ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

ラスカルスズカは、日本の競走馬

1996年4月17日生まれ、1999年クラシック世代の牡馬。

重賞未勝利ながら世代トップクラスの実力を示し「最強の重賞未勝利馬」とも呼ばれた。


父コマンダーインチーフ、父の父ダンシングブレーヴ

母ワキア、母の父ミスワキ、母の母ラスカルラスカル。


2つ上の半兄が同厩舎、同馬主のサイレンススズカ(父サンデーサイレンス)。

兄は大逃げの中距離馬、弟は追い込みのステイヤーと、かなり対照的な兄弟だった。


管理調教師は橋田満、主戦騎手は武豊

馬主はスズカ冠の永井啓弍氏。


現役時代編集

サイレンススズカの半弟という事で、デビュー前から期待されていた。


しかしデビューは遅く、ダービーが終わった1999年6月。

4歳未勝利戦からデビュー3連勝を飾り、神戸新聞杯3着で菊花賞の出走権を獲得。本番の菊花賞蛯名正義騎乗)ではナリタトップロードテイエムオペラオーに次ぐ3着に入り、武豊騎乗の同厩ダービー馬アドマイヤベガに先着した。


続いてJC柴田善臣騎乗)に出走。本馬場入場の際には

 今は亡きサイレンススズカが

 天に向かって旅立ったこの府中で

 お前は世界に羽ばたいて行け

 ラスカルスズカ 柴田善臣

と実況され、レースでは3歳馬ながら日本馬でスペシャルウィークに次ぐ5着と健闘した。


2000年春、万葉ステークスでオープンレース初勝利。


阪神大賞典でオペラオー、トプロと三強を形成、2着に入った。このレースは1着オペラオー、3着トプロ含め全複勝馬券及びワイド馬券の全ての組み合わせが元返し(1.0倍)となった

続く春の天皇賞も最後に追い込みオペラオーの2着、3着トプロと2戦連続の三強決着となった。


続く金鯱賞ではメイショウドトウの3着、宝塚記念ではオペラオー、ドトウから遅れ5着。ここで右前脚の浅屈腱炎を発症してしまい、長期休養を余儀なくされた。


2001年11月に復帰したものの往時の力は戻らず、復帰戦のキャピタルステークス(柴田善臣騎乗)は6着。


2002年1月の日経新春杯6着、2月の中山記念3着と走った後、屈腱炎再発で再び休養。

2003年3月に復帰したものの中山記念7着、マーチステークスで12着。

そして三度屈腱炎の再発に見舞われ、現役引退となった。


通算成績:16戦4勝 2着2回(GⅠ1 GⅡ1)、3着4回(GⅠ1 GⅡ3)。


三強を形成した同期との対戦成績はナリタトップロード2勝1敗、テイエムオペラオー0勝4敗、メイショウドトウ0勝2敗、アドマイヤベガ1勝0敗。


引退後編集

ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬となるが、活躍馬に恵まれず2010年に引退。

主な産駒はサンレイレーザー(マイラーズカップ2着)、サワヤカラスカル(阪神牝馬ステークス4着)など。


その後はノーザンホースパーク(北海道苫小牧市)で乗馬として過ごした後、ホーストラスト北海道で余生を送った。

2020年8月8日、疝痛のため永眠。


関連項目編集

アドマイヤベガ:同じ橋田厩舎所属の同期。

アドマイヤコジーン:同じ橋田厩舎所属の同期。故障による長期休養と路線の違いから対戦することはなかった。

ラピッドビルダーウマ娘及びRTTTに登場するモブウマ娘。ファンの間では「ラスカルスズカがモデルでは?」と囁かれ、アニメ版では忠実通り3着だった事から話題となった。アニメ第一期にもデザインこそ違うがラスカルスズカがモデルらしきモブウマ娘がいる。

関連記事

親記事

99世代 きゅうきゅうせだい

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 672604

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました