったが、見せ場なく11着に敗れた。
さらにもう1戦、距離を1800mに戻してのダート戦ベテルギウスステークス(L)も12着。
2022年(6歳)
ダートに見切りをつけて芝に戻ったが、1月の白富士ステークス(L、東京芝2000m)12着。
ここでニシノデイジーは障害競走への転向に向け調教が進められることとなった。
4ヶ月を経て障害デビューとなった5月28日の未勝利戦(新潟2890m)。五十嵐雄祐を背に好位先行でレースを進め、一旦は先頭に立つ。最後は捕まり3着も、ホープフルステークス以来3年5ヶ月振りに馬券内に食い込んだ。
そして障害2戦目の6月19日未勝利戦(東京3000m)、2着に3馬身差をつけ快勝。東スポ杯2歳ステークス以来、実に3年7ヶ月振りの勝ち鞍を挙げ、障害オープン入りを果たした。
中山大障害
11月の秋陽ジャンプS(OP)2着を経て、年末の中山大障害への挑戦が決定される。陣営やオーナーはまずはオープン特別で障害2勝目をと考えていたようだが、五十嵐雄祐騎手が大障害で使うことを提案し、採用されたという。
障害未勝利戦の勝鞍のみで、障害路線ではGⅠはおろか重賞にすら未出走の挑戦者の立場だったが、復活への期待、またこれまでの障害3戦で1度も馬券を外してない安定感から単勝15.4倍の5番人気に推された。
このレースは障害絶対王者オジュウチョウサンの引退レースとして注目を集めていたが、五十嵐雄祐騎乗のニシノデイジーは最終周回に入ると先頭に立って後続を引き離し逃げ込みを図る。最後はリードを守って2着ゼノヴァースに3馬身差で勝利。
東スポ杯2歳ステークス以来、実に4年以上振りの重賞制覇で、初のJ・GⅠ勝利を挙げた。またセイウンスカイの子孫にあたる競走馬がG1勝ち鞍を上げるのは史上初であった。
なお、東スポ杯の優勝馬が中山大障害を勝利したのは、ゴッドスピード(1996年、当時の競走名は「府中3歳ステークス」)以来2頭目である。
ニシノデイジーが生まれたのはオジュウチョウサンが初めてG1勝利した2日後。絶対王者の始まりと共に生まれた馬が、絶対王者に引導を渡すという点でも実に印象的な勝利である。
また、JRA賞では最優秀障害馬への選出を期待する声は多かったが、オジュウチョウサンにわずか一票の差で破れ、惜しくも受賞はならなかった。
しかし、あの障害界のレジェンド・オジュウチョウサンに入障1年目の馬が肉薄するということは、障害界のホープとしての期待を証左するものに他ならないだろう。
2023年(7歳)
新たな障害王者として迎えた2023年だが、次走となる阪神スプリングJでは五十嵐騎手が交代する事になった。
GⅠ勝利コンビを敗戦したわけでもないのに交代するという異例の事態だが、コレは五十嵐騎手が同レースでミッキーメテオに騎乗する先約を取り付けており、馬主の西山氏に相談した結果。
下手な憶測が出回る前に、西山氏からこの経緯の発信も行われた。
そして五十嵐騎手に変わってデイジーの鞍上を任されたのは、なんとオジュウチョウサンの相棒であった石神深一騎手。オジュウチョウサンの引退により予定が空いていたため、前王者の騎手が現王者の鞍上を任される事となった。
本番では1番人気に押されたが、道中行きたがる悪癖が出てしまい、掛かって折り合いを欠き、障害での飛越ミスも目立った。終盤の勝負所では疲れからかスピードが乗らず3着に終わった。
しかし、テン乗りでの騎乗でありながらも石神騎手の騎乗が冴え、追いきれなかったもののデイジーも3着に残るなどその能力の高さをうかがわせた。
次走は春の障害王決定戦・中山グランドジャンプを予定。新王者の戦いはまだ始まったばかりである。