黄金の道へ。
2013年JRA CM「菊花賞」編より
- メイン画像は1988年(第49回)にモチーフ馬が本レースを制したスーパークリーク(ウマ娘)。
名称について
皇室の紋章で、桜と並んで日本の事実上の国花とされているキク類の花に由来する。
JRAは書き言葉としては「きくかしょう」を正式なひらがな表記としている。
ただし、口頭での話し言葉としては、一般的な読み方である「きっかしょう」を耳にする機会が非常に多く、ラジオやテレビ番組でのアナウンサーや解説者、評論家やその他有識者なども「きっかしょう」と呼ぶ事が大半である。
基本データ(2024年)
コース | 京都競馬場・芝3,000m |
---|---|
格付 | GⅠ |
出走資格 | サラブレッド系3歳牡馬・牝馬、JRA・地方競馬・外国厩舎(外国調教馬) |
フルゲート | 18頭 |
賞金 | 2億円 |
負担重量 | 馬齢(牡57kg・牝55kg) |
備考 | JRA馬は未勝利・未出走のものは除く |
概要
日本中央競馬会(JRA)がに施行する重賞競走の一つ。格付けはGⅠ。
英国のクラシック競走「セントレジャーステークス」を手本として1938年に「京都農林省賞典4歳呼馬」という名称で創設され、1948年に現在の名称に変更された。開催時期は1938年(第1回)及び1946年(第7回)は12月、それ以外は専ら11月開催で、2000年より毎年10月後半の開催が定着した。
同じく1930年代に創設された現在の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)と同じく長い歴史を持つレースであり、これら2競走と共に日本競馬における3歳牡馬クラシック三冠を構成する。
試合傾向
本レースは「最も強い馬(出走馬)が勝つ」と広く評される。
出走する多くの3歳馬にとって3,000mのレースは未経験で、この長距離を走り抜けるだけのスタミナが必要となる。
また、第3コーナーには高低差が3.9mの急坂(通称「淀の坂」)があり、レースではここを2回通過する。
そのため、単純にトップスピードとスタミナの維持だけでなく、緻密なペース配分など競走馬としての総合的な身体能力が問われる1戦となる。
開催時期が日本ダービーから五ヵ月後と、夏場に力を付けてきたいわゆる「上がり馬」の参戦によって皐月賞とダービーを制した二冠馬が本レースで敗れるケースも多い。
現在まで日本ダービーと本レースを制した二冠馬は、皐月賞未出走のクリフジとタケホープのみである。
また、皐月賞での勝利後に有力馬が集まりやすいダービーで敗れたり、皐月賞後の長い時間を療養や調整に当てて復帰し本レースを勝った二冠馬は複数存在する。
近年は距離適性や獲得賞金などの考慮により、本レースに向かわず天皇賞(秋)や凱旋門賞に挑戦する馬も多く見受けられる。
本レースの優先出走が付与されるトライアル競走
1999年までは京都新聞杯がトライアル競走となっていた。
余談
逃げ切り勝ちが少なく、歴代でも3頭しかいない。
1970年にビクトリアカップ(現在のエリザベス女王杯)が創設されるまで、牝馬3冠の最終戦は菊花賞であった。
2023年現在、菊花賞を制した牝馬は1943年のクリフジ、1947年のブラウニーの2頭のみである。因みにこの2頭とも1番人気に押され、ブラウニーは2馬身差で牡馬達を完膚なきまでに蹴散らし、クリフジに至っては菊花賞史上唯一の大差勝ちで菊花賞を制している。化け物かなにかか。
因みにブラウニーが菊花賞をとった1947年はなんとオークスと同日開催であり、そのオークスを制したのはこの年の皐月賞馬であるトキツカゼだった為、同じ日に二冠牝馬が誕生するという極めて珍しい事態が発生している。あれ?なんで牝馬が牡馬クラシックの二冠独占してるんですか?
