概要
1992年2月27日生まれ(95世代)の競走馬。
父クリスタルグリッターズ、母バンシューウェー、母父ペール(マイバブー系)。
通算成績:地方30戦22勝、中央2戦1勝。
GⅠ勝鞍:川崎記念(98、99) 帝王賞(98)、東京大賞典(98)
GⅡ勝鞍:東海ウインターステークス(97)、ダイオライト記念(98、99)
主戦騎手は大井時代が荒山勝徳、船橋時代が石崎隆之。
生涯獲得賞金8億2009万円は当時の地方所属馬最高額。後にフリオーソ(07世代)が更新した。
戦績
デビューは遅く、地方交流重賞が始まった1995年5月。荒山勝徳騎手とのコンビで徐々に勝ちあがっていった。デビュー3戦目には後の主戦・石崎隆之が初騎乗で勝利を飾っている。
1996年大井の荒山徳一廐舎から船橋の出川克己厩舎へ転厩。以降、鞍上は全て石崎隆之が務め、この年は無傷の4連勝。
1997年、アブクマポーロは大きく飛躍する。卯月特別、グリーンカップ、更には南関東重賞の大井記念を続けて勝ち、7連勝で重賞馬となる。
勢いそのままにGⅠ帝王賞でダートグレード競走に初挑戦し2着。9月にはGⅡオールカマーでキャリア唯一の芝レースに挑戦したが、メジロドーベルの8着(ブービー)に終わった。
その後、中央主催のGⅡ東海ウインターステークス(中京競馬場)でグレード重賞初制覇。年末のGⅠ東京大賞典ではトーヨーシアトルの3着に入り、NAR年度代表馬に選出された。
1998年も勢いは止まらず、GⅠ川崎記念を制してGⅠ初勝利を飾るとGⅡダイオライト記念、南関東GⅠ(当時)マイルグランプリ、GⅢかしわ記念、GⅠ帝王賞、GⅢNTV盃と破竹の6連勝。特にかしわ記念は1:35.4のレコード勝ちで、今なおこの記録は破られていない。
また、この時同じく地方で台頭していた水沢の雄・メイセイオペラとは中央馬が蚊帳の外になるほどの激戦を繰り広げ、「AM対決」と称された。
GⅠマイルチャンピオンシップ南部杯では川崎記念、帝王賞で下していたライバル・メイセイオペラの快走で3着に敗れたが、続く南関東重賞グランドチャンピオン2000に勝利すると、年末のGⅠ東京大賞典でメイセイオペラにリベンジ。
結局、98年は8戦7勝3着1回。中央馬でアブクマポーロに先着できたのは南部杯の2着馬タイキシャーロックのみと地方所属馬のプライドを見せつけ、2年連続でNAR年度代表馬に選出された。
7歳となった1999年も絶好調。1月に地方所属馬として初めてフェブラリーステークスを制したメイセイオペラに負けじと、GⅠ川崎記念、GⅡダイオライト記念を共に連覇してみせた。
その圧倒的な走りは、川崎記念を見に来ていたメイセイオペラの菅原勲騎手が「もうアブクマポーロには負けねぇと思ったけど…今日のレースを見たら、やっぱりアブクマのほうが強ぇかなあ?」と思わず漏らすほどだった。
しかし3月26日、馬房で左後肢の飛節を捻挫し長期休養。しかし完治には時間を要するということで引退が決定し、11月19日に船橋競馬場で引退式が執り行われた。
“砂の女王"ホクトベガの交流重賞10勝にはあと1勝届かなかったが、それでも中央馬を圧倒し続け、彼女亡き後の砂の王者としてダート界に君臨。
もう1頭の地方の雄メイセイオペラにも通算3勝1敗。その強さを示した。
引退後
引退後に種牡馬入りしたが産駒はパッとせず、2005年に種牡馬を引退。
初年度産駒のギャランティビートが園田重賞「楠賞」で2着…というのが産駒唯一の重賞実績となる。
その後は乗馬として「にいかっぷホロシリ乗馬クラブ」「オーフルホースコミューン」で過ごした後、2018年11月から「吉田牧場」で余生を送った。
2021年2月21日、放牧中に倒れ、永眠。29歳だった。