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ウマ娘プリティーダービー』に登場する、本馬をモチーフとしたキャラクターウマ娘)については当該項目へ。→ ヤマニンゼファー(ウマ娘)


概要編集

Yamanin Zephyr(1988年5月27日~2017年5月16日)


日本の競走馬種牡馬

馬名はヤマニンベン・グループの冠名「ヤマニン」とギリシャ神話の西風の神ゼピュロス英語読みでゼファー)から。

1990年代前半にマイル短距離路線で活躍した。

主な勝鞍は安田記念(1992年・1993年)、天皇賞(秋)(1993年)など。

彼の産駒が走るときには、ファンがスタンドで「ゼファー魂」と書かれた横断幕を掲げた。


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ヒーロー列伝No.37

そよ風、というには強烈すぎた。


プロフィール編集


来歴編集

※現役時代の馬齢は当時の表記で記載する。


1988年(当歳)

5月27日、錦岡牧場(新冠町)で誕生。

父は「マイルの皇帝」と呼ばれたニホンピロウイナー、母は錦岡牧場の繁殖牝馬ヤマニンポリシー、母父はフランス2歳GⅠ全てに勝利したブラッシングルームであった。

胴体が詰まった短距離向きの体型で、スプリンターの生産を狙った土井睦秋の意図通りとなった。


1990年(3歳)

8月、美浦トレーニングセンターの栗田博憲厩舎に入厩。しかしソエ骨膜炎)になって放牧に出され、デビューは翌年となった。


1991年(4歳)

3月9日、ようやくデビュー。横田雅博騎手を鞍上に中山競馬場新馬戦ダート1200m)に出走し1着。

3月30日、中山競馬場の条件戦(500万下)に出走し1着。連勝を飾る。

4月13日、横山典弘騎手に乗り替わりクリスタルカップGⅢ)で重賞初挑戦。カリスタグローリの3着に敗れた。ソエが再発して休養に入る。

10月26日、東京競馬場の条件戦(900万下)で半年ぶりに復帰。キョウエイブランドの7着に敗れた。

12月1日、蛯沢誠治騎手に乗り替わり中山競馬場の条件戦(900万下)に出走し1着。

12月15日、スプリンターズステークスGⅠ初挑戦。ダイイチルビーの7着に敗れた。


1992年(5歳)

1月6日、サンライズステークス(1500万下)に出走しシンボリガルーダの2着に敗れた。

2月2日、田原成貴騎手に乗り替わり羅生門ステークス(1500万下)に出走し1着。オープンクラスに昇格。

4月25日、田中勝春騎手に乗り替わり安田記念(GⅠ)前哨戦の京王杯スプリングカップGⅡ)に出走しダイナマイトダディの3着に敗れた。

5月17日、11番人気で安田記念に出走し1着。初の重賞勝利となった。田中勝春騎手にとってもGⅠ初勝利。父・ニホンピロウイナーとの父子制覇も達成。秋競馬に向け休養に入る。

9月13日、セントウルステークス(GⅢ)で4ヶ月ぶりに復帰。マイスーパーマンの2着に敗れた。

11月22日、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)に出走しダイタクヘリオスの5着に敗れた。

12月20日、スプリンターズステークス(GⅠ)に出走。ゴール前でニシノフラワーに差され、クビ差の2着に敗れた。


1993年(6歳)

栗田博憲調教師はヤマニンゼファーの将来の種牡馬入りを見据え、天皇賞(秋)東京競馬場:2000m・GⅠ)を目標に定めた。

2月28日、田原成貴騎手に乗り替わりマイラーズカップ(GⅡ)に出走しニシノフラワーの2着に敗れた。

3月14日、中山記念(GⅡ)に出走しムービースターの4着に敗れた。1800mを速いペースで先行しながら勝ち馬から0.3秒差だったため、田原成貴の見解は「2000mも十分行ける」というものだった。田中勝春騎手は所属する藤原敏文厩舎のセキテイリュウオーの台頭によりヤマニンゼファーの主戦から降りる事となる。

4月24日、柴田善臣騎手に乗り替わり京王杯スプリングカップに出走し1着。

5月16日、2番人気で安田記念に出走。鋭い末脚で馬群を抜け出して連覇(2着イクノディクタスからハナ差でシンコウラブリイ、アタマ差でシスタートウショウ、ハナ差でロータスプールと2着争いは大混戦となった)。柴田善臣騎手にとってもGⅠ初勝利となる。秋競馬に向け休養に入る。

10月10日、毎日王冠(GⅡ)で5ヶ月ぶりに復帰。シンコウラブリイの6着に敗れた。

10月31日、5番人気で天皇賞(秋)に出走。逃げを打ったツインターボを最終コーナーで捉え先頭に立つが、追い込んできたセキテイリュウオーに交わされる。柴田善臣騎手は外に出してセキテイリュウオーと馬体を併せ、300mにわたる叩き合いの末、ゴール前で差し返しハナ差で1着。

12月19日、スプリンターズステークスに出走しサクラバクシンオーの2着に敗れた。このレースを最後に引退。


1994年

1月、年度表彰において最優秀5歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬を獲得。年度代表馬の有力候補にもなっていたが、こちらはビワハヤヒデが受賞した。

1月30日、東京競馬場で引退式が行われた。

引退後はレックススタッド新ひだか町)で種牡馬となった。初年度産駒から武蔵野ステークスを勝ったサンフォードシチーを輩出。


2009年

種牡馬を引退。錦岡牧場で功労馬として余生を送る。


2017年

5月16日、老衰のため死去(満29歳)。


余談編集

  • 1992年安田記念で田中勝春騎手、1993年安田記念で柴田善臣騎手にGⅠ初勝利をプレゼント。他には皐月賞松山弘平大阪杯北村友一がGⅠ初勝利のアルアインがいる。
  • グレード制導入以後、安田記念を連覇した馬はウオッカ(2008年・2009年)とソングライン(2022年・2023年)のみ。前身の安田賞時代にはスウヰイスー(1952年・1953年)がいるが、いずれも牝馬である。
  • 1993年天皇賞(秋)でヤマニンゼファーに敗れたセキテイリュウオー鞍上の田中勝春騎手がGⅠ2勝目を挙げたのは2007年皐月賞ヴィクトリー)だった。
  • ライバルはシンコウラブリイ、イクノディクタス、ニシノフラワーなど何故か牝馬が多かった。トウカイテイオーと同期であるが、一度も対戦していない。
  • また、ヤマニンゼファーが入厩した当時は、バイクメーカーの川崎重工業からZEPHYRが発売されていたタイミングでもある。本車両は一世を風靡し、90年代における二輪車業界のネイキッドブームの火付け役となった。そのため、同馬の命名に少なからず影響したのではないかとも考えられる。

関連動画編集

20世紀の名馬第67位


1992年安田記念


1993年安田記念


1993年天皇賞(秋)


関連タグ編集

91世代 競走馬 JRA

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