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近代の日本に存在した陸軍組織。現在の陸上自衛隊の前身ではない(陸自は旧内務省系譜に属する組織)。


名称編集

通称・呼称は日本陸軍(にっぽんりくぐん・にほんりくぐん)・帝国陸軍(ていこくりくぐん)・陸軍(りくぐん)など。第二次世界大戦後の解体以降は「」を冠して旧日本陸軍・旧帝国陸軍・旧陸軍とも称される。


大日本帝国陸軍の名称は、国外からの呼称もしくは対外的な連絡文書、公文書等の一部に明治10年代から用いられた。例として、大正7年に当時の陸軍大臣大島健一が英国国王ジョージ5世に充てた祝電「英国皇帝陛下ヘ陸軍大臣ヨリ祝電(1月25日午後1:30発電)」では、日本陸軍・帝国陸軍・大日本帝国陸軍の各名称が使用されている。


英称はImperial Japanese Army、Japanese Armyなど。このうち「大日本帝国陸軍(日本帝国陸軍)」に相当するImperial Japanese Armyの名称・呼称は、大正2年に英国陸軍省が駐日英国大使経由で外務大臣牧野伸顕に充てた、日本の新型カービン・四四式騎銃1挺寄贈を依頼する英文などで使用されている。


軍閥・思想編集

元々明治政府が武家政権否定から始まったことから、天皇以外の者が天皇を凌ぐ権力を持つことがないよう、帝国憲法下では軍が政府から分離され天皇に直属していた(詳細は「大日本帝国憲法」を参照)。明治11年8月、精鋭である筈の近衛砲兵が給与を巡って宮城内で反乱を起こすという竹橋事件が起こり、軍と政府に衝撃を与えた。また、自由民権運動の影響を帝国陸軍が受けることを防ぐために、軍人政治介入を禁じる軍人勅諭が出された。

しかし、本来不可分の関係にある政治と軍事を無理やり分離することは国家を運営する上での歪みを残すこととなった。第一次世界大戦で政軍分離の限界を痛感した陸軍は非合法な手段を以てでも陸軍主導での政軍の一体化を目指し、一方海軍は政軍分離を盾に議会など外部の干渉を徹底的に排除し内向きの論理に終始することとなった。


帝国陸軍は「忠節礼儀武勇信義質素」の徳目を掲げると共に、その中で政治不干渉を求めていた。しかしながら、陸軍将校のうち官衙、とりわけ中央勤務の者は官僚機構の側面も有しており、古くは薩摩藩長州藩等出身者とその他のまたは幕府出身者との対立があった。近代的将校教育制度確立後は、兵科間・陸大出身者と非出身者間・派閥間(皇道派と統制派)同士の対立など、無数の内部的な抗争を生みやすい状況であった。


昭和期には、旧陸軍内革新派が中心となって政治に接近して行った。その結果1931年には陸軍中央の中堅将校らからなる一夕会が関東軍など外地に所在する現地部隊と呼応して、陸軍首脳部の意志に反した行動(満州事変)を起こした。また青年将校が「昭和維新」を叫んで五・一五事件(※旧海軍による事件)が起こり、軍事クーデターであるにもかかわらず、多くの新聞社は彼らを英雄と称え減刑を主張したことから減刑嘆願は国民運動まで発展、その世論によって首謀者達には軽い刑が下された。この減刑が二・二六事件を起こし、政治への関与をさらに深める。旧陸軍政治関与は、東條英機が首相・陸軍大臣・参謀総長を兼任する東條内閣で最高潮に達する。


