褐色の閃光
レーススタイルもさることながら、
現役生活、そして生涯においても、
"閃光"となってしまったアドマイヤベガ。
その輝きは一瞬であったが、
放った光度は果てしなく高い。
《サラブレッド・ヒーロー列伝(優駿2005年3月号)》
※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはアドマイヤベガ(ウマ娘)参照。
概要
生年月日 | 1996年3月12日 |
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英字表記 | Admire Vega |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ベガ |
母の父 | トニービン |
競走成績 | 8戦4勝 |
近親 | アドマイヤボス(全弟) アドマイヤドン(半弟) キャプテンベガ(全弟) ハープスター(近親) |
馬主は近藤利一。栗東橋田満厩舎。
※馬齢は数え表記
誕生に至るまで
トニービン産駒のベガは社台ファーム創業者の吉田善哉氏の妻である和子氏の所有で中央のターフでデビューを果たした。そのベガに心を奪われたのがアドマイヤの冠名を用いる近藤利一氏であった。桜花賞の直前に利一氏はベガを1億で譲ってくれないかと和子氏の次男である勝己氏に直談判するが「ベガは母の馬ですから」と拒否。ならばと利一氏はベガの仔を必ず買う事を約束し、初年度産駒を購入することとなった。これが後のアドマイヤベガである。
なお繁殖初年度のベガにはサンデーサイレンスがつけられて双子を受胎。競走馬の双子は大成しない・母体に危険が及ぶことから減胎処置が執り行われている。
現役時代
1998年11月7日京都競馬場芝1600m新馬戦でデビュー。鞍上は武豊。
中団から抜け出し1位入線だったが、最後の直線で斜行してしまい、進路妨害で4着へと降着。
武豊は翌週から3週間の騎乗停止となり、エアグルーヴ(エリザベス女王杯、ジャパンカップ)とスペシャルウィーク(ジャパンカップ)は乗り代わりとなった(アドマイヤベガの新馬戦の先週に行われた天皇賞(秋)で、武豊は騎乗していたサイレンススズカを失っており、一説にはそのショックが残っていたとされる)。
武豊の騎乗停止が明けた12月5日、エリカ賞(500万下特別)に出走。格上挑戦の未勝利馬ながら単勝1.2倍の人気となり、レースでも2着スリリングサンデーを首差抑え初勝利。
12月26日ラジオたんぱ杯3歳ステークス(現GⅠホープフルステークス)、1番人気に応え優勝。
血統、競走成績から翌年のクラシック戦線の主役と目される。
1999年は弥生賞から始動。単勝1.5倍の1番人気だったが2番人気のナリタトップロードを捉え切れず2着。
皐月賞でも単勝2.7倍の1番人気だったが6着。しかし勝ったテイエムオペラオーからは3馬身、0.6秒差と、決して絶望的な敗北ではなかった。
日本ダービーではナリタトップロードが単勝3.9倍の1番人気、アドマイヤベガが同じく3.9倍で僅差の2番人気、テイエムオペラオーが4.2倍で3番人気。
先に抜け出したナリタトップロードを外から交わしアドマイヤベガが優勝。武豊は前年にスペシャルウィークでダービーを初制覇したが、今度は史上初のダービー2連覇を成し遂げた。
秋は京都新聞杯から始動。ナリタトップロードが1番人気だったがレースではクビ差で差し切って1着。
菊花賞は単勝2.3倍の1番人気、テイエムオペラオーが3.5倍の2番人気、ナリタトップロードが4.1倍の3番人気。4番人気のラスカルスズカ(サイレンススズカの半弟で橋田満厩舎)は21.5倍と大きく離されていた。
レースではナリタトップロードが先行から抜け出し、テイエムオペラオーとラスカルスズカの追撃を凌いで1着。アドマイヤベガは6着に終わった。
同年のJRA賞最優秀4歳牡馬はテイエムオペラオーが受賞した。
休養から翌年の宝塚記念を目指したが繋靭帯炎を発症したため断念。引退し2001年シーズンから種牡馬となる。
しかし2004年に胃破裂を起こし、8歳という若さで急死した。
残せた産駒は4世代だけだが、その中から平地GI馬2頭、障害GI馬2頭が出ており、産駒の傾向も多様だったため早逝が惜しまれる。
後に血統の近いハーツクライが種牡馬としてのポジションを引き継ぐ形となった。
全弟のアドマイヤボスは2000年のセントライト記念を制し、半弟の アドマイヤドンは2001年朝日杯フューチュリティーステークスなどGI7勝の戦績を残している。
ライバルのナリタトップロードとは2勝3敗、テイエムオペラオーとは1勝2敗。
繁殖成績
主な産駒
- キストゥヘヴン 桜花賞優勝等
- ブルーメンブラット マイルチャンピオンシップ優勝等
- テイエムドラゴン 中山大障害優勝等
- メルシーモンサン 中山グランドジャンプ優勝等