曖昧さ回避
- ミミ・レダーの映画→ディープ・インパクト
なお、下記にもある通り産駒にスピルバーグがいる。
JRA広告
こんな馬が存在していいのか?
敗北など考えられない闘いに、人はどこまでも夢を見た。
”奇跡に最も近い馬”
ディープインパクト
競馬は時々、競馬を超える。
全世代の頂点へ
-2013年 JRA 天皇賞(春)CMより
「一着至上主義。」
- JRA『ヒーロー列伝コレクション』No.60「ディープインパクト」より
- なおこのヒーロー列伝、キャッチコピーがどうにも反応に困るものであることに加え、背景のCGがどことなくダサいからか、あまり評判はよろしくない。
新たな始まり
ありふれた麗句を並べ
使い古された修辞を重ねて
いま目にしたこの光景の描写を
虚飾に落とすべきではない
もはや言葉など必要ない
ただ衝撃に身を任せればいい
真正面から受け止めればいい
全身に驚嘆が満ちていく陶酔を
この瞬間に立ち会えた幸運を
静かに喜び反芻すればいい
そして誰もが気付いたはずだ
新たな歴史が始まったことに
このさき同じ道を駆ける者たちが
追い続け超えなければならない
存在が誕生したことに
概要
2004年から2006年にかけて活躍した日本・中央競馬(JRA)所属の競走馬(05世代)。
国内では史上2頭目となる無敗でのクラシック三冠を含む13戦12勝という圧倒的な戦績を誇り、英雄の異名とともに、競馬に興味のない人にもその名を広く知られた。「日本近代競馬の結晶」とも称され、同じく無敗で三冠を達成した「皇帝」シンボリルドルフと並んで、日本競馬史上最強候補として名が挙がる。
その圧倒的な才能と実力から、日本の競馬のレベルを底上げしたとも言われるほどの名馬であり、海外でも高く評価された。
繁殖種牡馬としても無数の重賞・GⅠ勝利馬を輩出しており、日本競馬史の転換点と呼ばれた父サンデーサイレンスをも超える、日本史上最高の産駒成績を持っている。
一方で、生まれる以前から馬主たちから嘱望されていたルドルフとは対照的に、必ずしも幼少期からその素質が高く評価されていた訳ではなく、自身の成長に伴い徐々にその頭角を表していくタイプの馬であった。
誕生
2002年(平成14年)3月25日、北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで誕生。父はサンデーサイレンス。母はウインドインハーヘア、母の父はAlzao。
因みに3月25日はサンデーサイレンスと同じ誕生日であり、ディープが産まれた2002年にサンデーはこの世を去っている。まるで運命を託す様に。
父についてはもはや説明不要の大種牡馬で、英国生まれの母親も初仔を妊娠したまま現役復帰してGIを勝ったというとんでもない牝馬である。
「日本近代競馬の結晶」という称号とは裏腹に、実は両親とも外国産馬。
ただし、サンデーサイレンスの導入自体が日本近代競馬そのものであり、これに加えてサンデーに合う繁殖牝馬を用意した馬産家やディープを管理・調教したスタッフ陣の努力、手綱を取った騎手の技術を含めての称号と捉えれば違和感はない。
全兄としては、2004年スプリングステークス優勝馬のブラックタイドがいる。幼少期はしっかりした体格のブラックタイドの方が評価されていたものの……
馬体の薄さなど、見栄えがパッとしなかったことから牧場主からも期待はされておらず、競りでも入札する者がほとんどいない(※)中、唯一の入札者となった金子真人(CAD・CAMベンダー「図研」創業者。ちなみにブラックタイドの馬主でもある)はその瞳の輝きを見て「只者ではない」と確信し、即落札。この時の自身が受けた衝撃から、また競馬界に衝撃を与える存在になってほしいという願いを込めて「ディープインパクト」と名付けた。
(※)テレ朝の相席食堂にて「ディープインパクトを含む3頭から、ディープインパクト以外の2頭を競り落とした、かなり惜しいことをしたオーナー」が後に紹介されたこともある。
2004年~2005年(2歳~3歳)
2004年12月に武豊を鞍上に阪神競馬場でデビューし、初勝利を果たす。
次の若駒ステークスでは、後方からレースを進めていたが、直線でごぼう抜きを披露し、最終的にリードを広げて勝利した。
続いて弥生賞では、アドマイヤジャパンに半馬身差で勝つと言う、ギリギリな勝ち方もあった。
…と一見すると物足りない内容に思えるが、実は最後の直線ではムチを全く使っていない。
つまり全力で走っているわけではないため実際のところは完勝と言える内容であったりする。
皐月賞
「武豊、三冠馬とのめぐり逢い!まずは皐月、第1関門突破です!」
牡馬クラシック初戦である皐月賞では、スタート時に躓き鞍上の武豊が落馬しそうになったものの、直線であっさり抜け出して優勝。初G1制覇となった。
武は「いやもうパーフェクトですよ。走るというより飛んでる感じなんでね」とその脚を讃えている。レース後、関係者一同は「一冠目」を表す一本指を掲げた。
日本ダービー
続いて日本ダービー。あのハイセイコーが持っていた単勝支持率66.6%を大きく上回る史上最高の73.4%(オッズもダービー史上最低の1.1倍)に支持されると、その期待に応えインティライミ以下を5馬身突き放す圧勝で二冠目を獲得した。
タイムは前年のキングカメハメハが持っていたレコードタイとなる2分23秒3。武は自身の持っていたトップ記録を塗り替える日本ダービー4勝目を挙げ、金子オーナーは史上初のダービー連覇。記録ずくめの勝利の後、関係者は皐月賞に続けて二本指を掲げたのだった。
迎えた秋初戦は菊花賞の前哨戦である神戸新聞杯も難なくレコード勝ち、三冠最後の菊花賞を制するため淀のターフへ。
菊花賞の単勝オッズはなんと1.0倍(100円元返し)、誰もがディープインパクトの勝利を疑っていなかった。
菊花賞
菊花賞本番、(普段とは違って)上手くスタートを切ったディープインパクトは1周目の直線に行く際、頭が良いのか「もうすぐゴール」と勘違いして、するすると前に進出した(3000メートルのため、一旦ゴール板を通り過ぎて1周しないといけない)。だが鞍上の武豊が上手くなだめて、なんとか馬群の中に入れることによって抑えることが出来た。最終的に多少のスタミナ浪費をものともせずに、2番手から直線逃げ切りを図ったアドマイヤジャパンにリード3馬身の差を空けゴールイン。
皇帝シンボリルドルフ以来実に21年ぶりに無敗での三冠馬の称号を手に入れ、偉業を成し遂げた関係者は3本目の指を立てたのであった。
この時の馬場鉄志アナの実況「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!」は2006年FNSアナウンス大賞を受賞、後にディープインパクトという馬を語るのに欠かせない言葉となった。
有馬記念
年末の有馬記念では初の古馬との対戦となったが、最早観客のほとんどがディープインパクトを見に来ているような状況で、普段競馬場になど来ないライト層まで押し寄せていた。レースは同じ追込み馬だったハーツクライが先行策を取るという予想外の事態が発生。ディープインパクトは最終直線でいつものように猛烈な追い込みをかけたが。先頭に立ったハーツクライを捉えきれず2着となり、初黒星となってしまう。それまでG1は2着止まりだったハーツクライとしては大金星であったが、予想外の大番狂わせに会場は異様などよめきに包まれた。
これがディープインパクトの国内唯一の敗戦だった。
なお、この時の走りについて武豊が「今日は飛ばなかった」とコメントしたことから、「ディープが本調子ではなかったのでは」と言われることもあるが、これでも上がり3Fタイムは出走馬最速をマークしており、決して鈍い脚を出していたわけではない。どちらかというと、ハーツクライのような鋭い末脚(このレースでは上がり3Fは3位タイだった)を持つ馬に先行策を許したことで「今までの勝ちパターンである末脚勝負に持ち込んだ結果、スタート位置の差が出てしまった」のが敗因と言える。
現にそれまで追込み馬だったハーツクライがいきなり先行策を取ったのも、鞍上のルメールがハーツクライの成長ぶり(前走ジャパンカップでは2着ながらレコード)も考慮した上で、「直線の短い中山なら、道中10馬身以上差をつけていればディープインパクトを振り切れる」として考えた作戦だった。
おまけに、ハーツクライはラスト直線に差し掛かった段階でディープよりも早くスパートをかけており、リードを多めに取る策を抜かりなく行っていた。
『麒麟川島の馬いい話。』では「この敗戦が後述の天皇賞春で見せたロングスパート戦法につながった」と語られている。
2006年(4歳)
最強馬が負けると「今までは周りが弱かっただけなのではないか?」と疑われるのは常だが、年明け初戦の阪神大賞典では逃げたトウカイトリックを悠々捉えて1着。
ファンを安堵させた。
またハーツクライの方もドバイシーマクラシックを圧勝し、実力が本物だったと証明している。これはディープインパクトにとっても幸運だったかもしれない。
天皇賞(春)
迎えた天皇賞(春)ではスタートで出遅れるも、難所とされる淀の上り坂から一気にスパートを仕掛け先団に取り付き、なんと下りでも加速を続け、追い込んできたリンカーンを数馬身離して優勝。
96年のマヤノトップガンの記録を1秒更新する3分13秒4での走破。これは当時の芝3200mの世界レコードであった。またあれだけの超ロングスパートを敢行しておきながら、上がりの3ハロンは出走馬中最速の33秒5という異次元っぷり、さらに3200mという距離なのに上がり4ハロンを44秒8で駆け抜けるという、スプリンター馬も驚く内容の競馬を披露したのであった。勝利により日本の競走馬として初めてWTRR(ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング)の芝長距離部門で世界一位のレーティングを獲得した。