昭和20年11月28日、最後の陸軍大臣・下村定大将は敗戦後の第89回帝国議会において、斎藤隆夫代議士からの質問に対して、帝国陸軍を代表して問題点を総括している。


陸軍の気風編集

下士官兵の場合編集

帝国陸軍は体罰による鉄拳制裁(当時の陸軍用語で修正 ※1)が日常茶飯事であったとされ、「体育会系の典型例」というイメージがある。


しかし、元々日本では余り過剰とならないよう体罰を戒める文化があり、(イギリスから体罰容認の文化を導入した海軍とは違い)陸軍では体罰が基本的に禁止されていた。陸軍で体罰が酷くなったとされるのはシベリア出兵や満州事変など外征が長期化した時期であったとされ、戦争の泥沼化に伴い下士官兵の間に復員できない不満が溜まり、新兵が当たられることも少なくなかったという(それでも後述する海軍の例に見るように、日本より海外の軍隊の方がよっぽど酷かったとされるが)。


  • 古兵が「おい貴様ァ修正ダーーーーーーーー!!!!!」といいながら殴り掛かって来ると、新兵はそれを避けてはならない
  • 先任兵には絶対服従、背けば虐待鉄拳制裁(例え階級が上等兵でも、古参1等兵には絶対服従である)
  • 出された指示/命令はどんな理不尽な内容でも必ず実行、できなければ虐待鉄拳制裁
  • どんな困難な状況も努力根性などの精神論で解決
  • バンカラ。都会出身者や西洋かぶれ文化系をひ弱であるからと見下す

※1 この「修正」という言葉は、某ロボット作品の主人公の「そんな大人は修正してやる!!!」という台詞ぐらいでしか使われない。逆に言うといかにあの作品が「暴力的」か解ることの1つ。


徴集兵の大半は陸軍に回されたので、多くの日本人男性が旧陸軍の過酷な制裁洗礼を受けることとなった。天本英世みたいにトラウマとなった人物も少なくない。


ただし、暴力・制裁自体はしごきが公然と認められた旧海軍の方が、艦内というある種の密室空間内の出来事であるため隠蔽が容易という事情から、バッターなどを用いて行うこともあって酷かったといわれる。それなのに旧陸軍の方ががイメージが悪い理由は旧海軍は元々必要な人数が少ないからそもそも海軍に所属した者自体が旧陸軍と比べて少なく、戦時下にあっても徴兵期間の長さや仕事内容が専門的である関係上、意欲がある者でなければ困るため徴兵されて旧海軍を希望した者を優先的に採用したので、世間からは適性がないのに旧海軍を選んだ自業自得ではないかと受け取られたためである。


普通の軍隊は「階級が上の方が偉い」ということとなっているが、旧陸軍下士官兵は「星の数よりメンコの数」という気風が強いのが独特であった。例え階級が下でも、自分より軍隊に長く在籍している古兵には逆らえなかった。もっとも、この様な風潮は現代でも世界中の軍隊でしばしば見られ、「先任下士官の前では士官学校出の少尉など赤子同然」などということも珍しくはない様である。


将校の場合編集

難関の陸軍士官学校出の将校は当時のエリート西竹一ら華族や金持ちの子弟もおり、このような人々は西洋文化にも親しみ洗練されたセンスを持っていた。


将校は下士官兵と異なり、軍服軍刀などの軍装品は私物である。軍装品に個性を見出し、お洒落を競う「青年将校文化」があった。海軍と比べ若い将校の給与はさほど高くはなかったが、その給与の中からオーダーメイドで軍装を仕立て、細かいデザインの自己主張で男伊達を競った。従って陸軍将校軍装には、同時代であっても細部仕様にかなりの差異が存在する。チェッコ式やロス式などの派手やかな軍帽、軍衣の襟は高く、ボタン配列は上に詰め腰回りを絞り、着丈は短くして脚を長く見せる、といった様な瀟洒なスタイルが好まれた。


昭和初期の旧陸軍青年将校は、当時のファッションリーダーであり、女性からはかなりモテたという。これら「青年将校文化」最盛期には下士官にも影響が及び、古参下士官には暗黙の了解として官給軍装品改造が認められる様になった。


