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ヒーロー列伝No.58
「大王、降臨。」
スピードが要求される1600m。
スタミナと瞬発力が試される2400m。
その両方を制覇した時、
府中のターフに「大王」が誕生した。
大いなる野望を抱く「大王」が
次に征服するのは何処?
名馬の肖像2017年NHKマイルカップ
【孤高の王】
前へと急ぐ者がいる。
後ろで牙を研ぐ者もいる。
だが最後には誰もが
彼に従うほかなかった。
その光射す道は
ただ彼のためだけにあった。
彼の名は「ザ・ロンリー・ワン」。
孤高の存在にのみ許された
独走の戴冠式で
キングは真のキングとなった。
プロフィール
生年月日 | 2001年3月20日 |
---|---|
死没 | 2019年8月9日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | Kingmambo |
母 | マンファス |
母の父 | ラストタイクーン |
5代内のインブリード | Northern Dancer4×4 |
競走成績 | 8戦7勝 |
産地 | 北海道早来町 |
生産牧場 | ノーザンファーム |
管理調教師 | 松田国英(栗東) |
馬主 | 金子真人 |
主な勝利レース | NHKマイルC・東京優駿・神戸新聞杯・毎日杯 |
主な表彰 | JRA賞最優秀3歳牡馬(2004年) | <
競走馬時代
2001年3月に誕生。
父は数多くの活躍馬を輩出し、日本でもエルコンドルパサーの父として有名な名種牡馬キングマンボ。母はマンファス、母の父がBCマイルなどを制したラストタイクーンという血統だった。
ちなみに、彼はいわゆる「持ち込み馬」である。
馬主はディープインパクトなどでお馴染みの金子真人氏。
その後順調に成長し、栗東の松田国英厩舎に入厩した。
馬名の由来は、ハワイのカメハメハ大王。
2003年11月16日に、京都競馬場の新馬戦でデビュー。
見事デビュー勝ちを収め、次走の500万下特別のエリカ賞でも勝利した。
そして年が明け、3歳となったキングカメハメハはGⅢ京成杯へと出走。
1番人気に推されたものの3着に敗れてしまい、生涯唯一の敗北を喫してしまう。
その後は調子を取り戻したか、オープン特別のすみれステークス、
NHKマイルカップの前哨戦であるGⅢ毎日杯と連勝した。
そして、初GⅠとして挑んだのが、3歳マイル王決定戦のNHKマイルカップ。
キングカメハメハはここで見事な走りを見せ、5馬身差をつけての圧勝。
ついでにレコードも更新し、見事GⅠのタイトルを手に入れた。
が、ここからが「クラッシャー」の異名を持つ松田調教師の本領発揮であった。
キングカメハメハは、中2週で日本ダービーに参戦する事が決定。
確かにNHKマイルカップはダービーの前哨戦とも言われているが、当時は「馬を壊しかねない」として批判されがちなローテーションであった。距離が800mも違うし。
現在では、このようにNHKマイルカップからダービーへ向かうローテーションには、「松田国英」の名前からとって「マツクニローテ」という通称がついている。
という訳で迎えた日本ダービー。キングカメハメハは単勝オッズ2.6倍の1番人気だった。
レースでは、最内のマイネルマクロスが大逃げを敢行。3コーナーで先頭に立ったコスモバルクが失速すると、その好機を逃さず一気に先頭へ躍り出た。
そして、2着のハーツクライに1馬身半の差をつけ、優勝。
それまでのレコードタイムを2秒も更新するとんでもないタイムで勝利した。
実況の三宅アナウンサーが「今、最強の「大王」が降臨した!!」と叫んだのも頷ける。
こうして、キングカメハメハはダービー馬の称号を手に入れると同時に、
松田調教師の夢でもあったNHKマイルカップとの変則2冠を達成した。
その後、秋初戦のGⅡ神戸新聞杯もでも1着。
目標としていた天皇賞(秋)へ意気揚々と参戦・・・と思ったのも束の間、キングカメハメハに悲劇が訪れる。
右前脚に屈腱炎を発症してしまったのだ。
屈腱炎は、競走馬にとっては致命的な故障である。
基本的に屈腱炎を発症した競走馬は、治すとしても長期の治療を要するばかりでなく、非常に再発しやすい。したがって、既に種牡馬としての価値が見込まれる成績を残している競走馬は、その時点で引退する事となるのが通常である。
よって、種牡馬としての価値から見て既に充分な実績を残していたキングカメハメハも、この屈腱炎によって引退する事となった。