宝塚記念
続く宝塚記念は阪神競馬場の改修工事のため京都競馬場で行われた。天気は雨、初めての稍重馬場が不安視されたもののディープには全く関係なく、たった一頭だけ上がり34秒台の末脚を繰り出して圧勝。海外遠征、日本競馬界の夢であるフランスの凱旋門賞へと向かうこととなった。
凱旋門賞
凱旋門賞は日本での評判を受け1番人気で出走するも体調が思わしくなく、本番はかかり気味に先行してレイルリンクらに敗れ3着に入線、さらに悪いことにレース後薬物検査で禁止薬物が検出されたことにより失格となってしまった。
検出されたイプラトロピウムは人馬問わず使用される呼吸器系の治療薬でレースまでに体内に残留していなければ問題はなく、医師側の管理ミスであったが、結果的に凱旋門賞の歴史で初の薬物使用による失格となってしまった。
この事件は日本でも大きな波紋を呼び、ディープ本馬に落ち度はないが、今までの活躍が薬物使用のおかげなのではないかという疑惑が生まれてしまった。
ジャパンカップ
帰国してからはジャパンカップに向かうこととなったが、陣営は前走で掛けられたドーピング疑惑を払拭するため医師に見せずに管理することを決め、疲労を取るために行なっていた調教後の筋肉注射などもマッサージで代用してレースに臨んだ。
ジャパンカップは海外の強豪牝馬ウィジャボードも来日、さらに前年にディープを破り、その後ドバイシーマクラシックで1着、イギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで接戦の末3着と好成績を納めていたハーツクライも出走しており。さらに年下の二冠馬メイショウサムソンらも参戦。例年よりも少ない11頭立てで行われた。
ディープにとっては絶対に負けられないこのレース、道中スローペースとなるも最後方からレースを進めると、直線では大外に持ち出し、ドリームパスポートらを寄せ付けず1着でゴール。
一方でハーツクライは喉鳴りを発症しており10着と大敗し、これを最後に引退。明暗分かれる結果となった。
有馬記念
「残り600のハロン棒を背に、アドマイヤメインが通過しています。ダイワメジャーも早めに行った、メイショウサムソン、デルタブルース!さぁポップロックも早めに行った!外の方からスーッと上がってきた赤い帽子ディープインパクト!!」
「さぁ、ディープインパクトが、ここで、翼を広げるか!?ディープが今翼を広げた!!外目を突いて上がってくる!!メイショウサムソンを、あっと言う間に置き去りにした!!」
「ディープインパクト先頭!ディープインパクト先頭!間違いなく翔んだ、間違いなく翔んだ!!ディープインパクト先頭だ、ダイワメジャー、そしてホップロックも上がってきている!最後の衝撃だ、これが最後の、『ディープインパクト』!!」
- フジテレビ・三宅正治アナウンサーの実況より~
そして引退レースとなった有馬記念。いつものように後方からレースを進めると3コーナーから捲っていき、直線で一気に突き抜けると2着ポップロックに3馬身の差をつける完勝。昨年の雪辱を果たし有終の美を飾った。
シンボリルドルフ、テイエムオペラオーに並ぶ当時史上最多タイとなるG17勝目(芝GI7勝の記録はディープインパクトの死の翌年の2020年、アーモンドアイにより更新)を上げ、武豊は1990年のオグリキャップ以来の有馬記念制覇となった。
戦績
2歳新馬 1着
若駒ステークス(L) 1着
弥生賞(G2) 1着
皐月賞(G1) 1着
東京優駿(G1) 1着
神戸新聞杯(G2) 1着
菊花賞(G1) 1着
有馬記念(G1) 2着
阪神大賞典(G2) 1着
天皇賞・春(G1 1着
宝塚記念(G1) 1着
凱旋門賞(G1) 3着入線⇒失格
ジャパンカップ(G1) 1着
有馬記念(G1) 1着
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通算戦績 中央13戦12勝 (連対率100%)
海外1戦0勝
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生涯獲得賞金 14億5455万円
2007年~
競走馬登録を抹消し、当時最高額となる51億円のシンジケートが組まれ種牡馬として第二の馬生をスタートさせた。
2010年に産駒がデビュー、初勝利を果たす。
初年度産駒としてマルセリーナ(2011年・桜花賞)、リアルインパクト(2011年・安田記念)、トーセンラー(2013年・マイルチャンピオンシップ)、ダノンシャーク(2014年・マイルCS)のGⅠ馬を輩出した。
2世代目となる産駒からはジョワドヴィーヴルが2011年の阪神ジュベナイルフィリーズを勝ち、2012年にはディープブリランテが日本ダービー勝利し父子制覇となった。またBeauty Parlourがプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を勝利し産駒として初めて海外G1を制覇した。
