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ウインドインハーヘア

ういんどいんはーへあ

1991年アイルランド生まれ・イギリス調教の競走馬。引退後の繁殖牝馬時代に日本に輸入され、ブラックタイド・ディープインパクト兄弟の母となった。
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プロフィール編集

生年月日1991年2月20日
英字表記Wind in Her Hair
性別
鹿毛
Alzao
Burghclere
母の父Busted
産地アイルランド
生産者Swettenham Stud/Barronstown Stud
競走成績13戦3勝
管理調教師John W.Hills(イギリス)
馬主Mrs.W.Tulloch/Joint Ownership Terminated

父アルザオは現役中にはG3を1勝であったが、大種牡馬リファール産駒であることを買われてアイルランド種牡馬入りすると、15頭のG1産駒を輩出する大成功を収めた。活躍産駒には牝馬が多く、ウインドインハーヘアもその1頭である。


母バーグクレアは現役時には1勝のみだったが、その母(祖母)はイギリス女王エリザベス2世の所有馬にして、1000ギニー(イギリスの3歳クラシック牝馬マイル戦)・ディアヌ賞(フランスオークス)に勝利したハイクレア。半妹のハイトオブファッションは、繁殖牝馬として英二冠馬ナシュワン、G1を4勝のネイエフなどを産んでいる。


母父バステッドは、1967年の英キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、エクリプスステークスの勝ち馬。


競走馬時代編集

2~3歳(1993~94年)編集

上述の通り、血統は期待のかかるものであったが、1993年にイギリスでデビューするも2歳時は芝1400mを2戦して2着、11着と勝ち星を挙げられず。

そこで休養を経て3歳となった1994年、距離を2000mに延長すると2連勝。勢いに乗りイギリスオークス・アイリッシュオークスと出走したが、2着・4着とクラシック獲りには届かなかった。


4歳(1995年)編集

結局3歳春の2勝のみで、8戦2勝・重賞なしの戦績であったウインドインハーヘアは、1995年春から繁殖に入ることになり、初仔としてアメリカの種牡馬アラジの仔を受胎した。

世にも珍しいG1妊婦編集

ところがである。ウインドインハーヘアは妊娠したまま1995年5月からレースに復帰したのである。そして、8月にドイツのG1・アラルポカル(芝2400m、現:バイエルン大賞)に勝利、お腹に仔がいる状態でG1馬となった


同レースは牡馬牝馬混合戦かつ、出走馬には93年の勝ち馬にしてドイツ年度代表馬モンズーンもおり、決してメンツの手薄なレースでG1をさらったというようないわれはない。

そもそも一度繁殖に入り、かつ妊娠中の馬がレースに復帰ということ自体日本では考えられないが、それでG1初勝利というのはさらにムチャな話である。後の強き母としての萌芽というべきなのだろうか…。


G1馬となった後さらに1レースをこなし、8月限りで出産に備えて今度こそ現役を引退した。通算13戦3勝。


繁殖牝馬時代編集

1996年、母のお腹で一緒にG1を勝利した初仔の牝馬・グリントインハーアイが無事健康に生まれた。ところが同馬は7戦0勝で繁殖牝馬に回り、この結果で母のウインドインハーヘアもあっさり見切りをつけられ、売却に回されてしまう。

購入したのは日本の社台グループであり、2000年から北海道安平町のノーザンファームで繁殖牝馬を続けることになった。


が、売却後にアメリカに残してきた第2仔・ヴェイルオブアヴァロン(父サンダーガルチ)が19戦7勝(うちG3を1勝)と重賞馬に成長。元の所有者は慌てて買い戻しのオファーを行ったらしいが、これだけの血統の繁殖牝馬を手放すはずもなく、後の祭りであった。


