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アグネスデジタル

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あぐねすでじたる

1997年生まれの競走馬・種牡馬(1997-2021)。主な勝ち鞍は2000年のマイルCS、2001年の南部杯・天皇賞秋・香港カップ、2002年のフェブラリーS、2003年の安田記念。2001年JRA賞最優秀4歳以上牡馬。芝・ダート、JRA・地方競馬、さらに海外まで、遠征・転戦も苦にせずGⅠ6勝を挙げたオールラウンダー。

誘導

  1. 日本の競走馬。本項で解説する。
  2. ウマ娘プリティーダービー』にて1をモチーフとして登場するウマ娘。→ アグネスデジタル(ウマ娘)

2に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。

真の勇者は、戦場を選ばない。

3つの国と11にも及ぶ競馬場を駆け巡り

獲得してきたタイトルのバリエーションは、

どんな名馬の追随も許さない。

芝とダートの垣根を、そして国境さえも乗り越えて、

チャンピオンフラッグをはためかせてきた勇者。

君が刻んだ空前の軌跡、そのひとつひとつが永遠に輝く。

ヒーロー列伝No.54》

概要

生年月日1997年5月15日
死没日2021年12月8日
英字表記Agnes Digital
香港表記愛麗數碼
生国アメリカ合衆国
性別
毛色栗毛
クラフティプロスペクター
チャンシースクウォー
母の父チーフズクラウン
主戦騎手福永祐一的場均四位洋文
競走成績32戦12勝(JRA21戦7勝、地方競馬8戦4勝、海外遠征3戦1勝)

(※本記事の表記は2000年まで旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)、2001年から新馬齢表記。またレースの格付けは本馬の出走当時のもので、現在と異なる場合がある。)

父・クラフティプロスペクターは世界的大種牡馬・ミスタープロスペクターを父に持つ馬で、現役時代はアメリカで7勝を挙げ、G1・ガルフストリームパークハンデキャップで2着の実績を持ち、種牡馬としてアメリカで数々の重賞勝利馬を輩出している。

母・チャンシースクウォーは北米で1勝を挙げただけの現役生活だったが、近親には英国・愛国リーディングサイアーとなった名馬・ブラッシンググルームがいる良血の馬である。

競走馬時代

1997年、アメリカで誕生。後に管理調教師となる白井寿昭がアメリカに買い付けに出かけ購入した。第一希望の馬を断られ第二希望で購入した馬だが、候補の馬たちの中で最も小さくか細く、現地の関係者から「なぜその馬にするんだ?」と訝しまれたという。

しかし日本に連れ帰り育成が始まると、体質は頑健で性格も素直で我慢強く、予定通りに栗東トレーニングセンター白井厩舎へと入って調教が進められた。

ダートでの成長とマイルCSでの覚醒

1999年デビュー。主にダート路線で走り、全日本3歳優駿(GⅡ)、2000年には名古屋優駿(GⅢ)・ユニコーンステークス(GⅢ)と順調に重賞勝ちを増やしていったが、「これなら芝でも…」と芝のレースで走らせるとダメ、ということが続いた。

ところが、2000年11月のマイルチャンピオンシップ

芝での勝利経験がないアグネスデジタルは13番人気に過ぎず、レースも流れに出遅れ最終直線まで15番手付近であった。ところがそこから爆発的な末脚を発揮し一気のごぼう抜き、2着に1/2馬身差、しかもレースレコードで勝利しGⅠ初制覇を果たした。

翌春での引退を決めていた的場均騎手にとっては、結果的に最後のGⅠ勝利となった。

ムチャクチャな転戦の5連勝

2001年、的場の引退により、主戦騎手は四位洋文が引き継いだ。

古馬となったデジタルは、ついに芝も克服だ!とばかりに芝のレースを続けるがまた勝てなくなってしまう。秋春マイル王者のかかった安田記念も11着惨敗で、あのマイルCSはフロックだったか、と言われる有様だった。

やむを得ずダート路線に戻ったデジタルは、ここからまるでゲームのような転戦を始める。

2001/09/19 船橋日本テレビ盃(GⅢ・ダート1800m)1着

 

