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概要

日本の競走馬種牡馬JRAの短距離・マイル戦で活躍した。

主な勝ち鞍はスプリンターズステークス(1998年)、セントウルステークス(1998年)、シルクロードステークス(1999年)など。

恵まれたスピードの持ち主だったが気性が悪く、暴れ癖、ソラを使う癖があった。

略歴

1995年

3月8日、カリフォルニア州(アメリカ)のゴールデン・イーグル・ファームで誕生。

父・シーキングザゴールドは大種牡馬ミスタープロスペクターの子で、産駒にはシーキングザパールドバイミレニアムなどがいる。

母・ハートオブジョイは28戦10勝で重賞を4つ勝っている。

1996年

一流馬が集まるキーンランドジュライセールでラフィアンが375,000ドルで落札し、日本に輸入された。

ラフィアンが7000万円(35万円×200口)で募集したが、高額なため満口にならなかった。

ラフィアン代表・岡田繁幸が「ケンタッキーダービーを狙う」と公言するなど、その期待は並々ならぬものだった。

1997年

美浦の稗田研二厩舎に入厩。

7月6日、藤田伸二騎手を鞍上に、函館競馬場の新馬戦(芝1200m)でデビュー。マイネルラヴを恐れて出走馬が集まらずレース成立が危ぶまれたが、何とか5頭立てとなった。スタートで出遅れたものの、最終直線で追い込み5馬身差の圧勝。ソエ骨膜炎)が出たため休養に入る。

10月19日、後藤浩輝騎手に乗り替わってプラタナス賞(500万下)に出走し、ヘイアンウインザーの2着に敗れた。

11月2日、蛯名正義騎手に乗り替わって百日草特別(500万下)に出走し1着。

11月15日、東京スポーツ杯3歳ステークスGⅢ)で重賞初挑戦。キングヘイローの2着に敗れた。

12月7日、朝日杯3歳ステークスGⅠ)でGⅠ初挑戦。グラスワンダーの2着に敗れた。マイネルラヴの時計はリンドシェーバーレコードに並ぶものだったが、グラスワンダーはその更に上を行っていた。

1998年

1月11日、京成杯(GⅢ)で始動。スタートで隣の馬と接触するなどのアクシデントもあり、マンダリンスターの5着に敗れた。

3月1日、アーリントンカップ(GⅢ)に出走し、ダブリンライオンの2着に敗れた。

4月26日、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスGⅡ)に出走し、エルコンドルパサーの3着に敗れた。

5月17日、武豊騎手に乗り替わってNHKマイルカップ(GⅠ)に出走しエルコンドルパサーの7着に敗れた。秋に向け休養に入る。

8月、不甲斐ない成績に岡田代表が憤慨し、稗田研二厩舎から稲葉隆一厩舎に転厩。

10月4日、セントウルステークス(GⅢ)に出走し1着。重賞初勝利。

10月31日、スワンステークス(GⅡ)に出走。レース中、目に異物が入るアクシデントがありロイヤルスズカの7着に敗れた。

12月20日、吉田豊騎手に乗り替わってスプリンターズステークス(GⅠ)に出走し1着。シーキングザパールやタイキシャトルを破って悲願のGⅠ勝利を果たした。

1999年

1月10日、ガーネットステークス(GⅢ)で始動。ドバイ遠征を目論む陣営が出走させたダート重賞だったが、ワシントンカラーの11着に敗れ、遠征は白紙となった。

4月10日、阪急杯(GⅢ)に出走し、キョウエイマーチの5着に敗れた。

4月25日、松永幹夫騎手に乗り替わってシルクロードステークス(GⅢ)に出走し1着。最後の重賞勝利となった。

5月、高松宮記念(GⅠ)を目指して調整中、左前球節炎を発症し回避。長期の休養となる。

11月27日、蛯名正義騎手に乗り替わって富士ステークス(GⅢ)に出走し、レッドチリペッパーの13着に敗れた。

12月19日、スプリンターズステークスに出走し、ブラックホークの4着に敗れた。

2000年

2月6日、横山典弘騎手に乗り替わってシルクロードステークスで始動。ブロードアピールの4着に敗れた。

3月26日、蛯名正義騎手に乗り替わって高松宮記念に出走し、キングヘイローの16着に敗れた。長期の休養に入る。

9月10日、セントウルステークスに出走し、ビハインドザマスクの4着に敗れた。

10月1日、スプリンターズステークスに出走し、ダイタクヤマトの5着に敗れた。

10月28日、武幸四郎騎手に乗り替わってスワンステークスに出走し、ダイタクヤマトの7着に敗れた。

12月16日、CBC賞(GⅡ)に出走し、トロットスターの12着に敗れた。現役引退となる。

2001年

ビッグレッドファームで種牡馬入り。マイネルラヴは良血で、当時の日本の主流だったヘイルトゥリーズンの血が入っていない事もあり、人気種牡馬となった。9年連続で重賞勝利馬を輩出。

2012年

6月9日、ビッグレッドファームの放牧地で倒れているのが発見され、安楽死処分となる(17歳)。

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98世代 競走馬 JRA

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