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1994年4月13日生まれ。
父Broad Brush、母Valid Allure、母父Valid Appealという血統で、取り立てて目立つ点はなかった。当時はまだ馬主キャリアを始めて間もなかった金子真人氏に購買され、松田国英厩舎に預けられた。

来歴

デビュー~6歳春

デビューは遅れに遅れ、1998年、クラシックどころか古馬となった4歳(当時の年齢表記で5歳)の秋の4歳上500万下(今でいう1勝クラス)がデビュー戦(札幌芝1200、8番人気3着)。連闘で同じ札幌の4歳上500万下(札幌ダ1000)に挑戦。今度は2番人気に推されハナ差勝利し勝ち上がり。そこから1敗挟むも、芝コースの条件戦で連勝し、初重賞として京都牝馬特別を使い3着。
その後1999年3月にオープン入りを果たし、暫く芝重賞を転戦していく。阪急杯2着、高松宮記念6着、スワンS2着、富士S2着など、差し・先行戦法で善戦を続けた。2000年シルクロードSでは追込みへと戦法を転換し、これがハマったか、ついに重賞初制覇。しかしこの時すでに6歳。芝の重賞勝ちはこのシルクロードSひとつきり、あとはなんとも惜しいレースを繰り返す善戦マン状態であり、牝馬ということもあって、年齢も考慮すればもう引退も視野に入れる時期であった。

6歳

高松宮記念8着、マイラーズC12着と振るわない中、デビュー2戦目以来のダート戦となる栗東S(オープン、京都ダ1200)に参戦。メンバー中最重量となる57kgの斤量を背負わされ6番人気となったが、鋭い追い込みが決まりレコード勝ち。
しかし、陣営はダート路線ではなく芝路線を続行。するとまたしても振るわなくなり、スプリンターズSこそダイタクヤマトの4着(ダイタクが最低人気で1着になったあのレースである)と善戦はするが、4戦してついぞ勝ちには恵まれなかった。

転機、根岸ステークス

ついに本格的にダート転向を決心したのか、2000年の最後のレースとして根岸S(GIII、東京ダート1200)に挑戦。するとここでとんでもないパフォーマンスを見せたのである。

4コーナーまで最後方に控え、最後の直線で全馬ぶっこ抜く「鬼脚」を見せ、重賞2勝目。ダート戦だけ取り上げればここまで3戦全勝である。本レースは「伝説の追い込み」として多くのファンの耳目を集め、「追い込みの名レース」などの特集が組まれればいの一番に上がるレースとして後世まで語られるレースとなった。
……なおレース後に鞍上・武幸四郎は松国師から「あんな走り方させたら馬が壊れてしまう」としこたま怒られたと言われている。

7歳

以後はほぼすべてダートの短距離戦を使われ、翌年、7歳シーズンにはかきつばた記念(GIII、名古屋ダ1400)、プロキオンS(GIII、阪神ダ1400)、シリウスS(GIII、阪神ダ1400)と一気に重賞3勝を挙げた。JBCスプリント(GI、大井ダ1200)では勝てなかったものの、ノボジャックの2着と粘った。

8歳~引退、繁殖牝馬へ

2002年、8歳になっても現役続行。早速1月にガーネットS(GIII、東京ダ1200)を1着(JRAにおける8歳牝馬初勝利を記録)し、なんとドバイ遠征を決意、ドバイゴールデンシャヒーン(G1、ナド・アルシバ競馬場、ダ1200)に出走した。しかしここでは振るわず5着、これをもって引退。
通算36戦13勝、総獲得賞金はおよそ5億400万円。ダートのスプリンターで追込み脚質というまったく安定感のなさそうな戦法にもかかわらず、ダートに限ればドバイまで複勝圏を外した事が無く7-2-2-1]という、圧倒的安定感をもつ馬だった。

繁殖牝馬としては自分に迫るほどの戦績を出した馬こそ出せなかったが、孫の代では4番仔ミスアンコール(父キングカメハメハ)がダービー馬ワグネリアンを輩出した。

2019年に繁殖牝馬を引退。ヴェルサイユリゾートファームで余生を送った。
2021年9月8日に老衰のため27歳で死去した。

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