2001/10/08 盛岡マイルCS南部杯(GⅠ・ダート1600m)1着

 

2001/10/28 東京天皇賞(秋)(GⅠ・芝2000m)1着

 

2001/12/16 沙田香港カップ(GⅠ・芝2000m)1着

 

2002/02/17 東京:フェブラリーステークス(GⅠ・ダート1600m)1着

 

2002/03/23 メイダンドバイワールドカップ(GⅠ・ダート2000m)6着

 

2002/04/21 沙田:クイーンエリザベス2世カップ(GⅠ・芝2000m)2着

以上、地方に海外にの大転戦、しかも芝ありダートありの中、GⅠ4連勝(日本初)を含む5連勝を果たした。昔ならば納得はできるのだが、当時は既に距離や馬場に応じて競走馬もスペシャリスト化が進んでいた21世紀の話であり、ムチャクチャとしか言いようがない。

ドバイに行く時に香港で飛行機の乗り継ぎに失敗したことなどもあり、香港からの帰国後は疲れ切り、2002年の残りは休養に充てたものの、それでも走れなくなるような故障は負わなかったのだから、常識外れというか変態というか…。

2001年天皇賞秋について

この連戦の中では、2001年の天皇賞(秋)の事例が特筆される。

2001年秋、ダートで強さを取り戻していたデジタルは、2連覇のかかったマイルチャンピオンシップに向かうと思われていたのだが、それを回避し天皇賞(秋)登録を表明したのである。

(天皇賞は1972年以降内国産馬のみのレースとされていたが、国際化の流れに沿い、2000年に再び外国産馬にも最大2頭の出走枠が認められたところだった。)

この2枠には、何度となくテイエムオペラオーの2着に甘んじていたがこの年の宝塚記念を制し一矢を報いたメイショウドトウ、そしてこの年のNHKマイルカップを獲った期待の新鋭クロフネが予定されていた。

特に「まーたオペとドトウのワンツーか」に飽きていた競馬ファンは、伸び盛りのクロフネに期待するところ大きかった。

が、実績に勝るアグネスデジタルが出走登録したことで、クロフネはその2枠から押し出される形となった。

一部ファンからは「デジタルはマイルとダート走っとれ!」「芝の2000mで勝てるわけないだろ!」「どうせ負けるのに出てくるな!」といった非難の声が挙がった。

……実際ここまでのデジタルは、まぐれ勝ちと言われたマイルCS以外芝のレースで勝ったことがなく、距離2000mはダート含めて一度も勝ったことがなかったのである。

(なおクロフネは、出走できなかった代替として秋天前日のGⅢ・武蔵野ステークスに出走。ダート初挑戦とも思えぬ激走で勝利すると、年末のダートGⅠ・ジャパンカップダートをも圧勝、デジタルとはまた異なった形で伝説を作るのだが、それはまた別の物語である。)

レース当日、2001年10月28日の東京競馬場は雨のためパワーを要する重馬場となり、ダート慣れしたデジタルには有利な状況だった。加えて、逃げを打ちレースを引っ張るだろうと思われていたサイレントハンターが出遅れ(サイレンススズカの最期のレースで2番手逃げを打っていた馬といえばイメージが沸くだろうか。同馬はこのレースを最後に引退する)、本来逃げ脚質ではないメイショウドトウがハナに立つ形となり、逃げ馬不在の探り合いで全体がスローペースに落ち込んだ。

この展開の中、デジタルは中団に位置取り、馬場の荒れた内側を避けて外目を落ち着いて進んでいった。最終直線、テイエムオペラオーが抜け出したが、しっかり脚を溜めていたデジタルが大外から追い込み、差し切り勝ち。

白井調教師はレース前、鞍上の四位に「観客席に向かって走れ」(=最終直線では大外に馬を持ち出せ)と指示を出していた。重馬場によって特にぬかるんだコース内目を避ける意味と、他馬との競り合いにめっぽう強いテイエムオペラオーの特長を把握し、オペラオーと離れた位置からの急襲で抜き去る展開を想定していたとも言われる。