その後変則2冠の実績が評価され、2004年のJRA最優秀3歳牡馬に選出された。
種牡馬生活
繁殖入りしたキングカメハメハには総額21億円という、巨額のシンジケートが組まれた。
種牡馬として第2の馬生をスタートさせたキングカメハメハは、初年度産駒から早くも重賞ウィナーを誕生させるなど、上々の滑り出し。
さらに、2007年産の産駒は牝馬3冠を達成したアパパネ、GⅠ朝日杯フューチュリティステークスを制したローズキングダムなど、かなりの粒揃い。
さらには2010年と2011年のリーディングサイアーにも輝くなど、既に種牡馬としてはかなりの実績を残している。
サンデーサイレンス系の牝馬が多い現在の日本競馬において、サンデーサイレンスの血を持たないキングカメハメハは強い近親配合の心配なく種付けができるため、生産者からも人気は高かった。
2020には14年間ブルードメアサイアーを維持していたそのサンデーサイレンスを超えた。
ちなみにだが、サンデーサイレンスの前にブルードを維持していたノーザンテーストは16年。
キングカメハメハはノーザンテーストの父、ノーザンダンサーの血を両親の系統から受け継いでいる。
また、孫にソダシやブラックホールがいるため、サンデーサイレンス系統の牝馬と無縁だったわけではない。
しかし近年は体調が優れず、2019年シーズンは体調不良を理由に種付けは行わなかった。
そして2019年限りで種牡馬引退が発表されたが、その矢先の8月10日に息を引き取った。
その10日前の7月30日にはディープインパクトが亡くなっており、JRAは2頭合同で記帳台を設けた。
競走成績
R=レコード更新
2歳時
2歳新馬 1着
エリカ賞 1着
3歳時
京成杯(GⅢ) 3着
すみれステークス 1着
毎日杯(GⅢ) 1着
NHKマイルカップ(GⅠ) 1着R
東京優駿(GⅠ) 1着R
神戸新聞杯(GⅡ) 1着
種牡馬成績
太字はGⅠorJpnⅠ、斜体字はGⅡorJpnⅡ競走
ローズキングダム(ジャパンカップ※・朝日杯フューチュリティステークス・神戸新聞杯・京都大賞典・東京スポーツ杯2歳ステークス)
アパパネ(阪神ジュベナイルフィリーズ・桜花賞・オークス・秋華賞・ヴィクトリアマイル)
ルーラーシップ(クイーンエリザベス2世カップ・アメリカジョッキークラブカップ・日経新春杯・金鯱賞・鳴尾記念)
ロードカナロア(香港スプリント・高松宮記念・スプリンターズステークス・京阪杯・シルクロードステークス)
タイセイレジェンド(JBCスプリント・クラスターカップ)
ハタノヴァンクール(ジャパンダートダービー)
※ローズキングダムのジャパンカップは2着入線だったものの、1着のブエナビスタが審議降着となったため繰上げでの1着。
余談
上記の松田調教師の無茶なローテには、「距離の全然違うレースで優勝すれば種牡馬になってから有利じゃね?」という持論が根底にある。
彼はキングカメハメハ以前にもクロフネやタニノギムレットなどでこのローテーションを敢行しているが、その理由も繁殖生活を考えての事である。
「クラッシャー」として批判される事が多い松田氏だが、
クロフネ等も種牡馬として成功しているのを見るに、彼の考え自体は間違ってはいないのだろう。
キングカメハメハが出走した2004年のダービーは、後に出走馬が軒並み故障したため、「死のダービー」と呼ばれている。具体的には、出走馬18頭のうち
馬名 | 着順 | 故障の詳細 |
---|---|---|
キングカメハメハ | 1着 | 屈腱炎で引退 |
ハーツクライ | 2着 | 後にノド鳴りで引退 |
ハイアーゲーム | 3着 | 屈腱炎で長期休養 |
キョウワスプレンダ | 4着 | 骨折で長期休養 |
スズカマンボ | 5着 | 後に左後繋靭帯不全断裂で引退 |
ダイワメジャー | 6着 | 後にノド鳴りを発症 |
ピサノクウカイ | 7着 | 成績不振で地方移籍、移籍初戦のレース後急性心不全で死亡 |
フォーカルポイント | 11着 | 骨折で長期休養 |
コスモサンビーム | 12着 | 骨折で長期休養、後レース中に急性心不全で死亡 |
マイネルデュプレ | 13着 | 靭帯炎で長期休養 |
マイネルマクロス | 16着 | 屈腱炎で引退 |
マイネルブルック | 中止 | レース中に左第一指関節脱臼を発症し、競走中止(予後不良) |
関連タグ
競馬 競走馬
ディープインパクト ほぼ同時期に他界した、「日本競馬史上最強候補」と呼ばれた名馬。同じく金子真人の所有馬である。
ディープスカイ 4年後の2008年に同じくNHKマイルカップと日本ダービーの変則二冠を達成。