旧海軍との比較編集

スマートで垢抜けたイメージが流通している海軍軍人に対し、一般に陸軍軍人の方が荒々しく泥臭いイメージが定着している。


しかし、これは海軍と比べ陸軍の方が民間人との接触が遥かに多く、特に戦時中は、憲兵が高圧的に振る舞っていたため、横暴なイメージが定着してしまったためである。実際のところは柄が悪い者は海軍にも多かったらしく、特に戦闘機乗りにはチンピラまがいの荒っぽい人物が目立ったという。もっとも、旧陸軍空中勤務者にも荒っぽくて目立つ奴は沢山いたが。


また、社会への関わりについても陸軍と海軍では大きな違いが存在した。定員が陸軍士官学校の1/5 - 1/10の海軍兵学校出身者から構成される海軍将校団は小所帯であり、またイギリス流のエリート意識から下士卒との交流がなかった。さらに活動の場も港周辺や洋上が中心であったため、海軍士官は同質性が高く世情に疎かった。


一方、陸軍将校は士官学校定員の多さに加えて少尉候補者や幹部候補生制度など、比較的多様な人間が存在していた。活動の点である聯隊兵営は各地域の都市に所在し、常に世間と隣合わせであった。また、直接人間を率いるという陸軍(歩兵)の性質から、将校は部隊の責任者として部下である下士卒との関わりが求められ、地方人である兵士達の教育が士官の重大な任務の1つであった。そのため陸軍は必然的に政治や社会への関心が高い傾向にあった。そのため、「軍人は政治に関わるべからず」という明治天皇の勅諭を無視して暴走する連中が陸軍に多かったという一般的なイメージは間違いではない。


陸軍文化の遺産編集

旧陸軍は戦後恩給関連の部署を残して解体され、軍人も公職追放にあったり、外地で抑留されたりして散り散りになった。近衛師団は禁衛府皇宮衛士総隊として存続を図ろうとしたが結局解散となった。


戦後の日本では、陸軍は軍国主義の権化とする陸軍悪玉論が強かったため、陸軍の気風はほとんど現在の陸上自衛隊には直接引継がれてはいない。海上自衛隊は軍艦旗をそのまま自衛艦旗として継承したのに対し、陸自の自衛隊旗は陸軍軍旗と意匠が変えられるなど、旧海軍の伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊と比べると旧陸軍との繋がりが意識されることは比較的少ないとされる。


組織的にも陸自は内務省の流れを汲んでおり、文化的にも帝国陸軍とはかけ離れたものとなった。陸自は地域密着した役所的な文化が基本であり、旧陸軍よりは消防署や府県警察の気風に近いといわれる。


しかし実際には、陸自も幹部の一部に陸軍出身者がおり、前身の組織である警察予備隊保安隊の多くが旧軍出身者であったことから、旧軍と完全に断絶していたという訳でもない。現在でも、旧陸軍の親睦組織である偕行社が陸上自衛隊の行事を積極的に支援したり、「陸軍分列行進曲」「空の神兵」など旧軍の一部の軍歌を演習に取り入れたり、旧陸軍の部隊と海上自衛隊の部隊番号を意図的に一致させて伝承の継承を図るなど、旧陸軍の伝統の継承を標榜している側面も多々見受けられる。


陸軍組織をそのまま引継いでいる組織としては国土地理院大阪市音楽団(通称・市音)が知られている。国土地理院は1871年に発足した旧陸軍陸地測量部の流れを汲んでおり、戦後内務省地理調査所に丸ごと継承され、現在は国交省管轄である。一方、市音は1888年に結成された第4師団軍楽隊を起源としている。1923年の軍縮の際大阪市が大阪市音楽隊として継承、その後直営化され、大阪市音楽団となっていたが、橋下徹市長が存廃議論の意向を示し廃止の可能性が浮上し、2014年に廃止。一般社団法人大阪市音楽団として民営化、名称も変更された。その他731部隊が再結集したミドリ十字なども知られている(なお余談であるが、後にミドリ十字の中国地方子会社は海軍呉鎮守府薬剤部を継承した成和産業に吸収されている)。