そして、秋華賞でジェンティルドンナが史上4頭目の牝馬三冠を達成、シンザン、シンボリルドルフ等も実現しなかった、史上初の父・三冠馬の産駒による三冠馬輩出の快挙を成し遂げた。ジェンティルドンナは後にジャパンカップを勝ち、3歳牝馬として史上初の年度代表馬に選出、父・トウショウボーイ&仔・ミスターシービー、父・シンボリルドルフ&仔・トウカイテイオー以来史上3組目の父子選出になり、ディープは2012年のJRAリーディングサイヤーに輝いた。
以後2022年まで11年連続でリーディングサイヤーの地位を保ち続けた。
2020年にはコントレイルにより自身以来の無敗の牡馬三冠馬の輩出も達成。
2021年にシャフリヤールの勝利によって産駒の日本ダービーの勝利数が父サンデーの6勝を更新する7勝となった。
2022年のアスクビクターモアの菊花賞勝利によって産駒12世代連続でクラシック勝利。
さらにラストクロップとなる2020年生まれ世代からはAuguste Rodinが2022年フューチュリティトロフィー(英)を勝利。産駒全世代からG1馬を出した。
そのAuguste Rodinは2023年のイギリスダービーを勝利、これにより全13世代全てからクラシック競走勝ち馬を輩出するという大偉業が達成された。
更に同年のアイリッシュダービーも制し英愛ダービーを統一、産駒による日英愛仏のダービー&オークス完全制覇を成し遂げた。
2023年10月1日のポートアイランドSをドーブネが制し、父サンデーサイレンスが持つJRA通算勝利数2749勝に並んで歴代最多タイとなった。
更に同月8日の3歳以上障害OPをロックユーが制して2750勝となり、JRA通算勝利数の新記録を樹立する偉業を成し遂げた。
10月18日オーストラリアにて行われたクーンジーカップ(GⅢ)を2019年産のMuramasaが制し、これにより全13世代全てから海外重賞馬を送り出した。
(因みにディープインパクトはシャトル種牡馬を行った事がなく、生涯国内に居ながらこの成績である。)
12月5日Auguste Rodinがアイルランド年度代表馬を受賞し、前述のジェンティルドンナと合わせて2カ国で年度代表馬を輩出した。
2024年にコントレイルが顕彰馬に選出され、父サンデーサイレンスでさえ成し得なかった史上初となる2頭目の顕彰馬を輩出した。(2016年にジェンティルドンナが選出。)
6月19日Auguste Rodinが英国の ロイヤルアスコット 開催のメインレースの一つ、プリンスオブウェールズステークス(G1)を制覇。(ロイヤルアスコットはイギリス王室主催のレースであり、かつてエリザベス女王 2世が所有していたハイクレアの玄孫が見事に血の凱旋を果たした。)
そしてこの勝利により、産駒による14年連続G1勝利となり日本の種牡馬歴代最長タイ記録となった。
以上を見ればわかる通り産駒の成績は芝に偏重しており、それに対してダートでの成績は条件戦ですら壊滅的。
しかし、そんな中でもボレアスがGⅢ・レパードステークスを、アンジュデジールが地方交流重賞で好成績を残し、JpnⅠ・JBCレディスクラシックを、地方競馬ではダイアナブライトがJpnⅢ・クイーン賞を勝つなど、ごく一部だがダートで活躍する変わり種も存在する。
死去
順調に種牡馬として活躍していたが、2019年の3月に入って首に痛みが出たため、以降の種付けを中止。
翌年の種付けシーズンに備えて休養していたが、7月30日に頚椎骨折のため回復の見込みが立たず、安楽死処分となった。
享年17歳。多くのファン、世界中のホースマンに惜しまれる死であった。
JRAは8月3、4日の新潟・小倉・札幌の第11レースを『ディープインパクト追悼競走』の副題を付けて開催。
また同年のジャパンカップにはディープインパクトメモリアルという副題が付けられた。……2〜4着がディープインパクト産駒で、勝ったスワーヴリチャードがハーツクライ産駒というのはなんの因果だろうか。
さらにJRAは現役時代だけでなく、種牡馬としても大きな功績を残した同馬を称えるため、2020年から、自身も出走した報知杯弥生賞を、報知杯弥生賞ディープインパクト記念に改称すると発表した。サラブレッドの馬名を冠したレースが作られるのはシンザン記念以来53年ぶり、競走自体が廃止されたアラブ系の馬名を冠したレース(セイユウ記念とシュンエイ記念、JRA競走としては1995年に廃止。ただしセイユウ記念は地方競馬に移されて2004年まで実施された)を含めても46年ぶりである。こちらは改名後初回を産駒のサトノフラッグが勝っている。
重賞を勝った代表産駒
GⅠ/JpnⅠ勝ち馬
- マルセリーナ(2011年・桜花賞)
- リアルインパクト(2011年・安田記念、2015年ジョージライダーステークス)
