'96年、スプリンターズステークス。
「もしも」が禁句とされる勝負の世界で、それでも「もしも」の誘惑に駆られる瞬間がある。
"その馬の鼻があと1センチ高かったら"
ハナ差1センチの決着。
僅かな差か、絶望の距離か。
勝者、フラワーパーク。勝者は必ず、敗者を作る。
電撃の短距離戦へ。「スプリンターズステークス」
概要
1992年5月8日生まれ、父ニホンピロウイナー母ノーザンフラワー。通算18戦7勝。
1995年デビュー、半年後の1996年3月までに条件戦を4勝しオープン入りする。
シルクロードステークスで重賞初制覇。この年から距離短縮されGⅠに昇格した高松宮杯で三冠馬ナリタブライアンを破りGI初制覇、デビューから史上最短古馬GI制覇記録となった。続く安田記念は9着。
スプリンターズステークスでエイシンワシントンとのハナ差1センチの大接戦の判定を制し、史上初のスプリントGI同一年制覇を達成し、この年の最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬を受賞した。
1997年の初戦シルクロードステークスは4着、連覇を狙った高松宮杯はシンコウキングの8着に敗れ、スプリンターズステークスで4着になったのを最後に引退。
繁殖牝馬としてヴァンセンヌやフィレンツェなど輩出。
ライバルのビコーペガサスとは3勝2敗、エイシンワシントンとは2勝1敗だった。
田原成貴の代表的騎乗馬。
田原は後年、スプリンターズステークスの激闘について、「ゴール寸前で『ゴム毬を素早く握ると、次の瞬間膨張する』という理屈を利用した「奥の手」を使った」と語っている。
2023年2月18日ウイニングチケットが33歳で死去したことによりフラワーパークが存命GⅠ馬最高齢となった。
2024年1月25日同期のエイシンサンサンが32歳で死去したことにより存命JRA重賞勝利馬最高齢となった。