著名な旧陸軍軍人編集

あ行編集


か行編集


さ行編集


た行編集


な行編集


は行編集


ま行編集


や行編集


ら行編集



組織編集

大日本帝国憲法制定前はその位置づけが未だ明確ではない点もあったが、憲法制定後は軍事大権については憲法上内閣から独立し、直接天皇の統帥権に属するものとされた。陸海軍(旧日本軍最高指揮官大元帥たる天皇陛下ただ1人である


陸軍三長官編集

帝国陸軍については陸軍大臣(大臣)・参謀総長(総長]))・教育総監(総監)が天皇陛下を除く最高位にあり(直隷)、これらは「陸軍三長官」と呼称された。三長官には陸軍大将ないし陸軍中将が任命されるため(なお、制度・慣習上は「陸軍大臣には予備役将官でも就任は可能」とされた時期もあったが、結果的に歴代陸軍大臣は全て現役将官が就任している)、役職自体は帝国陸軍最高位といえど階級自体は必ずしも最高位の者がなるものではなく、特に歴代の陸軍大臣と教育総監には少なくない陸軍中将が補職されている。いずれにせよ海軍大臣より積極的に政治活動をしていたのは間違いない(が、旧海軍も1922年のワシントン海軍軍縮条約を機に政治にかぶれるものがかなりいたのも事実である。その代表格があの山本五十六であったりする)。

なお、三長官の権限は、陸軍大臣が軍政(軍を維持するための役所仕事。人事・給与・予算管理など)、陸軍参謀総長が軍令(平時の訓練や戦時における作戦立案や現地部隊指揮)、教育総監が文字通り一部の特殊なもの(例:諜報要員の育成など)を除く陸軍内の教育となる。

三長官は教育総監がやや格下とされる場合も有ったが、基本的にいずれか1名の人事は残り2名の同意を得ることと新内閣発足に伴なう新しい陸軍大臣には陸軍三長官が推薦した者が就任するのが慣例となっていた(つまり、陸軍上層部の意に沿わない内閣が出来た場合は「陸軍大臣の就任希望者なし」を名目に新内閣を「流産」させることが可能であった)。

なお、あくまで偶然ではあるが、三長官全てを勤めたことがある陸軍軍人には、何故か評判が宜しくない人物が多い(「グズ元」「便所の扉(自分の意見がなく他人に左右されやすいことを内外どちらでも押した方に開く構造となっている当時の一般的なトイレのドアに喩えたもの)」の渾名が有った杉山元など)。


三長官の佐機関として、「省部」や「中央」と総称する陸軍省・参謀本部・教育総監部の3つの官衙(役所)が設けられており、陸軍大臣(陸軍省)が軍政・人事、参謀総長(参謀本部)が軍令・作戦・動員、教育総監(教育総監部)が教育をそれぞれ掌っていた。


三機関序列第2位の次席相当職として陸軍次官(次官・陸軍省)・参謀次長(次長・参謀本部)・教育総幹部本部長(本部長・教育総幹部)がある。


昭和13年12月、航空戦力拡張・独立及び統率柔軟化のため陸軍航空総監部が新設。航空総監(総監))長とし、主に航空関連学校など陸空軍の教育を掌った。第2次大戦末期には航空関連学校(一部補充学校を除く)共々軍隊化され航空総監部は廃止、航空総軍に改編された。


参謀本部・参謀総長・大本営を掌握編集

参謀本部は戦時・事変時に陸海軍の最高統帥機関(最高司令部に相当)として設置される大本営において大本営陸軍部となり、大元帥の名において発する大本営陸軍部命令(大陸令・大陸命)を作成する存在であるが、これをもって参謀総長がいわゆる陸軍最高指揮官(陸軍最高司令官・陸軍総司令官)となる訳ではないが、大本営の主要な部署はほぼ大本営陸軍部に設置されており、そして参謀総長や重要な役職はほとんど帝国陸軍出身者であったことから大本営運営は陸軍の意向が強かったと思われる