- ジョワドヴィーヴル(2011年・阪神ジュベナイルフィリーズ)
- ジェンティルドンナ(2012年・桜花賞、優駿牝馬、秋華賞、2012年・2013年ジャパンカップ連覇、2014年・ドバイシーマクラシック、有馬記念)
- ディープブリランテ(2012年・日本ダービー)
- アユサン(2013年・桜花賞)
- ヴィルシーナ(2013年、2014年・ヴィクトリアマイル)
- キズナ(2013年・日本ダービー)
- トーセンラー(2013年・マイルチャンピオンシップ)
- ハープスター(2014年・桜花賞)
- ミッキーアイル(2014年・NHKマイルカップ、2016年・マイルチャンピオンシップ)
- ショウナンパンドラ(2014年・秋華賞、2015年ジャパンカップ)
- スピルバーグ(2014年・天皇賞(秋))
- ラキシス(2014年・エリザベス女王杯)
- ダノンシャーク(2014年・マイルチャンピオンシップ)
- ショウナンアデラ(2014年・阪神ジュベナイルフィリーズ)
- ダノンプラチナ(2014年・朝日杯フューチュリティステークス)
- エイシンヒカリ(2015年・香港カップ、2016年・イスパーン賞)
- ミッキークイーン(2015年・優駿牝馬、秋華賞)
- マリアライト(2015年・エリザベス女王杯、2016年・宝塚記念)
- リアルスティール(2016年・ドバイターフ)
- ディーマジェスティ(2016年・皐月賞)
- マカヒキ(2016年・日本ダービー)
- シンハライト(2016年・優駿牝馬)
- ヴィブロス(2016年・秋華賞、2017年・ドバイターフ)
- サトノダイヤモンド(2016年・菊花賞、有馬記念)
- サトノアレス(2016年・朝日杯フューチュリティステークス)
- アルアイン(2017年・皐月賞、2019年大阪杯)
- トーセンスターダム(2017年・エミレーツS)
- アンジュデジール(2017年・JBCレディスクラシック)
- サトノアラジン(2017年・安田記念)
- ダノンプレミアム(2017年・朝日杯フューチュリティステークス)
- ケイアイノーテック(2018年・NHKマイルカップ)
- ジュールポレール(2018年・ヴィクトリアマイル)
- ワグネリアン(2018年・日本ダービー)
- フィエールマン(2018年・菊花賞、2019年・20年天皇賞(春)連覇)
- グローリーヴェイズ(2019年・2021年香港ヴァーズ)
- Saxon Warrior(英)(2018年・英2000ギニー、レーシングポストトロフィー)
- Stady of Man(仏)(2018年・ジョッケクルブ賞(仏ダービー))
- ダノンファンタジー(2018年・阪神ジュベナイルフィリーズ)
- グランアレグリア(2019年・桜花賞、2020年安田記念、スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ、2021年ヴィクトリアマイル・マイルCS連覇)
- ラヴズオンリーユー(2019年・優駿牝馬、2021年クイーンエリザベス2世カップ、ブリーダーズカップF&Mターフ、香港カップ)
- ロジャーバローズ(2019年・日本ダービー)
- ワールドプレミア(2019年・菊花賞、2021年・天皇賞(春))
- Fierce Impact(豪)(2019年・トゥーラックハンディキャップ、カンタラステークス、2020年・マカイビーディーヴァステークス)
- コントレイル(2019年・ホープフルステークス、2020年・皐月賞、日本ダービー、菊花賞(※)、2021年・ジャパンカップ)
- Fancy Blue(愛)(2020年・ディアヌ賞(仏オークス)、ナッソーステークス)
- シャフリヤール(2021年・日本ダービー、2022年・ドバイシーマクラシック)
- Snowfall(英)(2021年・英オークス、愛オークス、ヨークシャーオークス)
- ダノンキングリー(2021年・安田記念)
- アカイトリノムスメ(2021年・秋華賞)
- Profondo(豪)(2021年・スプリングチャンピオンステークス)
- レイパパレ(2021年・大阪杯)
- キラーアビリティ(2021年・ホープフルステークス)
- ポタジェ(2022年・大阪杯)
- Auguste Rodin(愛)(2022年・フューチュリティートロフィー、2023年・英ダービー、愛ダービー、愛チャンピオンステークス、BCターフ、2024年・プリンスオブウェールズステークス)
- Glint of Hope(豪)(2022年・オーストララシアンオークス)
- アスクビクターモア(2022年・菊花賞)
- ジャスティンパレス(2023年・天皇賞(春))
(※)ディープインパクト以来、史上3頭目の無敗牡馬三冠を達成。
G1/Jpn1以外の主な重賞勝ち馬
