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概要

JRAに所属した競走馬種牡馬

主な勝ち鞍はNHKマイルカップ(2004年)・東京優駿(2004年)。史上初となる変則二冠馬である。

2004年JRA賞最優秀3歳牡馬。

種牡馬入り後は2010、2011年のリーディングサイアーになるなど成功を収めた。


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ヒーロー列伝No.58

「大王、降臨。」

スピードが要求される1600m

スタミナと瞬発力が試される2400m

その両方を制覇した時、

府中のターフに「大王」が誕生した。

大いなる野望を抱く「大王」が

次に征服するのは何処?


名馬の肖像2017年NHKマイルカップ

【孤高の王】

前へと急ぐ者がいる。

後ろで牙を研ぐ者もいる。

だが最後には誰もが

彼に従うほかなかった。

その光射す道は

ただ彼のためだけにあった。


彼の名は「ザ・ロンリー・ワン」。

孤高の存在にのみ許された

独走の戴冠式で

キングは真のキングとなった。


プロフィール


生誕より

2001年3月20日、ノーザンファームに誕生。

父は数多くの活躍馬を輩出し、日本でもエルコンドルパサーの父として有名な名種牡馬キングマンボ。母はマンファス、母父がブリーダーズカップ・マイルなどを制したラストタイクーンという血統だった。アメリカからの「持ち込み馬」である。


馬主は後にディープインパクトなどでお馴染みの金子真人氏。金子オーナー曰く「セレクトセール前に3回牧場に下調べに行った。いくら出しても競り落とすつもりだった」とのこと。

馬名の由来はハワイのカメハメハ大王。ちなみに金子オーナーは所有馬にハワイにちなんだ名前を付けることが多く、他にはアパパネマカヒキなどがある。


競走馬時代

2003年、栗東の松田国英厩舎に入厩。

11月16日に、京都競馬場の新馬戦でデビュー。見事デビュー勝ちを収め、次走の500万下特別のエリカ賞でも勝利した。


そして年が明け、3歳となったキングカメハメハはGⅢ京成杯へと出走。

1番人気に推されたものの3着に敗れてしまい、生涯唯一の敗北を喫してしまう。


その後は調子を取り戻したか、オープン特別のすみれステークス、NHKマイルカップの前哨戦であるGⅢ毎日杯と連勝した。

そして、初GⅠとして挑んだのが、3歳マイル王決定戦のNHKマイルカップ。

キングカメハメハはここで見事な走りを見せ、5馬身差をつけての圧勝。

ついでにレコードも更新し、見事GⅠのタイトルを手に入れた。


が、ここからが「クラッシャー」の異名を持つ松田調教師の本領発揮であった。キングカメハメハを中2週で日本ダービーに参戦させる事を決定したのである

確かにNHKマイルカップはダービーの前哨戦とも言われているが、当時は「馬を壊しかねない」として批判されがちなローテーションであった。間隔もそうだが、距離も800mも違う。現在では、このようにNHKマイルカップからダービーへ向かうローテーションには、「英」の名前からとって「松国ローテ」という通称がついている。


という訳で迎えた日本ダービー。キングカメハメハは単勝オッズ2.6倍の1番人気だった。

レースでは、最内のマイネルマクロスが大逃げを敢行。3コーナーで先頭に立ったコスモバルクが失速すると、その好機を逃さず一気に先頭へ躍り出た。

そして、2着のハーツクライに1馬身半の差をつけ、優勝。

それまでのレコードタイムを2秒も更新するとんでもないタイムで勝利した。

実況の三宅アナウンサー「今、最強の「大王」が降臨した!!」と叫んだのも頷ける。

こうして、キングカメハメハはダービー馬の称号を手に入れると同時に、

松田調教師の夢でもあったNHKマイルカップとの変則2冠を達成した。


その後、秋初戦のGⅡ神戸新聞杯もでも1着。

目標としていた天皇賞(秋)へ意気揚々と参戦・・・と思ったのも束の間、キングカメハメハに悲劇が訪れる。

右前脚に屈腱炎を発症してしまったのだ。

屈腱炎は、競走馬にとっては致命的な故障である。

基本的に屈腱炎を発症した競走馬は、治すとしても長期の治療を要するばかりでなく、非常に再発しやすい。したがって、既に種牡馬としての価値が見込まれる成績を残している競走馬は、その時点で引退する事となるのが通常である。

