ミスタープロスペクター
みすたーぷろすぺくたー
1970年1月28日、スペンドスリフトファーム(ケンタッキー州)で誕生。
父はネイティヴダンサーの仔で最も成功した種牡馬レイズアネイティヴ、母はギャロレットステークスを連覇したゴールドディガーという良血で、母の名「Gold Digger(金採掘者)」から「Prospector(探鉱者)」と名づけられた。
1971年7月、キーンランドの競り市に出され、エイブラハム・サヴィンが22万$で落札。ウォーレン・クロールJr.調教師に預けられた。
通算戦績は14戦7勝。短距離を得意としたが、重賞を勝つことはできなかった。
同期にアメリカを代表する名馬・セクレタリアトがいるが、出世できなかったので対戦したことはない。
1975年、サヴィンが所有していたサヴィンファーム(フロリダ州)で種牡馬入りすると優秀な牝馬をあてがわれ、アウィンドイズライジングの産んだイッツインジエア、ボニージェットの産んだハローゴージャス、ステージプリンセスの産んだゴールドステージなどが活躍した。
評価が急上昇したミスタープロスペクターは1981年、クレイボーンファームに買収されケンタッキー州へ移動。ここで歴史に名を残す名馬を次々と輩出した。
子世代も種牡馬として優秀な成績を収め、後継種牡馬と見做される馬は300頭以上おり、20世紀後半に最も成功した種牡馬とされる。
日本では孫世代のキングカメハメハが種牡馬として成功している。
1999年6月1日、腹膜炎に伴う疝痛を発症し、安楽死の措置が執られた(29歳)。この年も種牡馬として現役であり、47頭に種付けして31頭の受胎が確認されていた。
2000年5月6日、産駒のフサイチペガサスがケンタッキーダービーに勝ち、ミスタープロスペクターは種牡馬として米国三冠競走(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス)を全て制覇した。