- ダノンバラード(2010年・ラジオNIKKEI杯2歳ステークス、2013年・アメリカジョッキークラブカップ)
- フレールジャック(2011年・ラジオNIKKEI賞)
- ボレアス(2011年・レパードステークス)
- アダムスピーク(2011年・ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
- ベストディール(2012年・京成杯)
- ドナウブルー(2012年・京都牝馬ステークス、関屋記念)
- ワールドエース(2012年・きさらぎ賞)
- ヒストリカル(2012年・毎日杯)
- トーセンホマレボシ(2012年・京都新聞杯)
- スマートロビン(2012年・目黒記念)
- トーセンレーヴ(2012年・エプソムカップ)
- グルヴェイグ(2012年・マーメイドステークス)
- ファイナルフォーム(2012年・ラジオNIKKEI賞)
- カミノタサハラ(2013年・弥生賞)
- デニムアンドルビー(2013年・フローラステークス、ローズステークス)
- パッションダンス(2013年・新潟大賞典)
- エキストラエンド(2014年・京都金杯)
- サトノノブレス(2014年・日経新春杯)
- ウリウリ(2014年・京都牝馬ステークス)
- ラストインパクト(2014年・小倉大賞典、京都大賞典、金鯱賞)
- マーティンボロ(2014年・中日新聞杯、新潟記念)
- スマートレイアー(2014年・阪神牝馬ステークス)
- ディサイファ(2014年・エプソムカップ、2015年・中日新聞杯)
- キャトルフィーユ(2014年・クイーンステークス)
- ステファノス(2014年・富士ステークス)
- シャイニングレイ(2014年・ホープフルステークス、2017年・CBC賞)
- ヴァンセンヌ(2015年・東京新聞杯)
- クランモンタナ(2016年・小倉記念)
- カデナ(2016年・京都2歳s、2017年・弥生賞、2020年・小倉大賞典)
- ファンディーナ(2017年・フラワーカップ)
- スマイルカナ(2020年・ターコイズS)
- サトノフラッグ(2020年・弥生賞ディープインパクト記念)
- サトノアーサー(2020年・関谷記念)
- リアアメリア(2020年・ローズS)
- センテリュオ(2020年・オールカマー)
- サラキア(2020年・府中牝馬s)
- ヴァンドギャルド(2020年・富士S)
- カツジ(2020年・スワンS)
- レッドベルオーブ(2020年・デイリー杯2歳s)
- コントラチェック(2021年・オーシャンS)
- マジックキャッスル(2021年・愛知杯)
- ランブリングアレー(2021年・中山牝馬ステークス)
- ギベオン(2021年・金鯱賞)
- レッドジェネシス(2021年・京都新聞杯)
- デゼル(2021年・阪神牝馬S)
- コマンドライン(2021年・サウジアラビアロイヤルカップ)
- テルツェット(2021年ダービー卿チャレンジトロフィー・2021年・2022年クイーンステークス)
- ダイアナブライト(2021年・クイーン賞)
- ヨーホーレイク(2022年・日経新春杯)
- プラダリア(2022年・青葉賞、2023年・京都大賞典)
- ファルコニア(2022年・京成杯オータムH)
- ライトクオンタム(2023年・シンザン記念)
- プログノーシス(2023年・金鯱賞、札幌記念)
- ゼッフィーロ(2023年・アルゼンチン共和国杯)
- フィアスプライド(2023年・ターコイズS)
ちなみにディープインパクトはホモ鹿毛であり、産駒には栗毛の馬が存在しない。ホモ鹿毛は簡単に言えば栗毛の遺伝子を持たない鹿毛の馬のことである(この場合の鹿毛は黒鹿毛、青鹿毛も含む)。栗毛が生まれるには両親が栗毛の遺伝子を有している必要があるため、両親のどちらか一方でもホモ鹿毛だと栗毛の仔馬は生まれない。逆に栗毛の生まれる可能性のある鹿毛はヘテロ鹿毛という。
体格・性格など
ディープインパクトの最も有名な逸話として、牡馬の中では人並み外れて小さい馬で、調教師が最初に見た時は牝かと思い股間を覗いたと言うエピソードがある。ちなみにこれはディープが有名になるまでの間に度々起こった事であり、この馬体の小ささは現役を通してディープインパクトの特徴の一つであった。実際、出走したGⅠレースでは、多くの場合が出走馬中の最低体重を記録している。
また、その体躯の小さい印象から、現役時代の初期は他馬に比べて揉まれ弱いとも言われていた。この評価は後に逆転して、大型馬よりも故障のリスクが小さいと言うメリットとして評価される事になる。
ただ、どちらにせよ最強の競走馬と言うイメージとは裏腹に、幼少期は虚弱で、他馬より小さく非力と言われており、厩務員や調教師など、ディープインパクトと直接触れ合った人たちは、後述する性格も含めて、口を揃えて彼のことを可愛い馬だったと評している。
