概要
本項では主に競走馬の牝馬について取り上げる。
競馬・馬術競技においても牝馬は活躍し、競馬では牡馬(オス馬)とともに走る機会も多い。体格面で牝馬は牡馬より劣るため、競走では負担重量の軽減などのハンデを貰える。昨今では調教技術の向上や先述の負担重量の少なさからか、牡馬にも負けない活躍をする牝馬は多い。
日本では牝馬ながら並み居る牡馬を圧倒し、日本ダービーの頂点を掴んだウオッカ、三冠馬オルフェーヴルを相手に壮絶な競り合いを制し、ジャパンカップを勝ち取ったジェンティルドンナ、かのシンボリルドルフらの記録を超え、競馬史上に残るG1競走9勝を達成したアーモンドアイなどがその最たる例だろう。
また、特例として1947年は牡馬クラシック三冠のうち二冠を牝馬がとるという異常事態が起きた年もあった為(流石にこんな事は1943年とこの年の二回だけだが)、中には牡馬を蹴散らすどころか死体蹴りレベルで倒す牝馬が居るのも事実である。
その1947年の二冠をとった牝馬は繁殖牝馬としてもG1馬を輩出した史上初の皐月賞牝馬トキツカゼと花の名前の付くクラシック(桜花賞と菊花賞)の二冠を唯一手にした薄命の名牝ブラウニーである。翌年の皐月賞でも後に55戦11勝を経験し、超小柄な馬体ながらも障害で王として君臨し、平地の重賞でも2着に食い込むなど活躍を見せたオータジマを輩出したヒデヒカリが皐月賞をとっている。2年連続で牝馬にクラシックを奪われた当時の牡馬達がいたたまれてならないが、どこぞの某牝馬なのに牡馬クラシック二冠とって残りの一冠とった馬すらも腹いせをするかの様にボコボコにした変則三冠無敗馬のいた牡馬の暗黒時代である1943年よりはまだマシなのである。
また、競技を引退した後は繁殖牝馬として次の世代へと血を繋ぐ役割をする者が多い。