概要
鋭い末脚を武器に2000年代前半のJRAの短距離路線で活躍した競走馬。
主な勝ち鞍は高松宮記念(2001年)、スプリンターズステークス(2001年)、CBC賞(2000年)、シルクロードステークス(2001年)など。
プロフィール
JRA CM 名馬の肖像
どの道を選ぼうと
間隙を縫うように
外に持ち出す
あるいは一瞬の判断で
内に潜る
そこでギアはトップへ
さらにアクセルを踏み込む
エンジンの爆音が響く
そして突き抜ける
どの進路を選ぼうとも
彼は確実に突き抜ける
名馬の肖像 2020年スプリンターズステークスより
略歴
1996年
5月11日、北海道浦河町の荻伏三好ファームに誕生。
父・ダミスターはミスタープロスペクターの子でイギリスの重賞を3勝。1987年から種牡馬となったが目立った成績をあげられず、1994年に日本に輸出された。しかし、その年に産駒セルティックスウィングが大活躍し、カルティエ賞最優秀2歳牡馬に選出される。
母・カルメンシータは現役時13戦3勝で条件戦どまりであった。
当初はシンボリルドルフの種をつける予定だったがカルメンシータが暴れてうまくいかず、種付けの上手なダミスターが代役になったのであった。
1998年
美浦の中野栄治厩舎に預けられる。
1999年
1月31日、東京競馬場の新馬戦(ダート1200m)でデビュー。サンユウリュウオーの2着に敗れる。
2月20日、東京競馬場の新馬戦(ダート1400m)に出走し初勝利。
5月9日、京都4歳特別(GⅢ)で重賞に初挑戦となるが、ビッグバイキングの10着に敗れる。
10月10日、みちのくステークス(1600万下)に出走し1着。オープン馬に昇格。
12月19日、スプリンターズステークス(GⅠ)に出走しブラックホークの7着に敗れる。
2000年
1月9日、ガーネットステークス(GⅢ)で始動。ビーマイナカヤマの11着に敗れる。
3月26日、高松宮記念(GⅠ)に出走しキングヘイローの9着に敗れる。
6月4日、安田記念(GⅠ)に出走しフェアリーキングプローン(香港)の5着に敗れる。
12月16日、CBC賞(GⅡ)に出走し1着。重賞初勝利。
2001年
2月4日、シルクロードステークス(GⅢ)で始動し1着。
3月25日、高松宮記念に出走し1着。GⅠ初勝利。
6月3日、安田記念に出走しブラックホークの14着に敗れる。夏を休養にあてる。
9月30日、スプリンターズステークスに出走しレコード勝ち。史上2頭目のスプリントGⅠ同一年制覇となった。
11月18日、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)に出走しゼンノエルシドの12着に敗れる。
2002年
2月3日、シルクロードステークスで始動しゲイリーフラッシュの6着に敗れる。この後、勝ちには恵まれなかった。
12月15日、CBC賞に出走しサニングデールの13着に敗れる。
2003年
1月31日、JRAの馬名登録を抹消され引退。
日高スタリオンステーション(浦河町)に繋養され種牡馬となる。
2005年
韓国のイム・クァンホに購入される。
2006年
済州島の松岳牧場に移籍。種付け頭数は毎年10頭以下で、目立った活躍馬は残せなかった。
2015年
1月15日、死亡(19歳)。
ライバル
ブラックホークとは3勝4敗。