海軍軍令部・軍令部総長)編集

上記の通り結果的に参謀本部や大本営運営が旧陸軍中心であったため。旧陸軍と同じ空気を吸いたくない大日本帝国海軍は自分達の中枢機関として「海軍軍令部」を設置した。これは旧海軍出身者のみで構成されている。そこの長である軍令部総長は当初は参謀総長(陸軍派)の部下ということであったが、後に参謀総長と同格の役職となった。


教育総監編集

教育総監(教育総監部)は帝国陸軍教育を掌握する建前であるが、憲兵・経理・衛生・法務や機甲・航空、参謀・諜報といった特定職務に関係する学校等は、それぞれ陸軍省・参謀本部・航空総監部やその外局の管轄である。


制度編集

組織編集

  • 帝国陸軍組織は、役所である官衙・部隊組織である軍隊・将兵を養成ないし再教育する学校(実施学校・補充学校)と、これらのいずれにも属さない特務機関とに区分されていた。
  • 官衙
  • 陸軍省(陸軍大臣)

  • 参謀本部(参謀総長)
  • 教育総監部(教育総監)
  • 陸軍航空総監部(航空総監):第2次大戦末期に軍隊化。
  • 防衛総司令部(防衛総司令官):第2次大戦末期に軍隊化。
  • 陸軍兵器行政本部(旧陸軍技術本部・陸軍兵器本部)・陸軍技術研究所・陸軍造兵廠・陸軍燃料本部・陸軍兵器補給廠・陸軍軍馬補充部・陸軍恤兵部・陸軍陸地測量部・陸軍中央気象部・陸軍運輸部・陸軍船舶司令部・内地鉄道司令部・陸軍築城部
  • 陸軍航空本部・陸軍航空技術研究所・陸軍航空審査部・陸軍航空工廠・陸軍航空輸送部
  • 陸軍機甲本部
  • 陸軍被服本廠・陸軍製絨廠・陸軍需品本廠・陸軍衛生材料本廠・陸軍獣医資材本廠・陸軍糧秣本廠
  • 憲兵司令部・要塞司令部・連隊区司令部等

部隊編集


学校編集

  • 教育総監部管轄

陸軍士官学校・陸軍予科士官学校・陸軍幼年学校・陸軍予備士官学校

陸軍戸山学校・陸軍歩兵学校・陸軍科学学校・陸軍野戦砲兵学校・陸軍重砲兵学校・千葉陸軍高射学校・陸軍工兵学校・陸軍輜重兵学校・陸軍習志野学校・陸軍通信学校・陸軍少年通信兵学校

  • 陸軍省管轄

陸軍憲兵学校・陸軍経理学校・陸軍軍医学校・陸軍獣医学校・陸軍法務訓練所・陸軍兵器学校・陸軍騎兵学校・千葉陸軍戦車学校・四平陸軍戦車学校・陸軍機甲整備学校・陸軍少年戦車兵学校

  • 参謀本部管轄

陸軍大学校・陸軍中野学校

  • 航空総監部管轄

陸軍航空士官学校・明野陸軍飛行学校・下志津陸軍飛行学校・浜松陸軍飛行学校・熊谷陸軍飛行学校・太刀洗陸軍飛行学校・白城子陸軍飛行学校・仙台陸軍飛行学校・鉾田陸軍飛行学校・陸軍少年飛行兵学校・大分陸軍少年飛行兵学校・大津陸軍少年飛行兵学校・所沢陸軍航空整備学校・岐阜陸軍航空整備学校・立川陸軍航空整備学校・陸軍航空通信学校等 - 第二次大戦末期に航士校・少飛校を除き軍隊化

