誘導
- JRAにかつて所属していた競走馬・種牡馬。
- 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→サクラローレル(ウマ娘)
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概要
主な勝ち鞍は天皇賞(春)(1996年)、有馬記念(1996年)など。
1996年年度代表馬。
1997年には凱旋門賞出走のためフランスへ遠征したが、前哨戦のフォワ賞で故障し引退。
競走生活前半の11戦が2勝、後半の11戦が7勝と晩成だった。
プロフィール
生年月日 | 1991年5月8日 |
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死没 | 2020年1月24日 |
英字表記 | Sakura Laurel |
性別 | 牡 |
毛色 | 栃栗毛 |
父 | レインボウクエスト |
母 | ローラローラ |
母父 | サンシリアン |
5代内のインブリード | ナスルーラ4×5 |
生産者 | 谷岡牧場(静内町) |
馬主 | (株)さくらコマース→全尚烈→(株)さくらコマース |
調教師 | 境勝太郎(美浦)→小島太(美浦) |
競走成績 | 22戦9勝 |
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ヒーロー列伝
「一緒に見たい夢がある。」
デビュー当時から期待されながら、重賞初制覇は5歳になってからの金杯。
しかも脚部不安による長期休養を余儀なくされたため、本格化は6歳春まで待たなければならなかった。
1年ぶりをものともせず中山記念を圧勝。つづく春の天皇賞では王者ナリタブライアンを直線並ぶ間もなく差し切って堂々古馬最強の座に着く。
そして充実の秋。春に続く連覇を目指した東京の天皇賞こそ惜敗したものの、'96年を締めくくる有馬記念では並み居るライバルたちに影も踏ませない完勝。現役最強をアピールするとともに、年度代表馬の勲章を手にした。
一完歩ごとに差を広げる豪快なフットワークは、大器晩成の無限の可能性を感じさせ、世界制覇の夢さえも抱かせてくれる。
≪「ヒーロー列伝」No.41≫
名馬の肖像
「彗星の輝き」
傷に打ち克ち
まばゆさを増して
君は還ってきた。
きのうの挫折も
君ならばきっと
強さに変えられる。
彗星のような君よ
きょうは輝け。
一閃の光で
空を切り裂け。
≪「名馬の肖像」2017年有馬記念≫
略歴
1991年
5月8日、サクラチヨノオーやサクラチトセオーなどを生産した谷岡牧場に生まれる。受胎した繁殖牝馬を輸入した持込馬である。
父・レインボウクエストはアメリカ生産・イギリス調教で現役時代には凱旋門賞に勝利し、イギリスで種牡馬として大成功をおさめた。
母・ローラローラはフランスでサクラ軍団総帥・全演植に購入され、フランスで競走馬として走り6戦1勝。第2仔としてサクラローレルを受胎した後、日本へ輸入された。
日本競馬でおなじみの血がほとんど入っていない血統で、父系を辿るとナスルーラ系に当たる。
生まれた時から素晴らしい馬体だったが成長が遅く、飛節に弱点を抱えていたため、牧場長は無理をさせずじっくり育てる事とした。
1993年
境勝太郎厩舎へ入厩。日本で実績のないレインボウクエスト産駒だったため境は躊躇したが、境が管理するサクラの馬が故障した際、代わりに預かることとなった。
1994年
1月6日、骨膜炎(ソエ)を抱えながらも、小島太騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦でデビュー。良いところなくシャインフォードの9着に敗れた。
1月15日、折り返しの新馬戦に出走するが、マツブリジャンテの3着に敗れた。
2月19日、春菜賞(500万下)に出走しインディードスルーの6着に敗れた。
3月6日、オリビエ・ペリエ騎手に乗り替わって中山競馬場の条件戦(500万下)に出走しタイキブリザードの2着に敗れた。
3月26日、小島太騎手に乗り替わって中山競馬場の条件戦(500万下)に出走し 1着。
