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概要編集

生年月日1999年4月10日
性別
毛色鹿毛
サンデーサイレンス
ダイナシュート
母の父ノーザンテースト
生産ノーザンファーム(早来町)
馬主近藤利一
管理調教師橋田満(栗東)
競走成績23戦4勝(海外2戦0勝)
獲得賞金3億5244万円

母親のダイナシュートは重賞3勝と活躍した馬で、繁殖としてホーネットピアスなどを輩出していたのでデビュー前から期待されていた(未来のダービー馬と言われていた程)。

右回りが苦手で左回りでしか勝っていない。

親戚にローゼンカバリーソングオブウインドラインクラフトなどがいる。


生涯編集

2001年デビュー4馬身差で圧勝、東京スポーツ杯3歳Sでも2馬身半差で圧勝(後の重賞勝ち馬ローエングリンも出走していた)、ラジオたんぱ杯3歳Sでは超スローペースのため3着。


2002年春を前に右橈骨遠位端骨折を発症し、春のクラシックは全休に。

タニノギムレット・モノポライザー・アドマイヤドンとの対決は秋に持ち越しとなった、秋に復帰しセントライト記念2着に入り、そのまま菊花賞に出走するも見せ場なく11着に敗れた。

その後は京阪杯に向かい3着に入ったが、今度はレース中に左橈骨遠位端骨折を発症。再度離脱へ。

2003年安田記念で復帰し出走したが、アグネスデジタルとのクビ差2着と、惜敗となった。

関屋記念3着、セントウルステークス4着と善戦し、スプリンターズSに出走。デュランダルビリーヴの前に3着。その後の香港マイルでは4着と勝ちから遠ざかる結果に。


2004年富士Sで3年ぶりの勝利し重賞2勝目、マイルチャンピオンシップ6着。


2005年高松宮記念で2馬身半の圧勝しGI初制覇、スプリンターズSでは2003年と同じく、サイレントウィットネスの前に3着。


引退レースとなった香港スプリントに出走するが、11着に大敗。


2006年1月16日、ノーザンホースパークにて、同じアドマイヤのアドマイヤドンやアドマイヤグルーヴと一緒に、合同引退式が行われた。


ローエングリンとは5勝1敗、バランスオブゲームとは1勝3敗。


その後編集

種牡馬としてケイティブレイブ・モンストール・アドマイヤコスモスなど輩出。


2022年の元旦に用途変更され、種牡馬を引退。

以降もビッグレッドファームにいたが、2023年2月12日、事故のため永眠。24歳没。


関連タグ編集

競走馬 JRA 02世代

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