1944年の第7回は、前回とは違う内回りのコースを2周する設定となっていたが、伝達不備で全ての馬が前回コースに進入。
そのため全馬失格となり競走不成立という前代未聞の結果となった。
なおこの時の1位入線は同年のダービー馬カイソウであり、幻の2冠馬とも評されている。
2002年の第63回は、以下の出来事が発生し大波乱となった。
・1番人気は皐月賞を制した武豊騎手騎乗のノーリーズンがスタートから1秒近くで落馬(人馬共に異常なし)。
・1着が10番人気のヒシミラクル、2着が16番人気のファストタテヤマ。
・最終的に馬単馬券の払戻金が18万2,580円。
2005年の第66回は、ディープインパクトの三冠がなるかが最大の話題となり期待通りの圧勝。
単勝は100円元返し(支持率79.03%で菊花賞史上第2位)。
京都競馬場および最寄り駅の京阪電車淀駅に大勢の観客が集まり、特急列車の臨時停車という措置が取られた。
2021年第82回と2022年第83回は、京都競馬場の大規模改修のため1979年以来42年ぶりに阪神競馬場で開催。
歴代優勝馬
馬の太字は同年JRA賞最優秀3(4)歳牡馬受賞馬、騎手の太字は騎手もしくは調教師顕彰者。
☆は三冠達成。
★は二冠達成(「皐」は皐月賞、「優」は東京優駿(日本ダービー)、「桜」は桜花賞との二冠)。
回数 | 開催年 | 馬名 | 冠 | 騎手 | 備考 | |
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昭和 | ||||||
第1回 | 1938年 | テツモン | 伊藤正四朗 | 記念すべき第1回の勝ち馬 | ||
第2回 | 1939年 | マルタケ | 清水茂次 | |||
第3回 | 1940年 | テツザクラ | 伊藤勝吉 | |||
第4回 | 1941年 | セントライト | ☆ | 小西喜蔵 | 史上初のクラシック三冠達成だが、ラストランとなった。顕彰馬 | |
第5回 | 1942年 | ハヤタケ | 佐藤勇 | |||
第6回 | 1943年 | クリフジ | ☆(変則) | 前田長吉 | 優駿牝馬、東京優駿の無敗変則三冠、顕彰馬。鞍上の前田は国営時代の最年少優勝騎手(18歳)。 | |
- | 1944年 | - | - | - | 競技不成立による全馬失格(ダービー馬カイソウが1位入線) | |
- | 1945年 | - | - | - | 太平洋戦争の影響により休止 | |
第7回 | 1946年 | アヅマライ | 武田文吾 | |||
第8回 | 1947年 | ブラウニー | ★(桜) | 土門健司 | 桜花賞との二冠達成。牝馬の菊花賞制覇は同馬が最後。 | |
第9回 | 1948年 | ニユーフォード | 武田文吾 | |||
第10回 | 1949年 | トサミドリ | ★(皐) | 浅野武志 | セントライトの半弟。顕彰馬 | |
第11回 | 1950年 | ハイレコード | 浅見国一 | |||
第12回 | 1951年 | トラツクオー | 小林稔 | |||
第13回 | 1952年 | セントオー | 梅内慶蔵 | |||
第14回 | 1953年 | ハクリヨウ | 保田隆芳 | |||
最優秀4歳牡馬設置 | ||||||
第15回 | 1954年 | ダイナナホウシユウ | ★(皐) | 上田三千夫 | ダービー馬ゴールデンウエーブ、そして二冠牝馬ヤマイチらのクラシック組がそろった中での勝利。菊花賞の6馬身差での勝利は当時クリフジの大差勝ちに次ぐ着差記録。 | |
第16回 | 1955年 | メイヂヒカリ | 蛯名武五郎 | 春全休からの勝利。顕彰馬 | ||
第17回 | 1956年 | キタノオー | 勝尾竹男 | |||
第18回 | 1957年 | ラプソデー | 矢倉義勇 | |||
第19回 | 1958年 | コマヒカリ | 浅見国一 | |||
第20回 | 1959年 | ハククラマ | 保田隆芳 | 逃げ切り勝ち。勝ちタイム3.07.7は当時芝3000mのレコードタイム。 | ||
第21回 | 1960年 | キタノオーザ | 伊藤竹男 | コダマの三冠を阻んだ | ||
第22回 | 1961年 | アズマテンラン | 野平好男 | |||
第23回 | 1962年 | ヒロキミ | 高松三太 | |||
第24回 | 1963年 | グレートヨルカ | 保田隆芳 | メイズイの三冠を阻んだが、同厩舎でもあるメイズイの不甲斐ない大敗(6着)に保田がレース後メイズイ鞍上の森安重勝に激怒したことで知られる。 | ||