性格は、普段は人懐っこくて大人しく、厩舎では「お坊ちゃまくん」のニックネームで呼ばれていたと言う。このエピソードに代表されるように、気さくで優しく、また頭が良い馬だったと言われている。
また、体の小ささとは裏腹に食欲自体はかなりある方だったが、人間の様に水、飼料、青草を三角食べしていたと言うエピソードがあり、普段の行動は大人しく気品さがあるタイプだったという。
そんな彼も、種牡馬入りしてからは人気が殺到してあまりにも多くの種付けを行った結果(13年間に渡る種牡馬時代で種付け数が200頭を下回ったのは、2009年と2018・2019年の3年だけ)、晩年は好みの牝馬の尿臭を嗅がせたり投薬しなければ発情しなくなってしまい、また人間不信の気も出ていたとされる。それでもにんじんなどを与えれば喜んで食べていたとのこと。
総合的なイメージで言うと、上品で優しく、穏やかな性格の可愛い馬だった様である。
その一方で、こと、勝負という事柄に関しては真逆の性質のエピソードが多い。
とにかく一旦コースに入ると負けん気が強く、デビュー前の頃は、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったというエピソードが残る。また3歳時はほかの馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労したという調教師の話も。
とにかく走る事が好きな馬であり、主戦騎手を務めた武豊は「走ろうとする気持ちが強すぎるので、乗る立場からすれば難しい馬」「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」と語っている。
ディープの次の三冠馬は凄まじい気性難で知られたが、その鞍上を勤めた池添謙一も「豊さんは(ディープに)簡単そうに乗ってましたけど、実は難しかったと思います。そう見せないのがプロなので」と語っている。
実際に武豊も「一番乗りやすかったのはオグリキャップで、乗りにくかったのはディープインパクト」という趣旨のコメントをしている。
形容するならば桁外れの身体能力をもつじゃじゃ馬であり、ディープが勝てたのは武のコントロールがあったからこそという声は少なくない。
シンボリルドルフとの対比
ディープを語る上でよく比較に出されるシンボリルドルフとは、かなり対比となる特徴が多い。
上記で言われるように、レース外では穏やかで「お坊ちゃまくん」とまで呼ばれていたディープとは違い、ルドルフは逆にレース外では気性が荒く「ライオン」とまで呼ばれていたと言う。
その一方で、ルドルフは人前に出る時は堂々としており、決して暴れる姿を見せず、気ままに振る舞っても良い場所とそうでない場所を弁えていたと言う。
レースに関する姿勢に関しても同様で、「ソツのないレース巧者」と言う評価通り、常に安定した走りを見せるルドルフに対して、「その強さは並ぶ間もない圧倒的なもの」と言われるディープは、馬では無い他の生き物の様だと言われる様に、レース中は他の馬や騎手すらも尻込みさせる強さを見せる一方、負けん気の強さから主に精神面に欠点を見出す者も多い。
言わば、ディープインパクトは動的・爆発力・剛の者と言う特徴があったのに対して、シンボリルドルフは静的・技術力・知恵者と言った特徴があった様である。
なお、シンボリルドルフの主戦騎手を務めた岡部幸雄は、「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と発言している。岡部はディープにはルドルフに匹敵する能力があるとしつつ、スタートの拙劣さや気性面に問題があると指摘し、欠点の少なさにおいてはルドルフの方が上であると評した。
もっとも、岡部自身は自ら「ディープインパクトの追っかけ」と称するほどのディープのファンでもあり、凱旋門賞出走時のは声を荒らげて応援している。
- ディープインパクトは併せ馬気味に走るとそれに躍起になり末脚を発揮しづらくなるという弱点があり、負け試合はその弱点が露呈した形となっている。「馬体を併せる作戦」という発言もここから来ている。
- ちなみにそんな岡部騎手が「ルドルフでも勝てたかどうか分からない」と語ったのは、1975年日本ダービーにおける狂気の逃げ馬カブラヤオーである。
最強と最弱
後世において、競馬に詳しくない一般人に「競馬で知っている馬は?」と聞くと「ディープインパクトとハルウララ」と回答されることがよくある。
方や日本最強の馬、方や生涯1勝もできなかった地方の弱小馬だが、2000年代の競走馬でもこの二頭の知名度は他の競走馬とは比べ物にならない。
理由は両者ともメディアでの登場が圧倒的に多かったことである。
