概要
1983年5月1日生まれ、父フィディオン母メジロオーロラ。通算21戦6勝。
半弟に菊花賞を兄弟制覇し、さらに天皇賞(春)を連覇したメジロマックイーンがいる。
デビューから引退まで村本善之騎手が担当。イクノディクタスやダンツシアトルと並び村本騎手の代表的騎乗馬である。
誕生
1983年5月1日、吉田堅牧場にてメジロオーロラの初仔としてメジロデュレンは生まれた。母メジロオーロラは初めての仔であったメジロデュレンの乳飲みを拒むこともあった。
池江泰郎調教師の管理馬となり、母と同じ、栗東トレーニングセンターの池江厩舎に入厩した。
デビュー〜菊花賞制覇
1985年デビュー。2戦目の後故障し半年ほど休養。
1986年条件戦を勝ち上がり、嵐山特別を勝利、第47回菊花賞に出走する。
メジロデュレンは6番人気という評価だったが、レースではサニーライトが故障発生する中、メジロデュレンは同期の日本ダービー優勝馬ダイナガリバーを半馬身差で抜け出して勝利。GI初制覇となった。メジロ系列は、クラシック三冠競走初制覇となった。
前週に行われた第11回エリザベス女王杯で優勝し史上初の牝馬三冠を達成したメジロラモーヌに続いて2週連続で「メジロ」系列が勝利となった。
第31回有馬記念は、ファン投票では10位の70623票を集めたが、メジロラモーヌが引退レースとしたために回避した。(メジロラモーヌはこの有馬記念で道中不利もあり9着。優勝馬はダイナガリバーだった。)
1987年は日経新春杯で始動もフレッシュボイスに5馬身つけられ3着、その後骨折により半年ほど休養する。
10月24日のカシオペアステークスで復帰するも5着敗退。続いて鳴尾記念に2番人気で出走するも、勝利したタマモクロスに1.8秒離され、初めて掲示板外となる10着に敗れた。
波乱の有馬記念制覇
第32回有馬記念ではメジロデュレンは10番人気であった。
スタートから3番人気のメリーナイスが落馬、1番人気のサクラスターオーが第3コーナーで故障発生し、有力馬の2頭が競走中止となった。メジロデュレンは、サクラスターオーが後退したことで生まれたスペースを利用して進出、最後の直線に差し掛かり、7番人気ユーワジェームスを半馬身退けて先頭で決勝線を通過した。
10番人気メジロデュレンの単勝式「7」は2410円、また7番人気ユーワジェームスを併せたゾロ目の枠番連勝式「4 – 4」は1万6300円、両方が有馬記念歴代最高配当を更新する波乱となった。
サクラスターオーとメリーナイスが競走中止となったアクシデントのため、インタビューを受ける村本騎手は喜びを態度に表すことができなかった。
明けて1988年、阪神大賞典4着、サンケイ大阪杯7着から天皇賞(春)に参戦するが、タマモクロスにかわされ3着。続く宝塚記念もタマモクロスに敗れて7着。
秋は富士ステークス8着、第8回ジャパンカップはハナを切りレースを先導するも終盤失速し11着となった。
最後の有馬記念
第33回有馬記念5着が最後のレースとなった。優勝はオグリキャップ。
なお、有馬記念でスーパークリークはメジロデュレンの進路を妨害したとして失格処分を受けている。
有馬記念でのゲート入りで立ち上がるなど枠入り不良と判断されて、出走停止が命じられた。停止措置が明けても出走せず、競走馬を引退した。
引退後
競走馬引退後は、北海道沙流郡門別町の門別スタリオンステーションにて種牡馬となった。特筆すべき産駒は、新潟県競馬の重賞である新潟ジュニアカップを勝ったライデンホースくらいであり、弟のメジロマックイーンのように母父として成功を収める事も無く、メジロデュレンの血は現代には残っていない。血統のトレンドは既にスピード化に傾いており、メジロデュレンのような古き時代のステイヤーの血は需要が無くなっていたのも事実である。
1994年を最後に種牡馬から引退。つま恋乗馬クラブで乗馬となった。さらにその後、長野県のスエトシ牧場に移され余生を送っていたが2009年10月15日に老衰のため死亡。
ウマ娘シンデレラグレイ
オグリキャップ(ウマ娘)主役の『ウマ娘シンデレラグレイ』にメジロデュレンがモデルと思われるウマ娘が登場しているが、名前は伏せられている。
上述の通り史実ではオグリキャップとメジロデュレンは第8回ジャパンカップと第33回有馬記念の二度対戦している。
第8回ジャパンカップ編ではメジロデュレンにあたるウマ娘の姿が吹き出し等で隠され一切出てこない。第33回有馬記念編でメジロデュレンがモデルと思われる黒髪のウマ娘が登場し、スーパークリーク(ウマ娘)が引き起こした「事件」に関わる事になる。
「『ウマ娘シンデレラグレイ』では名前が伏せられていたので、いずれ本名でゲームに実装されるのでは?」と予想する声もあるが…?
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