第25回 | 1964年 | シンザン | ☆ | 栗田勝 | 史上唯一、二冠牡馬と二冠牝馬が、それぞれの三冠をかけて直接対決したレースであり、勝ったシンザンは史上2頭目の三冠馬となった。顕彰馬 | |
第26回 | 1965年 | ダイコーター | 栗田勝 | 鞍上の栗田は初の菊花賞連覇。 | ||
第27回 | 1966年 | ナスノコトブキ | 森安弘明 | スピードシンボリとは鼻差の接戦。 | ||
第28回 | 1967年 | ニツトエイト | 伊藤竹男 | |||
第29回 | 1968年 | アサカオー | 加賀武見 | 同年年度代表馬となるが、最優秀3歳牡馬は同期の皐月賞馬マーチスが受賞。 | ||
第30回 | 1969年 | アカネテンリュウ | 丸目敏栄 | 初の上がり馬のよる優勝。 | ||
第31回 | 1970年 | ダテテンリュウ | 宇田明彦 | タニノムーティエの三冠を阻むが、タニノムーティエは喉鳴りを起こして競走能力を失っていた。 | ||
第32回 | 1971年 | ニホンピロムーテー | 福永洋一 | 名手・福永洋一の八大競走初優勝。しかも坂の上りからのロングスパートは初だった。 | ||
第33回 | 1972年 | イシノヒカル | 増沢末夫 | |||
第34回 | 1973年 | タケホープ | ★(優) | 武邦彦 | 代打騎乗での制覇。ハイセイコーとは鼻差の接戦だった。 | |
第35回 | 1974年 | キタノカチドキ | ★(皐) | 武邦彦 | 二人目の騎手連覇。 | |
第36回 | 1975年 | コクサイプリンス | 中島啓之 | |||
第37回 | 1976年 | グリーングラス | 安田富男 | 2着テンポイント、3着トウショウボーイと、TTG三強の幕開けとなった。 | ||
第38回 | 1977年 | プレストウコウ | 郷原洋行 | 勝ちタイム3.07.6で、前保持のハククラマから実に18年ぶりの菊花賞レコードタイム。 | ||
第39回 | 1978年 | インターグシケン | 武邦彦 | 勝ちタイム3.06.2で、菊花賞レコードタイム。 | ||
第40回 | 1979年 | ハシハーミット | 河内洋 | 阪神競馬場での開催 | ||
第41回 | 1980年 | ノースガスト | 田島良保 | |||
第42回 | 1981年 | ミナガワマンナ | 菅原泰夫 | |||
第43回 | 1982年 | ホリスキー | 菅原泰夫 | 三人目の騎手連覇。勝ちタイム3.05.4は当時芝3000m世界レコード。 | ||
第44回 | 1983年 | ミスターシービー | ☆ | 吉永正人 | 史上3頭目の三冠達成、顕彰馬 | |
第45回 | 1984年 | シンボリルドルフ | ☆ | 岡部幸雄 | 史上初の無敗三冠馬、顕彰馬 | |
第46回 | 1985年 | ミホシンザン | ★(皐) | 柴田政人 | シンザンの最高傑作と称された。 | |
第47回 | 1986年 | メジロデュレン | 村本義之 | |||
第48回 | 1987年 | サクラスターオー | ★(皐) | 東信二 | 「菊の季節に桜が満開」の実況は有名。 | |
第49回 | 1988年 | スーパークリーク | 武豊 | 鞍上の武はJRA発足後の最年少GⅠ勝利、父・邦彦と騎手で初の父子制覇。 | ||
平成 | ||||||
第50回 | 1989年 | バンブービギン | 南井克巳 | |||
第51回 | 1990年 | メジロマックイーン | 内田浩一 | 「メジロでもマックイーンの方だ」の実況はよく知られる。顕彰馬 | ||
第52回 | 1991年 | レオダーバン | 岡部幸雄 | |||
第53回 | 1992年 | ライスシャワー | 的場均 | ミホノブルボンの無敗三冠を阻止。勝ちタイム3.05.0は当時の芝3000m日本レコード | ||
第54回 | 1993年 | ビワハヤヒデ | 岡部幸雄 | 勝ちタイム3.04.7はレコードタイム。 | ||
第55回 | 1994年 | ナリタブライアン | ☆ | 南井克巳 | ビワハヤヒデの半弟。史上5頭目の三冠達成、京都競馬場のスタンド改修後、最初のGⅠ競走だった。また、勝ちタイム3.04.6のレコードタイム。上顕彰馬 | |
第56回 | 1995年 | マヤノトップガン | 田原成貴 | 勝ちタイム3.04.4は菊花賞レコードタイムで、4年連続でレコードタイムを更新。 | ||
