概要
発祥の造船業を始め、二輪車、航空機、鉄道車両等輸送機器関連を手広く営んでいる。結果、日本の自動車・オートバイメーカーの中で唯一(※)、陸・海・空の全ての乗り物を本格的に手がける企業となった。
子会社再編等を経て、各事業ごとのカンパニー制を採用している。
神奈川県川崎市とは全く関係が無い(社名は創業者の姓に由来)。
タグライン(キャッチコピー)は「Powering your Potential」。
※ホンダにはHondaJetやHondaMARINE(船外機)もあるが、逆に言えばその程度である。2024年現在、本格的に船舶・航空機・自動車の全てを手がける日本のメーカーは他にはない。なおヤマハ発動機は、二輪車を始め自動車(2000GTやレクサスのエンジン)、ボート、産業用ヘリ等を手掛けており、陸海空全ての製品に関わっている。
なお、これは三菱重工→三菱自動車、IHI→いすゞ、日野・・・といったように総合重工業メーカーから自動車部門が分離したケースがあるためでもあり、例えば三菱重工と三菱自工を合わせると陸・海・空の全てが揃うことになる。
コーポレートマーク
川崎重工のコーポレートマーク(CI)は大きく分けて二つあり、一つは1870年代の創業以前から使われていた「川」をモチーフにした通称「リバーマーク」、もう一つは1960年代以降二輪車部門のブランドマークとして使われ、2007年より川崎重工全体のCIとなった通称「フライングK」である。
フライングKをCIにして以降はリバーマークが使われることが少なくなったが、2016年に川崎重工120年を記念して1年間使用され、のちに分社化され新会社となった二輪車部門の新たなCIとして使われることとなった(但し二輪部門で使われているマークは周りに四角の囲いが無いタイプで、かつては川崎製鉄【現:JFEスチール】の社章であった)。
主な事業
造船部門
船舶海洋カンパニーが担当。
神戸市の神戸工場(神戸造船所)と香川県坂出市の坂出工場で生産している。
三菱重工業の祖たる三菱重工長崎造船所と共に、日本初の民間造船戦艦となった戦艦榛名始め多数の旧大日本帝国海軍軍艦、海上自衛隊護衛艦・潜水艦が神戸工場で生まれた。
長崎造船所等を擁する三菱重工業と並び多数の国防に携わる艦艇達の生まれ故郷である。
また、貨物船の建造も多い。
出雲丸(→飛鷹)で未完に終わった客船製造はジェットフォイルのみ製造している。それ以外の客船・貨客船は2020年現在未参入である。
※左上から榛名、伊勢、加賀、飛鷹、摩耶、熊野、鬼怒、荒潮(艦これ)
鉄道車両部門
車両カンパニーが担当→2021年10月1日に分社化し川崎車両となる(下記参照)。ちなみに旧川崎造船所時代の1928年(昭和3年)にも1度分社化されて川崎車輌として事業をしていたが、1969年に川崎航空機と共に川崎重工(1939年に社名変更している)に吸収合併されている。
神戸市の兵庫工場(和田岬線沿線。搬出に用いられることもある)で生産している他、北米にも拠点を持つ。
日本最古の鉄道車両製造会社である汽車製造を合併し、その流れも汲んでいる。
新幹線車両は国鉄時代からN700Sを除きすべての系列で何らかの形で関与している(JR九州800系は台車製造のみ)。N700Sについては開発元のJR東海との関係から製造から外されており、川崎重工として初めて製造しない新幹線車両となる(詳細はN700Sを参照)。
在来線車両においてもJR7社すべてに納入実績がある。その他私鉄にも納入実績がある。
JRの車両
※左上からE5系、E7系、700系、500系、789系、E231系(1000番台のみ)、323系、2700系、EF210、DF200
最近では「車輪はおろか台車を丸ごと炭素繊維で作り上げた鉄道用台車」なんてのも…。
私鉄の車両
日本の鉄道工場としては唯一、工場構内を市道が踏切を使って貫通している事で有名。この市道貫通は車両搬入口と和田岬線を繋ぐ引き込み線周辺と工場構内の試運転線や工場ピットが密集している所に存在している。その為、搬出前の車両や製造途中の車両達が公式発表前に激写される事も屡発生している。
