誘導
- 日本の競走馬。本項で解説する。
- 『ウマ娘プリティーダービー』にて1をモチーフとして登場するウマ娘。→ メジロアルダン(ウマ娘)
2に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。
プロフィール
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
生年月日 | 1985年3月28日 |
---|---|
死没日 | 2002年6月18日 |
英字表記 | Mejiro Ardan |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
父 | アスワン |
母 | メジロヒリュウ |
母の父 | ネヴァービート |
競走成績 | 14戦4勝 |
近親 | メジロラモーヌ(半姉) メジロイーグル(叔父)…菊花賞、有馬記念ともに3着 |
生産・馬主はメジロ牧場。美浦奥平真治厩舎。
初代三冠牝馬メジロラモーヌの弟として生まれたメジロアルダンだったが、彼は双子であり、片割れは死産だった。双子の競走馬は非常に例が少ないが(アイネスフウジンの弟のリアルカストール・リアルポルクスなど存在しないわけではない)、サラブレッド生産者の中では「双子の競走馬は活躍できない」と言われていた。
父のアスワンは大種牡馬ノーザンテーストの産駒で、現役時代はNHK杯に勝利したものの、故障のためそのまま引退していた。
戦歴
1988年(4歳)3月27日、東京競馬場ダート1200m未出走戦でデビュー。1番人気1着。
4月17日皐月賞当日の東京8レース山藤賞(400万下条件)に鞍上岡部幸雄で出走、1番人気1着。
5月8日、当時ダービートライアルとして行われていたNHK杯(GⅡ)では、サッカーボーイが1番人気でメジロアルダンは6番人気。勝ったマイネルグラウベンからアタマ差の2着で日本ダービー出走権を確保する。サッカーボーイは4着に終わった。
5月29日、日本ダービー(GⅠ)では6番人気に支持される。先行し、直線半ばで先頭に立ったサクラチヨノオーをいったんは交わし、勝利を掴みかけるがまさかの逆転を許しクビ差の2着。
怪我のため1年間の休養を挟み1989年(5歳)5月27日、オープン特別のメイステークスで復帰。2番人気、1着となり、久々に勝利を収めた。
続いて当時夏の中京競馬場の名物重賞であった高松宮杯(GⅡ)に鞍上河内洋で臨み1番人気、1着。念願の重賞初制覇を果たした。2着は2馬身半差でバンブーメモリー。
秋は毎日王冠(GⅡ)から始動、1番人気は前年の有馬記念を制し復帰戦のオールカマーも制したオグリキャップ、2番人気はメジロアルダンで、3番人気に天皇賞(春)と宝塚記念を連勝したイナリワン。レースはゴール前でメジロアルダンが先頭に立つが外からオグリキャップとイナリワンに一気に交わされ1馬身半差の3着、2頭の競り合いはオグリキャップがハナ差制した。
10月29日天皇賞(秋)(GⅠ)、オグリキャップ1番人気、スーパークリーク2番人気、メジロアルダン3番人気、イナリワン4番人気。レースは先行したスーパークリークがオグリキャップの追撃をクビ差しのいで1着。鞍上武豊は20歳にして天皇賞春秋連覇。オグリキャップからクビ差の3着にメジロアルダン、4着にヤエノムテキ。
1990年(6歳)は故障休養からオールカマー(GⅢ)で復帰。1番人気だったが4着に敗れる。
天皇賞(秋)は3度目の挑戦となるオグリキャップが1番人気、宝塚記念を制したオサイチジョージが2番人気、以下ヤエノムテキ、バンブーメモリー、メジロアルダンの順。レースは先行したオグリキャップが伸びず6着に沈む中、ヤエノムテキがコースレコードで優勝。横山典弘を新たな鞍上に向かえて挑んだメジロアルダンは競り負けて2着、バンブーメモリー3着と最強世代の層の厚さを見せた。
暮れのグランプリ有馬記念(GⅠ)はホワイトストーンが1番人気、メジロアルダンが2番人気、メジロライアンが3番人気、オグリキャップが4番人気で単勝5.5倍という大混戦。オグリキャップが有終の美を飾りメジロライアン2着、ホワイトストーン3着。一方で2番人気に推されていたメジロアルダンは10着に終わった。ちなみに当時は馬番連勝式馬券(馬連)の発売はなく、連勝式馬券(つまり、上位2頭を当てる馬券のこと)は枠番連勝式(枠連)しかなかったのだが、人気となったメジロアルダンは大敗するも同じ4枠のオグリキャップが勝利したことで、メジロアルダンに期待をかけていた枠連馬券を握るファンの馬券は的中した。
1991年(7歳)も現役を続行し日経新春杯(GⅡ)に出走。1番人気に支持されたが4着に終わる。10か月の休養を挟み富士ステークス(オープン特別)に出走するが1番人気で6着。
続くジャパンカップ(GⅠ)はメジロ軍団の後輩メジロマックイーンが1番人気、メジロアルダンは鞍上横山典弘で12番人気、14着に終わる。これが生涯最後のレースとなった。
日本ダービーと天皇賞秋で2着と実力は間違いなくあったのだが、終わってみれば重賞は1勝止まりであった。脚元の弱さが引退まで足を引っ張り、怪我に泣かされた競走生活であった。
引退後
引退し翌年から種牡馬となった。しかし種牡馬として重賞勝ち馬を輩出することはできなかった。
日本での代表産駒は1998年のBSNオープンを制し、引退後は東京競馬場の誘導馬を務めたメジロスティード。
その後、2001年に中国に輸出された。当時北京には「北京通順競馬場」という私営競馬場があり、そこで活動する競走馬を生産する「北京龍頭牧場」にて繋養され、引き続き種牡馬を務めたが、翌2002年に種付け中の心臓麻痺により死亡した。17歳没。
通順競馬場は2005年限りで開催中止されたが、龍頭牧場は現在も活動しており、その敷地内にアルダンの墓石がある。
ちなみに、メジロアルダン・ノーザンテースト直系の馬は2013年11月以降JRAには一頭も存在しない。しかし輸出先の中国において、同じく中国に輸出された繁殖牝馬ヤマニンディライトとの間に生まれた牡馬ウーディー(Wu di、中国語で「無敵」の意味)が競走馬として活躍、その後種牡馬入りし、少なくとも2019年現在も新疆ウイグル自治区の牧場で現役種牡馬として活動していることが判明している。
このウーディーが、判明している限り現状最後のノーザンテースト直系種牡馬である。