ディープインパクトが台頭する少し前、日本競馬は第二次競馬ブームの収束に伴い2000年以前に比べると人気が下降線を辿っていた。地方の競馬場が赤字に苦しんだ末に次々と閉鎖されていく中、同じように赤字を抱えた高知競馬は生き残りをかけた苦肉の策として連敗記録を更新し続けるハルウララをメディアに売り出し、これがウケて日本全体を巻き込む社会現象になった。
馬で視聴率を稼げることに気付いたメディアだったが、ハルウララは調教師と馬主間のトラブルで急遽引退を余儀なくされてしまう。
これから取材に…というところで手が空いてしまった彼らの前に現れたのがディープインパクトだった。ハルウララで少し競馬に興味を持った素人でも分かる程圧倒的に速くて強い、正真正銘のスターホースを当然メディアは放っておかなかった。
直ちにニュース、情報バラエティ番組が彼の活躍を伝えると、これもまた社会現象化。新聞も企業もとにかくディープインパクトにあやかり始めた。
2005年プロ野球で優勝したロッテのバレンタイン監督に「今欲しいのはQちゃんとディープインパクト」と言わせたグリーンガムのCMが有名。
ハルウララがいなければここまで報道が過熱することもなかったのではという声もあり、上記の回答は当時の影響力の高さを物語っている。
ちなみに、二頭には交配計画もあったそうだが、種付け料の高さから実現されなかった。
逸話
上記のように数多くの逸話が残るが、特に印象的なものはディープインパクトの出るレースでは、それ以外の皆は2着を狙っていたと言うものだろう。
とにかくディープインパクトの現役時代の騎手にとっては、まさしく競走相手として絶望を植え付けるに相応しいという馬であり、中には「幾らなんでも付けいる隙はあるだろう」と思い挑んだ騎手が、レース後に「今後あの馬を相手に戦わなければいけないのか」と絶望したとも言われており、記録にもある通り、その圧倒的な速さは、まさに名前通りに競馬界に深い衝撃を与えた存在であった。
引退レースとなった有馬記念の勝ちっぷりもまだ底を見せておらず、競走馬としてもまだまだ全盛期を過ぎていない印象であった。現役を続行すれば中央競馬の日本記録であるGI七冠を塗り替えるのは確実であり、また凱旋門賞のリベンジをといった見解から、ファンやマスコミからは惜しむ声や引退に反対する声も多かった。このとき、陣営が下した引退、種牡馬入りという決断に唯一理解を示した人物が競馬評論家としても知られる大橋巨泉だったという(海外では後継種牡馬を託された超一流馬は3歳で引退して種牡馬入りすることが少なくなく、古馬になってもう一年走っただけでも十分だという考えを持っていたため)。
2020年に無敗の牡馬三冠を達成したディープ産駒コントレイルも、ディープインパクトの後継種牡馬となるべく4歳秋に引退している。
ニックスについて
母系のウインドインハーヘアの血統はキングヘイローの父系の血統と似通っており、このことからディープインパクト産駒の種牡馬とキングヘイロー産駒の繫殖牝馬を掛け合わせる配合(=父父ディープ×母父キングヘイロー)は相性が良く、2021年のBMSとしてのキングヘイローの好成績に繋がっている。それ以前にも父ディープ×母父キングヘイローの配合は見られたが、この場合ダンシングブレーヴとアルザオのニアリークロス3×3が発生することからインブリードが濃すぎて力を発揮できなかったと見られており、ディープ系のサイアーラインが一代下がることにより血のバランスが良くなったことが好成績の大きな理由の一つと考えられている。
また、父ディープインパクト×母父Storm Catの配合も相性が良いとされ、キズナやエイシンヒカリ、ラヴズオンリーユーなどのGI馬を何頭も排出している。米国系のスピード血統を入れることによってマイル〜中距離で活躍する産駒が多いようである。
関連タグ
ディープインパクト(ウマ娘):キングカメハメハ(ウマ娘)と同じくウマ娘としては今のところ実装されていない者同士。
シンボリルドルフ:同じく無敗の七冠馬。ディープ陣営がレース後に「○冠目」を表すジェスチャーをしたのはかつてのルドルフ陣営に倣ったものであった。ちなみにディープの主戦を務めた武豊はシンボリルドルフの主戦・岡部幸雄が行うこのようなジェスチャーに憧れて「いつかは自分も」と憧れており、それを叶える形となった。
キングカメハメハ:ディープと並んで平成後期を代表する名種牡馬であり一年先輩のダービー馬。馬主が同じく金子真人氏で、ディープとほぼ同時期(2019年8月)に死亡。お墓は社台スタリオンステーションの一角に並んで建てられており、見学可能な時期であればお墓参りも可能。
ハーツクライ:一年先輩のサンデー産駒。国内で唯一敗戦を喫した相手。
ブラックタイド:サンデー産駒の全兄。オーナーも同じく金子氏。種牡馬としてディープに並ぶGⅠ7勝を挙げたキタサンブラックを輩出している。
アドマイヤジャパン:三冠馬ディープインパクトのクラシック期のライバルの1頭として知られる。2022年には馬とは思えないある姿から日本中の注目を集めた。