曖昧さ回避
「レディブロンド」という馬名の馬は現在2頭存在する。
この項では1を主に解説し、2に関しても後に少し触れる。
プロフィール
生年月日 | 1998年3月20日 |
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英字表記 | Lady Blond |
性別 | 牝 |
毛 | 鹿毛 |
父 | Seeking the Gold |
母 | ウインドインハーヘア |
母の父 | Alzao |
産地 | アメリカ |
生産者 | Orpendale & Barronstown Stud |
競走成績 | 6戦5勝 |
管理調教師 | 藤沢和雄(美浦) |
馬主 | ロードホースクラブ |
日本に輸入された繁殖牝馬・ウインドインハーヘアがアメリカに居たときに産んだ第3仔。
血統を見れば分かるが、あのディープインパクトの半姉である。
父シーキングザゴールドはドバイミレニアムなど、数々の名馬を輩出したアメリカを代表する名種牡馬。日本でも1998年のスプリンターズS勝ち馬のマイネルラヴや日本調教馬初の欧州G1を制覇したシーキングザパールの父として知られる。
母父アルザオは自身の競走成績はイタリアG3を1勝した程度だが、種牡馬としては15頭のG1馬を輩出するなど成功を収めている。
閃光の如き競走生活
レディブロンドの競走生活はわずか6戦と非常に短い。
なんせデビューが5歳の6月。本来であれば見切りを付けられて繁殖に入ってもおかしくない。
古馬となってからデビューした馬は彼女の他にはブロードアピールぐらいしかおらず、競走馬としては非常に稀なケースである。
異例の5歳デビュー
名門・藤沢和雄厩舎に入厩したレディブロンド。母・父ともに素手の実績を残した超良血ということもあり、一口馬主クラブのロードホースクラブにて一口12.4万円×500口、総額6200万円というなかなかの金額で募集された。
しかし、レディブロンドは股関節炎を抱えており、入厩しては放牧を繰り返していたため。なかなかデビュー出来ずにいた。
しかし、その素質には間違いなく光るものがあり、「一勝より一生」をモットーとする藤沢調教師と厩舎スタッフらが大切に仕上げ、なんとか5歳の6月にデビューさせることができた。
当然、古馬となるので新馬戦などあるはずもなく、未勝利戦すらもない。
デビューは函館競馬場の1000万下(現・2勝クラス)・TVh杯(芝1200m)。フルゲートを割っていたため、賞金がゼロでもなんとか出走することができた。鞍上は短期免許の外国人騎手のケント・デザーモ。
本番では出遅れてしまうが、ハイペースの展開で前が崩れた隙を逃さず、直線では内に切り込み、一気に加速。上がり3ハロン34.1という超豪脚を繰り出し、見事に1着を勝ち取った。
そして次走は同じく函館で行われた500万下(現・1勝クラス)の下北半島特別。
「…あれ?なんで1000万下を勝ったのに500万下?」と思う人もいるかもしれないが、当時のルールでは「4歳の夏からは出走に必要な収得賞金が倍になる」というルールがあったため、収得賞金600万のレディブロンドは500万下の条件馬となるためである。
オッズは前走でのとてつもない豪脚が評価され、「遅れに遅れた超大物」という評価が下されて1.2倍の圧倒的1番人気に推された。
本番ではまたもや出遅れてしまうが、上り35.6の豪脚を繰り出しまたもや快勝。
3戦目は再び同条件の1000万下・長万部特別。鞍上は柴田善臣騎手に乗り替わりとなったが、ここでも35.0の豪脚で差し切り勝ち。
4戦目は再びデザーモ騎手に戻り、札幌競馬場の1000万下・TVh賞へ挑み、ここでも34.4の凄まじい上がりで快勝。
そして5戦目は中山競馬場の1600万下(現・3勝クラス)・セプテンバーステークス。初の当日輸送、初の中山、メンバーも強くなる1600万下と不安な要素が重なったが、そんな不安も払拭するかのように上がり34.5の豪脚で1と1/4馬身差をつけて完勝。これで怒涛の5連勝となった。
この間、なんとたったの3か月である。
スプリンターズS・最後の輝き
この結果を見た藤沢調教師は、なんと連闘でGⅠ・スプリンターズステークスへの出走を表明。
理由は「本来はここで息を入れたいところだが、今の出来がピークであるので、放牧に出したら崩れてしまうかもしれない」という師の考えからだった。
レディブロンドはこれで引退を表明している短距離女王・ビリーヴ、クラシックで壁に突き当たり、短距離路線へ変更して実績を上げつつあったアドマイヤマックスに次ぐ3番人気に推された。
しかし、本番では後方からレースを進めるが、先行したビリーヴとの差がなかなか詰まらない。直線では上がり34.3という豪脚でビリーヴを捉えんと猛追するが、その横から33.1とレディブロンドを遥かに上回る末脚で迫る1頭が現れる。低迷を脱して実力をつけ始めてきた5番人気の不朽の聖剣・デュランダルである。
その凄まじい切れ味の末脚に置き去りにされたレディブロンドは、内から来たアドマイヤマックスにもクビ差かわされて4着。
だが、わずか6戦、しかもまずありえない5歳のデビューであることも踏まえれば上出来といえる内容だったとも言えるだろう。
しかし、激闘を制したレディブロンドはもはや限界を迎えていた。
スプリンターズSから2週間後、陣営はレディブロンドの引退を発表。
わずか4か月、たった6戦の競走生活だったが、総獲得賞金は8767万円。病弱ながらもきっちり募集価格の元を取った孝行娘であった。
引退後
引退後はノーザンファームで繁殖牝馬となったが、ガールオンファイアを産んだ直後の2009年5月12日に死去。競走馬どころか繁殖牝馬としても短命に終わってしまった。
遺した子供はわずか5頭だったが、その中から第2仔のラドラーダとラストクロップのガールオンファイアが繁殖入り。
さらにはラドラーダの第2仔から2017年のダービー馬・レイデオロを輩出。レディブロンドの名はダービー馬の血統表に刻まれることとなった。
娘の2頭は2023年現在もまだまだ現役の繁殖牝馬。レディブロンドの血はまだまだこれから発展していくのかもしれない。
同名の馬
また、2022年に彼女と同名の牝馬が高知競馬場でデビューしている。
これは「レディブロンド」の馬名が保護基準を満たしておらず、死後10年経った事によって再使用可能になったためである。