第57回 | 1996年 | ダンスインザダーク | 武豊 | 前がふさがる不利の中、馬群を縫うようにして最後の直線上がり33.3の驚異的な末脚で勝利するが、この代償で屈腱炎発症・引退となる。 | ||
第58回 | 1997年 | マチカネフクキタル | 南井克巳 | 神戸新聞杯、京都新聞杯のトライアル2戦を勝利して菊花賞を勝ったのは現在まで本馬が最後。 | ||
第59回 | 1998年 | セイウンスカイ | ★(皐) | 横山典弘 | ハククラマ以来の逃げ切り勝ち。勝ちタイム3.03.2は当時の芝3000m世界レコード。 | |
第60回 | 1999年 | ナリタトップロード | 渡辺薫彦 | クラシックでの惜敗を見事に晴らした。 | ||
第61回 | 2000年 | エアシャカール | ★(皐) | 武豊 | ||
馬齢改正・最優秀3歳牡馬変更 | ||||||
第62回 | 2001年 | マンハッタンカフェ | 蛯名正義 | |||
第63回 | 2002年 | ヒシミラクル | 角田晃一 | 10番人気での勝利 | ||
第64回 | 2003年 | ザッツザプレンディ | 安藤勝己 | ネオユニヴァースの三冠を阻む。 | ||
第65回 | 2004年 | デルタブルース | 岩田康誠 | 鞍上の岩田は当時は地方園田所属だった。 | ||
第66回 | 2005年 | ディープインパクト | ☆ | 武豊 | 史上2頭目の無敗三冠馬、JRA顕彰馬。また鞍上の武豊は菊花賞勝利騎手単独最多となる4勝目。 | |
第67回 | 2006年 | ソングオブウィンド | 武幸四郎 | 兄・豊との初の騎手兄弟制覇。勝ちタイム3.02.7は菊花賞レースレコードを更新、メイショウサムソンの三冠を阻んだ。 | ||
第68回 | 2007年 | アサクサキングス | 四位洋文 | 鞍上の四位は同年ダービーをウオッカで制し、別々の馬でクラシック二冠を制した。 | ||
第69回 | 2008年 | オウケンブルースリ | 内田博幸 | |||
第70回 | 2009年 | スリーロールス | 浜中俊 | 人馬共にGⅠ初制覇。 | ||
第71回 | 2010年 | ビッグウィーク | 川田将雅 | この年から国際競走となる。 | ||
第72回 | 2011年 | オルフェーヴル | ☆ | 池添謙一 | 史上7頭目の三冠達成、顕彰馬 | |
第73回 | 2012年 | ゴールドシップ | ★(皐) | 内田博幸 | ||
第74回 | 2013年 | エピファネイア | 福永祐一 | 父・洋一と二組目の騎手父子制覇。 | ||
第75回 | 2014年 | トーホウジャッカル | 酒井学 | 勝ちタイム3.01.0は現在の芝3000m世界レコード | ||
第76回 | 2015年 | キタサンブラック | 北村宏司 | 馬主の北島三郎氏はこれがG1初勝利。皐月賞での惜敗、ダービーでの大敗を見事に晴らした。顕彰馬 | ||
第77回 | 2016年 | サトノダイヤモンド | クリストフ・ルメール | 馬主の里見治氏はこれがG1初勝利。 | ||
第78回 | 2017年 | キセキ | ミルコ・デムーロ | グレード制導入後史上最遅のタイムで制覇。 | ||
第79回 | 2018年 | フィエールマン | クリストフ・ルメール | |||
令和 | ||||||
第80回 | 2019年 | ワールドプレミア | 武豊 | 武豊が史上初の3元号を跨いでの制覇。 | ||
第81回 | 2020年 | コントレイル | ☆ | 福永祐一 | 史上3頭目の無敗三冠馬。また史上初の父子2代による三冠達成。また、改修前最後のG1競走だった。顕彰馬 | |
第82回 | 2021年 | タイトルホルダー | 横山武史 | セイウンスカイ以来の逃げ切り勝ち。42年ぶりに阪神競馬場で開催された。父・典弘と三組目の父子制覇。 | ||
第83回 | 2022年 | アスクビクターモア | 田辺裕信 | 阪神競馬場で開催。3分2秒4のレコードタイムを叩き出す。 | ||
第84回 | 2023年 | ドゥレッツァ | クリストフ・ルメール | 2年ぶりに京都競馬場で開催。ダービー馬タスティエーラと皐月賞馬ソールオリエンスの対決があったが二頭共に敗れた。 | ||
第85回 | 2024年 | アーバンシック | クリストフ・ルメール | ルメールは四人目の騎手連覇。 |