よって、種牡馬としての価値から見て既に充分な実績を残していたキングカメハメハも、この屈腱炎によって引退する事となった。

その後変則2冠の実績が評価され、2004年のJRA最優秀3歳牡馬に選出された。


種牡馬生活

繁殖入りしたキングカメハメハには総額21億円という、巨額のシンジケートが組まれた。

種牡馬として第2の馬生をスタートさせたキングカメハメハは、初年度産駒から早くも重賞ウィナーを誕生させるなど、上々の滑り出し。

さらに、2007年産の産駒は牝馬3冠を達成したアパパネ、GⅠ朝日杯フューチュリティステークスを制したローズキングダムなど、かなりの粒揃い。

さらには2010年と2011年のリーディングサイアーにも輝くなど、既に種牡馬としてはかなりの実績を残している。

サンデーサイレンス系の牝馬が多い現在の日本競馬において、サンデーサイレンスの血を持たないキングカメハメハは強い近親配合の心配なく種付けができるため、生産者からも人気は高かった。

2020には14年間ブルードメアサイアーを維持していたそのサンデーサイレンスを超えた。

ちなみにだが、サンデーサイレンスの前にブルードを維持していたノーザンテースト16年

キングカメハメハはノーザンテーストの父、ノーザンダンサーの血を両親の系統から受け継いでいる。

また、孫にソダシブラックホールがいるため、サンデーサイレンス系統の牝馬と無縁だったわけではない。


しかし近年は体調が優れず(晩年には白内障を患って目が不自由になっており、糖尿病に近い症状だったと推察されている)、2019年シーズンは体調不良を理由に種付けは行わなかった。そして2019年限りで種牡馬引退が発表されて功労馬となったが、その矢先の8月9日に息を引き取った。

その10日前の7月30日にはディープインパクトが亡くなっており、JRAは2頭合同で記帳台を設けた。


種牡馬成績

太字はGⅠかJpnⅠ、斜体字はGⅡかJpnⅡ競走

馬名主な勝鞍
ローズキングダムジャパンカップ※・朝日杯フューチュリティステークス神戸新聞杯京都大賞典・東京スポーツ杯2歳ステークス
アパパネ阪神ジュベナイルフィリーズ桜花賞オークス秋華賞ヴィクトリアマイル
ルーラーシップクイーンエリザベス2世カップアメリカジョッキークラブカップ日経新春杯金鯱賞・鳴尾記念
ロードカナロア香港スプリント高松宮記念スプリンターズステークス・京阪杯・シルクロードステークス
タイセイレジェンドJBCスプリント・クラスターカップ
ハタノヴァンクールジャパンダートダービー

※ローズキングダムのジャパンカップは2着入線だったものの、1着のブエナビスタが審議降着となったため繰上げでの1着。


余談

上記の松田調教師の無茶なローテには、「距離の全然違うレースで優勝すれば種牡馬になってから有利じゃね?」という持論が根底にある。

彼はキングカメハメハ以前にもクロフネタニノギムレットなどでこのローテーションを敢行しているが、その理由も繁殖生活を考えての事である。

「クラッシャー」として批判される事が多い松田氏だが、クロフネやタニノギムレットも種牡馬として成功しているのを見るに、彼の考えそのものは間違ってはいないのだろう。


キングカメハメハが出走した2004年のダービーは、後に出走馬が軒並み故障したため、死のダービーと呼ばれている。具体的には、出走馬18頭のうち

馬名着順故障の詳細
キングカメハメハ1着屈腱炎で引退
ハーツクライ2着後にノド鳴りで引退
ハイアーゲーム3着屈腱炎で長期休養
キョウワスプレンダ4着骨折で長期休養
スズカマンボ5着後に左後繋靭帯不全断裂で引退
ダイワメジャー6着ノド鳴りが悪化
ピサノクウカイ7着成績不振で地方移籍、移籍初戦のレース後急性心不全で死亡
フォーカルポイント11着骨折で長期休養
コスモサンビーム12着骨折で長期休養、後レース中に急性心不全で死亡
マイネルデュプレ13着靭帯炎で長期休養
マイネルマクロス16着屈腱炎で引退
マイネルブルック中止レース中に左第一指関節脱臼を発症し、競走中止(予後不良)

と、半分近くの馬が故障している。マイネルブルックに至っては、ダービーの最中の故障だった。


関連タグ

競馬 競走馬

ディープインパクト:ほぼ同時期に他界した、「日本競馬史上最強候補」と呼ばれた名馬。同じく金子真人の所有馬である。

ディープスカイ:4年後の2008年に同じくNHKマイルカップと日本ダービーの変則二冠を達成。

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