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フジキセキ

ふじきせき

1992年生まれの競走馬。サンデーサイレンスの初年度産駒の代表格。1994年JRA賞最優秀3歳牡馬受賞。(イラストの左)
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誘導編集

  1. 競走馬
  2. 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→フジキセキ(ウマ娘)

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概要編集

生年月日1992年4月15日
英字表記Fuji Kiseki
性別
毛色青鹿毛
サンデーサイレンス
ミルレーサー
母の父Le Fabuleux
競走成績4戦4勝
近親スーパーライセンス(半兄) シャイニンレーサー(半姉)

サンデーサイレンスの初年度産駒。馬主は齊藤四方司。栗東渡辺栄厩舎。


※馬齢は数え表記


1994年8月20日、新潟競馬場芝1200m新馬戦でデビュー。蛯名正義騎手、馬体重は472kg、2番人気だったが8馬身差の圧勝。

10月8日、もみじステークス(阪神競馬場芝1600m・3歳オープン特別)、このレースから角田晃一が騎乗。単勝1.2倍の人気に応えて1着。2着にタヤスツヨシ

12月11日、朝日杯3歳ステークス、単勝1.5倍の1番人気。2番人気はスキーキャプテン。レースでは先行し、スキーキャプテンをクビ差抑えて1着。この勝利で自身はJRA賞最優秀3歳牡馬を受賞、同年の三冠馬ナリタブライアンに続く三冠制覇(ミスターシービーシンボリルドルフ以来の2年連続の三冠馬誕生)を期待され、父サンデーサイレンスには初のGⅠタイトルをもたらし、種牡馬としての成功を印象付けた。


1995年弥生賞から始動。馬場状態は重、馬体重508kgは前走から+16kg、半年前の新馬戦からは+36kg。単勝1.3倍の1番人気。2番手追走から4コーナーで先頭に立ち、直線でホッカイルソーに並びかけられるがゴール前100mで2馬身半突き放す。勝ちタイムは2分3秒7。時計のかかる馬場状態だった。

クラシックレースの主役たる実力を示したが、レース後に屈腱炎が判明。時間をかけて治療し、競走に復帰する道もあったが、フジキセキ陣営は引退と95年シーズンからの繁殖入りを選択した。


明け4歳で種牡馬となる異例の決断の背景には屈腱炎の厄介さと生産界の状況が挙げられる。

屈腱炎からの復帰には約1年が必要な上に、負荷がかかると容易に再発するため、大レースを目指すのは難しくなる。

95年3月時点では種牡馬サンデーサイレンスは大人気だったが種付け権は限られ、代用種牡馬のエイシンサンディ(父サンデーサイレンス 怪我で競走馬になれなかったが血統を見込まれ種牡馬となる)にさえ種付けの申し込みが殺到する状況だった。

また、3月末が新種牡馬登録の期限で、同年の繁殖シーズンに間に合うことも理由に挙げられた。


当初はサンデーサイレンスの代替種牡馬としての位置付けであり、重賞級は出てもGⅠでは力不足、といった評価であった。しかし徐々にフジキセキの特徴、つまり大柄な馬が多い晩成寄りのパワー型で、かつ短距離に向いていることが知られると成績も上向き始める。2000年以降はサイヤーランキング上位を確保し続け、ディープインパクトが登場するまで通算勝利数、通算重賞勝利数で内国産種牡馬の歴代1位の座を保持していた。

2010年を最後に種牡馬引退。2015年12月28日死亡。


ちなみに競馬漫画の金字塔『みどりのマキバオー』の名敵役カスケードのモデルでもある。


種牡馬成績編集

主な産駒編集


母の父としての主な産駒編集


外部リンク編集

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