それは、革命だった。
マイル戦のために進化を遂げたその脚が、名馬の条件を塗り替えた。
何者も寄せ付けない『マイルの皇帝』。
その馬の名は…
概要
ニホンピロウイナーは1980年4月27日生まれ、父・スティールハート、母・ニホンピロエバート。母の父チャイナロック。通算26戦16勝。1974年の二冠馬キタノカチドキは母の半兄であり、管理する服部正利調教師はキタノカチドキおよびニホンピロウイナーを両頭管理した。
短距離GⅠ草創期に活躍し、その強さはマイルの皇帝と称された。
実際、マイルまでならシンボリルドルフよりも強いとさえ言われている。
現役時代
1982年デビュー、デイリー杯3歳S(芝1400m)で重賞初制覇し、年末の阪神3歳ステークスではダイゼンキングの2着。
1983年、きさらぎ賞(芝1800m)で重賞2勝目を挙げ、一気にクラシック候補、と思われたが皐月賞では苦手とする不良馬場のためミスターシービーの20着、それも最下位に負けたため、陣営は早々とクラシックを諦めて短距離戦線に活路を求めた。なお、ミスターシービーは同年、牡馬三冠馬になっている。
この短距離戦線への転向は当時は多く疑問視されていたが、来年度にグレード制が導入され、多く短距離戦が整備されるということから服部師の決断での転身だった。のち、服部師の子息で同じく調教師となった服部利之は「なかなかできることではない。先見の明があったと思う。」と父の決断を振り返っている。
短距離戦線転身後は、秋にオパールステークス、トパーズステークスを連勝しCBC賞で重賞3勝目。この年の最優秀短距離馬(当時は最優秀スプリンター)を受賞。
そして迎えた1984年、中央競馬ではグレード制が導入、そして短距離路線も整備され、短距離の古馬GⅠが創設されて流れに乗るべく、年明けの淀短距離ステークスは勝利したものの、続くマイラーズカップは不良馬場となり2着敗退。しかも直後に骨折して春シーズンを全休する。秋に復帰し、朝日チャレンジカップ(芝2000m)とスワンステークス(芝1400m)と連勝、いよいよ迎える第1回マイルチャンピオンシップ。この年のスプリンターズステークス(当時GⅡ)とGⅠ昇格後初の安田記念を勝っていたハッピープログレスを迎え撃ち、これに勝利してGⅠ初制覇。この年の最優秀短距離馬受賞。
1985年は、サンケイ大阪杯(当時GⅡ、芝2000m)こそ8着と負けるが、続くマイラーズカップ、京王杯スプリングカップとGⅡを連勝し、迎えた安田記念、圧倒的1番人気に応えて優勝し短距離に敵なしとなり、距離が若干長い天皇賞(秋)を目標とするようになる。
この年の天皇賞・秋はギャロップダイナの爆走で知られるが、2着シンボリルドルフに0.1秒差の3着と好走。続くマイルチャンピオンシップを危なげなく制し、初の連覇かつ初の古馬マイルGⅠ春秋制覇(同一年)も達成しこれを最後に現役を引退。この年も最優秀短距離馬を受賞し3年連続選出される。引退式も執り行われる予定だったが、骨折したためとりやめとなっている。
引退後
引退後は種牡馬となり、自身のスピードをよく伝える産駒が多く、安田記念を連覇し自身が勝てなかった天皇賞・秋を制したヤマニンゼファーや同一年で高松宮杯とスプリンターズステークスを制したフラワーパークなどを輩出した。
また、2002年の皐月賞5着、東京優駿4着、そして菊花賞3着と常に「距離の壁」に挑み続け、
それに勝ち続けた2005年の中京記念勝ち馬メガスターダムも本馬の産駒である。
主戦を務めた河内洋は、ニホンピロウイナーについて
「1400mがベストのスプリンターであり、決してマイラーではない。」
と語り、またその現役を
「短距離戦にはそれを得意とする馬の全盛期がもって1年、ひどければGIをひとつでも勝ってしまえば後は衰えてしまうような消耗の激しさがある。しかしこの馬は、いくらマイル・スプリント路線の創成期とは言え、その中で3年以上も第一線で活躍して結果を残し、それどころか年々強くなり続けていた。そこにこの馬の凄さ、偉大さがある」と評している。
2005年3月、心臓麻痺により死去。ちなみに叔父キタノカチドキをはじめとした母系もほとんど最期は心臓麻痺による急死だったため、生産者もこのことを多く危惧していたという。
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ヒーロー列伝No.19
MIle Champion
マイルチャンピオンシップ、安田記念。その圧倒的なスピード、華麗なる足さばき。
勝利につぐ勝利に、人気のプレッシャーは重くのしかかったが
きみは、いつもたやすくはねのけてきた。
マイルならどんな相手にも負けない――史上最強の名スプリンター。
きみのマイル神話は、いつまでも語り継がれることだろう。
名馬の肖像2020年安田記念
先駆けとして
まっさらな大地を
ただ進むだけでは
先駆者とはなりえない
颯爽とした足どりで
地図を描き
この冒険の素晴らしさを
世に知らせながら
自らの価値も高めていく
彼が成し遂げたのは
そんな仕事だった