概要
主な勝ち鞍は桜花賞(1997年)
同期のライバルはメジロドーベル(対戦成績はキョウエイマーチの1勝2敗)、シーキングザパール(〃2勝3敗)で、牝馬3強と称された。
略歴
1994年4月19日、北海道沙流郡日高町にあったインターナショナル牧場(広告代理会社キョウエイアドインターナショナル系列)で誕生。
骨端症による脚部不安を抱えていたが治療が続けられ、1995年に野村彰彦厩舎に入厩。
翌年のデビューにこぎつけることができた。
後述の産駒牝馬一頭から牝系が伸びたことが有名だがキョウエイマーチ自身も母インターシャルマンの唯一の牝馬にして母と兄が早期で亡くなっていることから血統を切り拓いた側でもある。
1996年
1997年
- 1月12日、寒梅賞(ダート1400m)に出走し1着。
- 2月16日、エルフィンステークスに出走し1着。
- 3月9日、報知杯4歳牝馬特別に出走し、7馬身差のレコード勝ち。
- 4月6日、桜花賞に出走。メジロドーベルに4馬身差をつけ、4連勝でGI初制覇。
- 5月25日、優駿牝馬(オークス)に出走し、メジロドーベルの11着に敗れる。
- 9月21日、ローズステークスに出走し1着。シーキングザパールを退け重賞3勝目。
- 10月19日、秋華賞に出走し、メジロドーベルの2着に敗れる。
- 11月16日、マイルチャンピオンシップに出走し、タイキシャトルの2着に敗れる。
- 12月14日、スプリンターズステークスに出走し、タイキシャトルの11着に敗れる。
1998年
- 3月8日、マイラーズカップに出走し、ビッグサンデーの3着に敗れる。
- 4月26日、シルクロードステークスに出走し、シーキングザパールの11着に敗れる。
- 11月22日、秋山真一郎騎手に乗り替わり、マイルチャンピオンシップに出走し、タイキシャトルの6着に敗れる。
1999年
- 1月31日、フェブラリーステークスに出走。2年ぶりのダート戦だったが、メイセイオペラの5着に敗れる。
- 3月7日、マイラーズカップに出走し、エガオヲミセテの2着に敗れる。
- 4月10日、阪急杯に出走し1着。重賞4勝目。
- 5月23日、高松宮記念に出走し、マサラッキの4着に敗れる。
- 10月11日、盛岡競馬場で中央・地方交流戦の南部杯(ダート1600m)に出走し、ニホンピロジュピタの2着に敗れる。
2000年
- 1月5日、京都金杯に出走し、5馬身差で重賞5勝目。史上初の桜花賞馬による7歳(現6歳)での勝利・7歳での重賞制覇を達成。
- 3月21日、高知競馬場で中央・地方交流戦の黒船賞(ダート1400m)に出走し、ビーマイナカヤマの3着に敗れる。
- 4月15日、マイラーズカップに出走し、マイネルマックスの6着に敗れる。このレースを最後に引退。
引退後
2001年よりノーザンファーム早来牧場で繁殖牝馬として繋養。
2007年5月9日、インペリアルマーチを出産した際に大腸変位で死亡。産駒は4頭しか残せなかった。しかし、その産駒からは皐月賞2着のトライアンフマーチの他、唯一の牝馬ヴィートマルシェからはフェアリーステークス3着のサンブルエミューズ、新潟2歳S2着のアヴニールマルシェ、そして、世界最大級の国際競走ブリーダーズカップにおいて、BCディスタフを勝利したマルシュロレーヌを出している。また、ヴィートマルシェの2年目産駒サンプルエミューズから、ナミュール、ラヴェルを輩出しており、彼女の牝系は絶望的な状況から盛り返している。