概要
主な勝ち鞍はイスパーン賞(1983年、1984年)など。
フランスで種牡馬となった後、日本へ輸出された。
プロフィール
性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
父 | ブラッシンググルーム |
母 | テイルズトゥテル(母父:ドゥーナットキング) |
生産者 | ドン・マニング夫妻(アメリカ合衆国) |
馬主 | マフムード・フストゥク |
調教師 | ミトリ・サリバ(フランス)→アンドレ・ファーブル(フランス) |
競走成績 | 17戦5勝 |
略歴
1980年
5月30日、アメリカでドン・マニング夫妻により生産された。
父のブラッシンググルームは競走馬としても種牡馬としても一流で、落ち着いた性格だったが強い闘志を持っていた。
母のテイルズトゥテルは29戦6勝、母父のドゥーナットキングは53戦9勝の成績だった。
レバノン国籍の実業家マフムード・フストゥクの所有馬となり、彼が所有するバックラムオークファームで馴致・調教が積まれた。
1982年
フランスへ輸出され、ミトリ・サリバ調教師に預けられた。
8月10日、ドーヴィル競馬場のタンカルヴィユ賞でデビューし1着。
9月19日、ロンシャン競馬場のサラマンドル賞(GⅠ)でGⅠ初挑戦。ディープルートとマクシモヴァ(1着同着)の3着に敗れた。
10月1日、サンクルー競馬場のエクリプス賞(GⅢ)に出走し1着。重賞初勝利。
10月30日、メゾンラフィット競馬場のクリテリウム・ド・メゾンラフィット(GⅡ)に出走し、レミグランの3着に敗れた。
1983年
4月4日、ロンシャン競馬場のフォンテーヌブロー賞(GⅢ)に出走しキャッスルガードの4着に敗れた。
4月24日、ロンシャン競馬場のプール・デッセ・デ・プーラン(GⅠ)に出走し、レミグランの2着に敗れた。
5月14日、アイルランドに遠征してカラ競馬場のアイリッシュ2000ギニー(GⅠ)に出走し、ワッスルの4着に敗れた。
6月26日、ロンシャン競馬場のイスパーン賞(GⅠ)に出走。初の古馬相手のレースだったが1着。GⅠ初勝利となる。
8月14日、ロンシャン競馬場のジャックルマロワ賞(GⅠ)に出走し、リュートアンシャンテの7着に敗れた。
9月4日、ロンシャン競馬場のムーランドロンシャン賞(GⅠ)に出走し、リュートアンシャンテの7着に敗れた。
10月15日、イギリスに遠征してニューマーケット競馬場のチャンピオンステークス(GⅠ)に出走し、コーモラントウッドの16着に敗れた。
1984年
凱旋門賞を8度制したアンドレ・ファーブル調教師の厩舎に移籍。
3月3日、サンクルー競馬場のエドモンブラン賞(GⅡ)に出走し1着。
4月1日、ロンシャン競馬場のアルクール賞(GⅡ)に出走し、ラヴリーダンサーの4着に敗れた。
5月27日、ロンシャン競馬場のドラール賞(GⅡ)に出走し、ムールタザムの5着に敗れた。
6月24日、ロンシャン競馬場のイスパーン賞(GⅠ)に出走し1着。連覇を果たす。
7月7日、イギリスに遠征してサンダウン競馬場のエクリプスステークス(GⅠ)に出走し、サドラーズウェルズの4着に敗れた。
8月26日、アメリカに遠征してアーリントンパーク競馬場のバドワイザーミリオンステークス(GⅠ)に出走。9歳馬ジョンヘンリーの10着に敗れた。現役を引退。1984年フランス最優秀古馬に選出された。
1985年
フランスで種牡馬となる。
1986年
産駒のグッドエグザンプル(主な勝ち鞍はレゼルヴォワ賞など)、ライツアウト(主な勝ち鞍はジャンドショードネイ賞など)が誕生。
1987年
産駒のブリュードフレンチ(主な勝ち鞍はサンロマン賞など)、ディアドクター(主な勝ち鞍はアーリントンミリオンステークスなど)が誕生。
1988年
日本軽種馬協会に購入され、日本に輸出された。産駒のグリッティ(主な勝ち鞍はギヨームドルナノ賞など)が誕生。
1989年
日本軽種馬協会の静内種馬場で種牡馬として供用された。初年度は50頭の繁殖牝馬を集める。
1990年
産駒のアルファキュート(主な勝ち鞍は中山牝馬ステークスなど)が誕生。
1991年
1992年
1994年
1998年
NARリーディングサイアーを獲得。マチカネフクキタルの活躍で種牡馬としての人気が高まったが、病気がちとなり種付け数は抑えられた。
2000年
産駒のハードクリスタル(主な勝ち鞍は東海ステークスなど)が誕生。13頭と交配したが受胎0で、事実上種牡馬引退となる。
2002年
12月5日、死去(22歳)。