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シングスピール

しんぐすぴーる

シングスピールはヨーロッパの元競走馬。第16回ジャパンカップ、第2回ドバイワールドカップ勝ち馬。
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データ

馬名Singspiel(シングスピール)
出身アイルランド
生年月日1992年2月29日
性別
毛色鹿毛
インザウイングス(In the Wings)
グローリアスソング(Glorious Song)
母の父ヘイロー(Halo)
競走成績20戦9勝(GⅠ4勝)
生涯獲得賞金$1,004,534
近親ラーイ(Rahy)、グランドオペラ
没年2010年(18歳)

概要

アイルランドの競走馬。1992年2月29日生まれで、日本で言えば95世代に当たる。


1996年のジャパンカップ勝ち馬であり、芝とダートの世界最高峰レースで活躍した海外のオールラウンダーである。


父インザウイングスはサドラーズウェルズの産駒で、ブリーダーズカップ・ターフなどGⅠ3勝。シングスピールは初年度産駒になる。

母グローリアスソングはカナダGⅠ4勝のヘイロー産駒。

半兄にいずれも優れた産駒を出しているラーイ(代表産駒セレナーズソングファンタスティックライト)、グランドオペラ(代表産駒メイセイオペラアマゾンオペラ)がいる。


馬主はダーレーグループシェイク・モハメド

馬名はドイツ語の「ジングシュピール(singspiel)」からで、意味は「ドイツ流の庶民向けオペレッタ」のこと。


現役時代

1994年9月、英レスター競馬場の芝1400m(7ハロン9ヤード)でデビューし5着。

中1週の2戦目、ランフランコ・デットーリが騎乗して初勝利。次走は2着。


1995年、GⅢを2回走って2着、4着の後、フランス・ロンシャン競馬場で初GⅠ「パリ大賞」に臨み2着と好走。

続いてGⅠ「エクリプスステークス」で2着、GⅡ2着の後、リステッドで1年ぶりの2勝目を挙げる。


1996年、4月のGⅢ「ゴードンリチャーズステークス」で再びデットーリが騎乗し重賞初制覇。

GⅠ「コロネーションカップ」は2着、続くGⅡ「プリンセスオブウェールズステークス」でも2着。

次のGⅢ「セレクトステークス」での3勝目をはずみにカナダ・ウッドバインへと遠征し、GⅠ「カナディアンインターナショナルステークス」でGI初制覇を果たす。

更にウッドバインで開催されたブリーダーズカップ・ターフにも出走したが、こちらは2着に敗れた。


第16回ジャパンカップ

11月、JRAの招待を受けてジャパンカップに決まり、来日直後に熱発で体調を崩すトラブルにも見舞われたが、なんとか出走にこぎつけた。

鞍上は3度目の机上となるデットーリに決定。


ライバルの日本馬は秋の天皇賞バブルガムフェローを大将格に秋華賞ファビラスラフインNHKマイルカップ制覇のタイキフォーチュンなど3歳馬が5頭。古馬は前年のオークス馬でエリザベス女王杯制覇から中1週のダンスパートナーが代表格。

海外からは凱旋門賞を制した欧州最強3歳馬エリシオキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制した欧州古馬最強ペンタイアの両巨塔に加え、アイリッシュセントレジャー覇者ストラテジックチョイスなどが出走。


人気は1番エリシオ、2番バブルガムフェロー、3番ペンタイアで、シングスピールは4番人気だった。


レースはカネツクロスが先頭で引っ張り、エリシオとファビラスラフイン、さらにバブルガムフェローとストラテジックチョイスが続いていく。

そんな中、シングスピールを駆るデットーリは冷静に馬群中央、バブルガムフェロー見るように後ろ6番手につけた。

直線に入るとバブルガムフェローは後退。シングスピールは馬群を割って先頭に立ち、エリシオ、ストラテジックチョイス、ファビラスラフインとの競り合いに入る。

やがてシングスピールとファビラスラフインの2頭が抜け出して激しく叩き合い、わずかにシングスピールがハナ差で勝利をもぎ取った。

馬主にとっては第3回ジャパンカップで敗れたハイホークから13年目で初のジャパンカップ制覇。

この年シングスピールはエクリプス賞最優秀芝牡馬に選出された。


第2回ドバイワールドカップ

1997年4月、ずっと芝一本槍だったシングスピールが創設2年目のダート戦「ドバイワールドカップ」(当時は国際リステッド競走で翌98年から国際GⅠに認定される)に出走。

デットーリが別の馬(カムタラ)に騎乗するため、鞍上は前年のドバイWCをシガーで制したジェリー・ベイリーが務めた。

《注意》最終コーナーでショッキングなシーンがあります!


ライバルはアメリカで活躍しジャパンカップにも2度出走経験があるブラジル馬サンドピット、同じく米ダートGⅠ2勝のブラジル馬サイフォン、米GⅠ「ドンハンデキャップ」をレコード勝ちしてきたフォーマルゴールドなど。

その中には、日本からラストランとしてやってきた“砂の女王”ホクトベガ横山典弘騎乗)の姿もあった。


レースはサイフォンが先頭で引張り、シングスピールはJCと同じように6番手ほどにつける。

最終コーナーでは垂れた前の馬を尻目に4番手ほどに上がり、直線でサイフォンとの競り合いを制して、最後は1馬身以上の差をつけて勝ちきり、ベイリー騎手とマイケル・スタウト調教師はともにドバイワールドカップ連覇の快挙を達成した。


余談ではあるが、最終コーナー後方でホクトベガが馬群に揉まれ窪みに脚をとられて転倒し、更に後続のビジューダンドが追突。

左前腕節部複雑骨折で予後不良、コース上で安楽死処分となってしまった。

このため日本ではこのレースは「シングスピールの勝ったレース」ではなく「ホクトベガの悲劇のレース」として知られている。


その後

ドバイワールドカップ後は鞍上をデットーリに戻してイギリスへと戻り、前年に続いてGⅠコロネーションカップへと再び出走。

今回は圧倒的1番人気に推され、2着を5馬身突き放す圧勝で初の英国GⅠ制覇を達成した。


KGⅥ&QESに出走するが4着に終わる。

その次走の英GⅠインターナショナルステークスでは4頭立てと出走馬が少ないものになってしまったが、ライバルは前年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬、英ダービー馬、愛二冠馬という強敵ばかりで、シングスピールは2番人気。

道中2番手につけ、長い直線で先行馬を交わすとそのまま押し切ってライバルをねじ伏せた。


その後はブリーダーズカップ・ターフを目指していたが、濃霧の中で行われた調教で右前脚を骨折。

予後不良とはならなかったものの、この故障によって現役引退が決まった。


通算成績:20戦9勝(GⅠ4勝 GⅢ2勝) 2着8回 4着2回 5着1回

通算連対率:85%


引退後

1998年からイギリスの「ダルハムホールスタッド」で種牡馬入り。

2001年に1度だけ、オーストラリアでの種付けも行った。

2010年7月、蹄葉炎のため18歳で安楽死。


主な産駒


母父としての産駒


関連タグ

95世代


芝・ダートで成績を残した競走馬

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