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概要編集

正式名称は「産経賞オールカマー」。格付けは、GⅡ。中山芝2200mで施行される。


1955年に創設され、4歳(現3歳)以上が出走可能。創設時より産経新聞社より寄贈賞の提供を受けている(1963年から1989年までは産経新聞がサンケイ新聞と改称しており、その間はサンケイ賞オールカマーが正式名称)。


オールカマー(All Comers、「なんでも来い競走」の意)の名の通り、幅広い競走馬に門戸を開いた競走を理念とし、かつては地方競馬の所属馬が出走できる希少なJRAのレースだった(代わりに、JRA所属馬が出走できる地方競馬のレースとして帝王賞が用意されていた)。

現在は制度変更でJRAと地方競馬の馬の行き来が活発になったため、必ずしも地方競馬所属馬が出走するとは限らず(むしろダート主体のため、ダート交流重賞に回るケースが多い)、現在では秋初戦の中距離重賞のひとつとして定着している。


グレード制が導入された1984年GⅢに格付され、1995年GⅡへ昇格されると同時に外国馬も5頭まで出走出来るようになった。GⅢ時代はGⅢとしては珍しく馬齢斤量が採用されていた(通常GⅢクラスだとハンデ戦か、本賞金数千万円ごとに1kgずつ際限なく加算されるタイプの賞金別定戦であることが多いため、事実上の勝ち抜けであるレースが多い)。このためGⅢ時代から有力馬が集まることも多く、賞金額もGⅢの中では最も高くGⅡに近いGⅢ(いわゆる「スーパーGⅢ」)という位置づけであった。GⅡ昇格後の斤量は他のGⅡレースと同等のグレード別定戦に変更され、中長距離GⅠ馬の秋初戦のひとつとして数えられるようになった。



距離は創設時から1983年まで芝2000mだったが、1984年に芝2200mに延長され、現在に至っている。


なお、地方でもかつて佐賀競馬場で九州オールカマーというレースが行われており、ばんえい競馬でも重賞競走ではないがオールカマーという競走が組まれていた。


1955年(第1回):創設。中山競馬場芝2000m。4歳以上(現3歳以上)のハンデ戦だった。

1978年(第24回):外国産馬の出走を解禁。

1984年(第30回):グレード制定でGⅢに格付けされる。距離を芝2200mに変更。

1986年(第32回):地方競馬招待競走として、地方競馬所属馬の出走が可能となる。

1995年(第41回):GⅡに格上げ。外国馬の出走を解禁。地方競馬所属馬の出走を2頭までとする。

2014年(第60回):1着馬に天皇賞(秋)の優先出走権を付与。


競走条件編集

出走資格:サラ系3歳以上


JRA所属馬(未出走馬及び未勝利馬は除く)

地方競馬所属馬(2頭まで)

外国調教馬(優先出走)

負担重量:別定

3歳53kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減

基準日以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬2kg増、牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬1kg増

基準日以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬1kg増(2歳時の成績を除く)

優先出走権付与編集

1着馬に天皇賞(秋)の優先出走権が与えられる。

優勝馬編集

GⅢ時代(1984年~1994年)編集

1984年(第30回):アサカシルバー

1985年(第31回):アサカサイレント

1986年(第32回):ジュサブロー(愛知

1987年(第33回):ダイナフェアリー

1988年(第34回):スズパレード

1989年(第35回):オグリキャップ

1990年(第36回):ラケットボール

1991年(第37回):ジョージモナーク大井

1992年(第38回):イクノディクタス

1993年(第39回):ツインターボ

1994年(第40回):ビワハヤヒデ

GⅡ時代(1995年~)編集

1995年(第41回):ヒシアマゾン

1996年(第42回):サクラローレル

1997年(第43回):メジロドーベル

1998年(第44回):ダイワテキサス

1999年(第45回):ホッカイルソー

2000年(第46回):メイショウドトウ

2001年(第47回):エアスマップ

2002年(第48回):ロサード

2003年(第49回):エアエミネム

2004年(第50回):トーセンダンディ

2005年(第51回):ホオキパウェーブ

2006年(第52回):バランスオブゲーム

2007年(第53回):マツリダゴッホ

2008年(第54回):マツリダゴッホ(V2)

2009年(第55回):マツリダゴッホ(V3)

2010年(第56回):シンゲン

2011年(第57回):アーネストリー

2012年(第58回):ナカヤマナイト

2013年(第59回):ヴェルデグリーン

2014年(第60回):マイネルラクリマ

2015年(第61回):ショウナンパンドラ

2016年(第62回):ゴールドアクター

2017年(第63回):ルージュバック

2018年(第64回):レイデオロ

2019年(第65回):スティッフェリオ

2020年(第66回):センテリュオ

2021年(第67回):ウインマリリン

2022年(第68回):ジェラルディーナ

2023年(第69回):ローシャムパーク


ウマ娘では編集

2021年冬に放送されたウマ娘プリティーダービーアニメ版2期10話にも登場。モチーフは第39回(当時は上述した通りGⅢだったが、作中では現在の格付けであるGⅡに改変されている)。


3回目の骨折を発症し引退を考えていた主人公のトウカイテイオー。彼女から「最後まで諦めない事の大切さ」を聞かされてきたツインターボ(メイン画像)に「諦めるなんてテイオーらしくない」と説得される。怪我で三冠ウマ娘の夢を絶たれていた上に無敗でもなくなってしまったことで心が折れていたテイオーは、ターボに「オールカマーで勝てるわけがない」と言い放ち喧嘩別れしてしまう。

レースの日はテイオーの引退ライブと同日。彼女の引退を阻止するためにターボと彼女のチームメンバーが考えた作戦は、「会場のモニターをジャックしレースの中継を流すこと」だった。

ヘトヘトになりながらも「これが諦めないってことだ~~~!!」と絶叫するターボの姿を見たテイオーは勇気づけられ、引退を撤回することになる。


動画編集

ツインターボの大逃げ炸裂(1993年)


関連タグ編集

JRA GⅡ 産経新聞


産経新聞および系列紙提供のJRA重賞編集

セントウルステークス - 産経新聞

阪神牝馬ステークスフローラステークス - サンケイスポーツ

オーシャンステークス - 夕刊フジ


また、大阪杯もGⅠ昇格前の1964年から2016年まで産経新聞社提供だった。

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