4月30日、青葉賞(GⅢ)で重賞初挑戦。エアダブリンの3着に敗れた。東京優駿の優先出走権を得たが、右後肢の球節炎が発症したため休養に入る。
9月4日、佐渡ステークス(900万下)で復帰。ダイゴウソウルの3着に敗れた。
9月25日、的場均騎手に乗り替わってセントライト記念(GⅡ)に出走しウインドフィールズの8着に敗れた。
10月15日、小島太騎手に乗り替わって六社特別(900万下)に出走しバースルートの3着に敗れた。
10月30日、秋興特別(900万下)に出走しブランドミッシェルの2着に敗れた。
11月6日、同世代のナリタブライアンが菊花賞(GⅠ)を勝ち、牡馬クラシック三冠を達成。サクラローレルは未だ条件戦を勝ったり負けたりしていた。
11月20日、比良山特別(900万下)に出走し1着。
12月18日、冬至ステークス(1600万下)に出走し1着。オープンに昇格。
1995年
1月5日、中山金杯(GⅢ)で始動し1着。重賞初勝利。非常に強い勝ち方に周囲の期待も高まった。
2月19日、目黒記念(GⅡ)に出走しハギノリアルキングの2着に敗れた。
天皇賞(春)(GⅠ)に向けて調整中、両前脚骨折の重傷を負う。命の危険もあったが治療により生き長らえる事ができた。サクラローレル担当の厩務員が定年となるが誰も故障馬の世話をしたがらず、境は孫の小島良太を指名する。
1996年
3月10日、横山典弘騎手に乗り替わって中山記念(GⅡ)で384日ぶりに復帰し1着。最終直線で見せた末脚は「怒涛の末脚」と語られた。
4月21日、天皇賞(春)に出走し1着。GⅠ初制覇。マヤノトップガンとナリタブライアンをまとめて差し切る強い勝ち方だった。宝塚記念(GⅠ)は回避し、秋まで休養に入る。
9月15日、オールカマー(GⅡ)で復帰し1着。
10月25日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走。出遅れが祟ってバブルガムフェローの3着に敗れる。境は「わざわざ馬込みに突っ込んで、全く自分から負けに行った」と評した。
12月11日、全演植が死去。
12月22日、有馬記念はGI馬が9頭(サクラローレル・マヤノトップガン・ヒシアマゾン・ダンスパートナー・ホクトベガ・エルウェーウィン・ファビラスラフイン・ジェニュイン・タイキフォーチュン)出走する豪華メンバーとなり、史上最高売上(875億104万2400円)を記録するレースとなった。最終直線でマヤノトップガンとマーベラスサンデーをまとめてかわし1着。横山、境、さくらコマースにとって初の有馬記念勝利であった。球節の骨折が判明し休養に入る。
1997年
1月、1996年度JRA賞年度代表馬、JRA賞最優秀5歳以上牡馬に選出される。
2月28日、境が定年のため調教師を引退。サクラローレルは調教師に転身した小島太の厩舎に転厩。
4月27日、天皇賞(春)で復帰。マヤノトップガンの2着に敗れる。
8月、フランスへ遠征。シャンティイ競馬場近くに滞在。横山から海外経験豊富な武豊に乗り替わる事となる。横山の弟分の小島良太が反発してチームの雰囲気が悪くなるが、伝え聞いた横山がシャンティイを訪れて「良太、豊と握手しろ!」と命じ、わだかまりが解ける。
9月14日、凱旋門賞の前哨戦・フォワ賞(GⅢ)に出走しヨコハマの8着に敗れる。レース中に右前脚屈腱不全断裂の重傷を負っていた。獣医が「薬殺していいか?」と聞き、意気消沈していたスタッフが意味もわからないまま同意しかけたが、フランス語が分かる小島良太が「馬鹿野郎!ローレルを殺す気か!」と慌てて怒鳴り込み、すんでのところで回避された。
12月20日、中山競馬場で引退式が行われた。
1998年
静内スタリオンステーション(静内町)に繋養され種牡馬となる。初年度から重賞勝ち馬を輩出するが、父系としては消滅している。
2005年
2010年
新和牧場(新ひだか町)に移動。
2012年
種牡馬を引退。新和牧場で余生を過ごした。
2020年
1月24日、老衰のため死亡(29歳)。
主な産駒
ローマンエンパイア サクラセンチュリー シンコールビー ロングプライド