最近では三代目のフリーゲージトレイン(FGT9000形)、JR西日本227系などがあり、特に三代目フリーゲージトレインでは、この市道踏切で激写された写真によって製造されていた事が初めて世間一般に判明している。
因みに以前関西系番組で「この工場構内を貫通している市道について対処を考えていないのか?」と質問されていたが、取材に応じた工場関係者は「市道は神戸市が持っている物なので工場単体では撤去が出来ない」とも取れる発言をしている。
2021年3月31日、「川崎重工業車両カンパニー」は会社名を「川崎車両」に変更、車両事業に関する権利義務を同年10月1日付で親会社から川崎車両へ譲渡することを発表した。
二輪車など
詳細はKawasakiを参照。
モーターサイクル&エンジンカンパニーが担当→2021年10月に分社化しカワサキモータースとなる。川崎重工業グループ全体として唯一一般消費者向けの商品を生産している。
スクーターや排気量50ccクラスのいわゆる原付には目もくれず中型・大型二輪オートバイ生産に徹する。
「カワサキか…」
川崎重工業は1958年から製造を始めたバイクにおいて国内4大バイクメーカーの一角となる一方で、戦前から戦中に掛けて「六甲号」のブランドでトラックやバスや乗用車を製造し、主に軍や公官庁向けに一定のシェアを誇っていた自動車部門に関しては戦後に消滅の道を辿った。
また、合併相手であった汽車製造が戦前に小型乗用車「筑波号」製造に関与し(みづほ自動車製作所のみずほ号の製造権を石川島自動車との合弁会社「東京自動車製造」が譲り受け、改良し製造販売した。)、戦後に「ナニワ号」というオート三輪を製造していたことから一時期軽自動車「KZ360」を計画し試作車まで作成したものの諸事情から実現することはなく、エンジン技術はバイクのZシリーズに転用された。
戦後の航空禁止令の際の雇用対策の為、バス車体の製造を各務ヶ原にあった川崎産業(旧川崎航空機)の岐阜工場で行うこととなった。バスの車体は基本的に国内様々なメーカーのシャーシに架装されたが、戦前の自動車部門はいすゞ自動車と関係が強く、その流れを汲んで後にいすゞ製シャーシに一本化された。
1969年の川崎重工業再結集で同社の岐阜工場となったが、1974年には川重車体工業として分社化。この頃からモータリゼーションによりバスの生産が減り経営が悪化し、1986年にいすゞの資本参加による救済が行われ、同時に鉄道車両部門を神戸に集約させたことで遊休地となっていた宇都宮工場に移転しアイ・ケイ・コーチとして再出発することになった。
その後1995年にいすゞバス製造と改称し2年後に川崎は完全に撤退した。この会社も2004年にはJ-BUSとなっている。
その他にもかつては「ドリームプラス」の名で酸素カプセル機器も販売していた。現在は販売済み商品のアフターサービスの案内しかされていない。
航空機・宇宙開発部門
航空宇宙カンパニーが担当。
戦前の大日本帝国陸軍軍用機御用達、川崎飛行機の流れをくむ。
他事業の拠点と離れた岐阜県・愛知県に岐阜工場・名古屋第一&第二工場を置く。
自衛隊への納入も当然あるが、それがやたら俊敏な輸送機とか宙返り可能な回転翼機とかだったりと割とすっ飛んでいる。
ちなみに強度に関してはYS-11の開発に際しても遺憾なく発揮されたが、そもそもその担当の設計技術者は戦前にやらかしているので歴史を繰り返しただけだったり。
なおこのYS-11を開発した半官企業の日本航空機製造の処分の際に引き受けて現在川崎重工業の100%子会社になっている。ただし、YS-11に関する権利は三菱重工業が引き継いでいる。
関連リンク
関連タグ
西日本鉄道・嵐電:かつて神戸川崎傘下だった鉄道会社。前者は現在でも川崎重工業からのみ車両を納入している。
神戸新聞社:かつて神戸川崎傘下だった新聞会社。
JFEスチール:旧川崎製鉄。かつての鋼鉄(製鉄)部門。
関西これくしょん:該当艦が多数あり。
三菱重工業:航空機産業の同業。
新明和工業:同上。
神崎すみれ:神崎財閥のモデルが神戸川崎財閥とされている。
コックカワサキ:本社名が名前の由来。