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スーパークリーク

すーぱーくりーく

スーパークリークは、昭和末期から平成初期にかけて活躍した競走馬である。(画像上から2番目の馬)
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現役時代は、オグリキャップイナリワンと共に『平成三強』と称され、また、当時19歳8ヶ月だった武豊に初めてGⅠ勝利をもたらしたことでも知られる名馬である。

※当馬をモデルとするウマ娘については、「スーパークリーク(ウマ娘)」を参照。
※馬齢・レース名は現役当時(旧表記)で記す。

経歴

1985年5月27日生まれ。生まれたばかりの頃は歩行が覚束なく、落札額は810万円と安かった。
馬名は「今は小川(creek)でも、いつかは大河になってほしい」という願いを込め、「スーパークリーク」と付けられた。
(以下、「クリーク」と表記)

現役時代

1987年(3歳)12月5日にデビューし、新馬戦は2着で、2戦目の12月26日に初勝利を挙げる。
1988年(4歳)2月24日きさらぎ賞(GⅢ)が初重賞で、8頭立ての3着だった。
次のすみれ賞(オープン)で2勝目。このレースからは引退まで一貫して若武者・武豊が騎手となる。
クラシック戦線では日本ダービーを目指すも故障が発生して断念。

秋戦線は菊花賞(GⅠ)を目指す。トライアルの神戸新聞杯(GⅡ)は3着、続く京都新聞杯(GⅡ)は6着に終わり優先出走権が得られず、他馬の回避待ちとなった。
クリークの素質に惚れ込んでいた武豊は「どうしてもクリークで菊花賞に出たい」という姿勢を持っていたが、回避が出たことで運良く菊花賞に出ることが出来た。
そしてレースは第4コーナーから先頭に立つとそのまま逃げ切って勝利。武豊はこれが初のGⅠ勝利となり、以後の活躍は改めて言うまでもないだろう。

次は有馬記念に出走。このレースは出走馬は13頭ながら、オグリキャップ(以下「オグリ」)・タマモクロスサッカーボーイメジロデュレンなど役者が揃っており、また翌年1月7日に昭和天皇が崩御したことから、これが昭和最後のGⅠとなった。
レースはオグリ・タマモクロスに続く3着に入線するも、進路妨害を行ったとして失格となってしまった。

古馬となった1989年(5歳)は、筋肉痛の影響で春戦線には出られず、秋戦線に出ることとなった。
復帰第1戦の京都大賞典(GⅡ)を勝利すると、秋の天皇賞でオグリやイナリワン(以下「イナリ」)と対決。100回目の天皇賞という節目で平成三強が初めて揃い踏みとなった。
レースはオグリとの接線になったが、競り合いを制してGⅠ2勝目を飾る。(イナリは6着。)

続くジャパンカップでは再び平成三強が揃って対決するも、勝ったのはニュージーランド産の馬ホーリックスで、オグリが2着、クリークが4着、イナリは11着に終わった。

年末の有馬記念でも平成三強が揃ったが、イナリに敗れて2着に終わった。オグリは5着だった。

最後のシーズンとなった1990年(6歳)は、大阪杯(当時はGⅡ、2017年よりGⅠ昇格)を勝利し、春の天皇賞ではイナリを抑えて勝利。タマモクロス以来2頭目となる天皇賞春秋制覇を達成した。(タマモクロスは春→秋でクリークは秋→春の順である。)

秋は京都大賞典に挑戦し2年連続で勝利するも、故障によってこれが最後のレースとなってしまい1990年限りで引退した。

引退後

引退後は種牡馬となったが、目立った成績を残すことは出来なかった。

2010年7月3日にライバルのオグリが亡くなると、その後を追うかのように8月29日にクリークも25歳(旧26歳)で死去した。

関連動画

1988年菊花賞


1989年天皇賞(秋)


1990年天皇賞(春)


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競馬 競走馬 武豊
オグリキャップ イナリワン

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