そして、アメリカ時代に産み日本に輸入された第3仔・レディブロンドが最初の衝撃となる。

この牝馬は5歳でデビューし、5連勝という記録を持っている。

(ふつう、故障なり馴致の遅れなりで牝馬が5歳までレース未出走だったら、デビューを諦めて繁殖に回ってもおかしくない。しかも年齢の縛りで出られるレースは限定される。)

6月にデビューし、5連勝で10月のスプリンターズステークスまで進む。「これはまさかとんでもない牝馬が現れたのでは…」と3番人気に推されたが、デュランダルの4着に敗れる。このレース限りで脚の異常で引退。6戦5勝、現役はわずかに3か月半だった。


日本での産駒初の重賞馬は、日本での初種付けである(父サンデーサイレンス2001年生まれのブラックタイド2004年スプリングステークスを制するもその後は屈腱炎に苦しみ結果を出せず。しかし、全弟の大活躍から種牡馬入りし、弟ほどの産駒成績はないもののキタサンブラックという場外ホームラン級の一発を放っている。


そして、ブラックタイドが注目を集めていた時デビューしたのが、2002年生まれの第7仔・ディープインパクトである。史上2頭目の無敗クラシック三冠を含むGⅠ7勝、種牡馬としても2010年代のポスト・サンデーサイレンス時代を席巻し、三冠牝馬ジェンティルドンナ、父子2代三冠馬達成のコントレイルはじめ、その後の日本競馬史をまとめて動かすほどの成績を残した。


特に種牡馬としてあまりにもディープの成績が凄まじかったため、ディープに殺到する種付け希望を全てこなすことはできず、代替として兄ブラックタイド以外にも2003年生まれの全弟・オンファイア(現役は3戦1勝)はじめ、その後ウインドインハーヘア産駒の牡馬は大半が種牡馬入りすることになった。


また牝系も広がりを見せており、アメリカ・アイルランド時代に出産した4頭の牝馬たちは、その後全頭が日本に輸入されて繁殖牝馬となっている。先述したレディブロンドはゴルトブリッツ帝王賞など)を出産。レディブロンドの孫にレイデオロ日本ダービー天皇賞秋など)が出ている。

繁殖成績編集

産年名前成績引退後
1996グリントインハーアイ(米)アラジ7戦0勝繁殖牝馬
1997ヴェイルオブアヴァロン(米)サンダーガルチ19戦7勝繁殖牝馬
1998レディブロンド(米)シーキングザゴールド6戦5勝繁殖牝馬
1999スターズインハーアイズ(愛)ウッドマン10戦0勝繁殖牝馬
2000ライクザウインド(持込馬)デインヒル4戦0勝繁殖牝馬
2001ブラックタイドサンデーサイレンス22戦3勝種牡馬
2002ディープインパクトサンデーサイレンス14戦12勝種牡馬
2003オンファイアサンデーサイレンス3戦1勝種牡馬
2004ニュービギニングアグネスタキオン39戦3勝乗馬
2005ヴェルザンディアグネスタキオン11戦2勝繁殖牝馬
2006ランズエッジダンスインザダーク8戦0勝繁殖牝馬
2007(死亡)スペシャルウィーク
2009トーセンロレンスダイワメジャー不出走種牡馬
2010トーセンソレイユネオユニヴァース20戦3勝繁殖牝馬
2011モンドシャルナネオユニヴァース43戦4勝種牡馬
2012レスペランスキングカメハメハ2戦0勝繁殖牝馬

第三の馬生編集

2012年、16頭目の出産を最後に繁殖牝馬を引退。

苫小牧市にある社台系の観光牧場・ノーザンホースパークに移り、母と離れた仔馬の育成役を務めた。


息子のディープインパクトは2019年に先立ったが、ウインドインハーヘアは30歳を超えても健康長寿を保っている。現在は育成役の任からも退いて、そのまま功労馬としてノーザンホースパークで繋養されており、偉大なる母として来場客の人気と尊敬を集めている。


関連項目編集

競走馬 繁殖牝馬 94世代

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