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キタノカチドキ

きたのかちどき

日本の競走馬、種牡馬。抜群のスピードで1974年クラシック・シーズンを席捲した。
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概要編集

日本の競走馬種牡馬

抜群のスピードで1974年クラシック・シーズンを席捲した。

主な勝ち鞍は皐月賞(1974年)、菊花賞(1974年)など。

生涯成績:15戦11勝


生産者:佐々木節哉

馬主:初田豊

調教師:服部正利栗東トレーニングセンター

主戦騎手:武邦彦


父:テスコボーイ 母:ライトフレーム(母父:ライジングフレーム

半妹にリードスワロー、甥にニホンピロウイナーがいる。


来歴編集

1971年

3月27日、佐々木節哉牧場(日高町)に誕生。大柄な馬体ながら小顔で、激しい気性を持っていた。


1973年

9月16日、阪神競馬場の新馬戦(芝1200m)でデビューし1着。ほとんど追うこともなく楽勝であった。

10月7日、デイリー杯3歳ステークスに出走し1着。スプリント・レースなのに2着に9馬身差がついた。

11月10日、京都競馬場のオープン戦(芝1200m)に出走し1着。

12月9日、阪神3歳ステークスに出走し1着。最優秀3歳牡馬に選出された。


1974年

2月10日、きさらぎ賞に出走し1着。

3月24日、関東へ遠征し、スプリングステークスに出走し1着。ゴール後1コーナーの外ラチへ向けて突っ込むなど気の悪さを見せる。皐月賞を目指すが、厩務員ストライキにより3週間遅れて開催されることとなる。

5月3日、皐月賞に出走し1着。東京優駿を目指すが、日程繰り下げの影響で絶不調となる。

5月26日、東京優駿に出走し、コーネルランサーの3着に敗れる。初黒星を喫する。栗東へ帰り秋まで休養に入る。

9月29日、休養明けで神戸新聞杯に出走し1着。

10月20日、京都新聞杯に出走し1着。

11月10日、菊花賞に出走し1着。最優秀4歳牡馬、年度代表馬に選出された。


1975年

2月22日、京都競馬場のオープン戦(芝1900m)に出走しラッキーオイチの2着に敗れる。

4月13日、田島信行騎手に乗り替わってマイラーズカップに出走し1着。

4月29日、鞍上が武邦彦に戻り、天皇賞(春)に出走しイチフジイサミの2着に敗れる。レース後、脚部不安から宝塚記念を回避。翌年まで休養の予定だったが、日本中央競馬会から「有馬記念に出走する関西馬がゼロになる」と泣きつかれて出走することになる。

12月14日、有馬記念に出走しイシノアラシの8着に敗れる。レース中に左前種子骨剥離骨折および右前副腕骨骨折を発症し、翌日引退が発表された。


1976年

1月25日、京都競馬場で引退式が行われた。種牡馬入り後は毎年重賞勝ち馬を出したが、代表産駒といえるほどの子はいなかった。


1983年

9月7日、心臓発作により急死。


主な産駒編集

タカノカチドキ トーワカチドキ カイラスアモン マチカネイシン


母父として編集

リンデンリリー


関連タグ編集

競走馬 JRA 74世代

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