一部の批判を覆し、今まで勝ったことがない距離を勝利(4番人気でも単勝20倍ついた)、何をするかわからないワンダーホース振りを見せつけた。外国産馬による天皇賞(秋)の勝利は、一度外国産馬の出走が禁止される前の1950年代のオパールオーキツト、ミツドフアーム以来3頭目だった。

また、フロックとみていた競馬ファンも、次走の香港カップを快勝したことで完全に黙らせてしまった。

復活の安田記念、引退

大遠征からの帰国後、結局1年以上休養したデジタルは、6歳となった2003年5月のかきつばた記念(GⅢ、ダート1400m)で復帰するが4着。距離を絞って得意のダートでも馬券を外したため「遠征の代償は大きかった」「休養の間に全盛期は過ぎてしまった」と思われていた。

しかし6月の安田記念。混み合った最終直線での叩き合いとなる中、四位がうまく外に馬群をこじ開け、デジタルが末脚を発揮。レースレコードで復活のGⅠ勝利を果たした。

これでGⅠ6勝、また4年連続GⅠ制覇は史上4頭目だった。

この安田記念がデジタル最後の勝利となった。同年の有馬記念を最後に引退。

引退後

引退後は北海道新冠町のビッグレッドファームで種牡馬となり、ジャパンダートダービーを制したカゼノコなどを輩出した。

2020年シーズンをもって種牡馬を引退、幕別町の十勝軽種馬農協種馬所で、功労馬として余生を送っていたが、2021年夏頃から体調不良が伝えられて、同年12月8日に死去した。享年24歳(旧表記25歳)。

関係者によると、放牧中の事故のため安楽死となったという。

訃報から4日後の香港カップでは、出走前に実況者が2001年の勝ち馬であるアグネスデジタルに触れ、ラヴズオンリーユーヒシイグアスが日本馬ワンツーフィニッシュを決め弔い星を上げた。

特徴

競走生活が終わってみれば、勝鞍の距離は1600~2000mに集中しているのだが、特筆すべきは芝・ダート問わず、中央・地方・海外とどこの競馬場も関係なく、そして無茶な転戦にも耐えて結果を残したオールラウンダーぶりである。

2022年現在、日本調教馬で芝とダート両方のG1級競走を勝利した馬は6頭いるが、芝とダート両方のG1級競走を2勝以上したのはアグネスデジタルのみである。

加えて言うと、デジタルの芝ダート両刀は他の両刀とはかなり趣が異なる。芝・ダート両G1級競走勝利馬はデジタル含め5頭いるが(ヴィクトワールピサの勝ったドバイワールドカップはオールウェザー馬場だった)、いずれの馬も若い頃に2,3歳限定G1を勝った馬ばかりであり、歳を取ってたらダート路線に移行する流れを踏んでいる。例えばアドマイヤドンアジアエクスプレス朝日杯イーグルカフェクロフネNHKマイルカップを勝ったのちダートの道に進んでいる。一説によると馬の体はパワーやスタミナは長持ちする一方スピードは衰えやすいという話で、これが原因でこのような流れが多いのかもしれない。

一方のデジタルは、当初は基本はダートでたまに芝に挑戦、晩年に至ってはほぼ芝レースにのみ出走、挙げ句限界が疑われている身でスピードが特に重要なマイルG1を勝つなど、もはや訳の分からないローテーションになっている。最近ではフェブラリーステークス連覇馬のカフェファラオが安田記念に挑むも惨敗しており、デジタルの異常さが改めて強調されるような結果になった。

後年、JRAヒーロー列伝で与えられた短評は「真の勇者は、戦場を選ばない。」である。その他、「万能の名馬」「異能のスーパーホース」などの異名で讃えられた。

また、これは勝てまいという予想を覆しGⅠ勝利を挙げることも複数回、競馬ファンからは理論外の変態馬としても名前が挙がる。

非常に大人しく、主戦の四位洋文曰く「ぼけっとして、やる気あるのかなという馬」だったという。しかし、このストレスを感じない・動じない精神力の強さが遠征・転戦でも強さを見せた秘訣でもあった。

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競馬 競走馬 オールラウンダー 二刀流

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