  • 特務機関

元帥府・軍事参議院・侍従武官府・東宮武官・皇族王公族附武官・陸軍将校生徒試験委員

  • 特務機関に準ずるもの

委託学生・外国留学生・大公使館附武官等


兵科・兵種編集

明治7年11月8日に改定された陸軍武官表では、兵科区分は次の8種のものが置かれており、大正14年には航空技術進展に伴い、「航空兵科」が追加された。

  • 参謀科
  • 要塞参謀科
  • 憲兵科
  • 歩兵科
  • 騎兵科
  • 砲兵科
  • 工兵科
  • 輜重兵科
  • 航空兵科

さらにかつては、兵がその特技によって分類された区分である「兵種」が存在した(後述を参照)。



階級(昭和19年 - 廃止時)編集

階級
各部 技術部経理部衛生部 獣医部 軍楽部法務部
兵種 主計建技軍医薬剤歯科医衛生獣医獣医務 法務法事務
将官
元帥大将元帥陸軍大将(名誉職)
大将陸軍大将
中将陸軍中将陸軍技術中将 陸軍主計中将陸軍建技中将陸軍軍医中将陸軍薬剤中将陸軍歯科医中将陸軍獣医中将 陸軍法務中将
少将陸軍少将陸軍技術少将陸軍主計少将陸軍建技少将陸軍軍医少将陸軍薬剤少将陸軍歯科医少将陸軍獣医少佐 陸軍法務少将
佐官 憲兵
大佐陸軍大佐陸軍憲兵大佐陸軍技術大佐陸軍主計大佐陸軍建技大佐陸軍軍医大佐陸軍薬剤大佐陸軍歯科医大佐陸軍獣医大佐 陸軍法務大佐
中佐陸軍中佐陸軍憲兵中佐 陸軍技術中佐陸軍主計中佐陸軍建技中佐陸軍軍医中佐陸軍薬剤中佐陸軍歯科医中佐陸軍獣医中佐 陸軍法務中佐
少佐陸軍少佐陸軍憲兵少佐 陸軍技術少佐陸軍主計少佐陸軍建技少佐陸軍軍医少佐陸軍薬剤少佐陸軍歯科医少佐陸軍衛生少佐陸軍獣医少佐陸軍獣医務少佐陸軍軍楽少佐陸軍法務少佐陸軍法事務少佐
準士官
大尉陸軍大尉陸軍憲兵大尉 陸軍技術大尉陸軍主計大尉陸軍建技大尉陸軍軍医大尉陸軍薬剤大尉陸軍歯科医大尉陸軍衛生大尉陸軍獣医大尉陸軍獣医務大尉陸軍軍楽大尉陸軍法務大尉 陸軍法事務大尉
中尉陸軍中尉陸軍憲兵中尉 陸軍技術中尉陸軍主計中尉陸軍建技中尉陸軍軍医中尉陸軍薬剤中尉陸軍歯科医中尉陸軍衛生中尉陸軍獣医中尉陸軍獣医務中尉陸軍軍楽中尉陸軍法務中尉陸軍法事務中尉
少尉陸軍少尉陸軍憲兵少尉 陸軍技術少尉陸軍主計少尉陸軍建技少尉陸軍軍医少尉陸軍薬剤少尉陸軍歯科医少尉陸軍衛生少尉陸軍獣医少尉陸軍獣医務少尉陸軍軍楽少尉陸軍法務少尉 陸軍法事務少尉
準士官
准尉陸軍准尉陸軍憲兵准尉 陸軍技術准尉陸軍主計准尉陸軍建技准尉陸軍衛生准尉陸軍獣医務准尉陸軍軍楽准尉陸軍法事務准尉
下士官
曹長陸軍曹長陸軍憲兵曹長 陸軍技術曹長陸軍主計曹長陸軍建技曹長陸軍衛生曹長陸軍獣医務曹長陸軍軍楽曹長陸軍法事務曹長
軍曹陸軍軍曹陸軍憲兵軍曹 陸軍技術軍曹陸軍主計軍曹陸軍建技軍曹陸軍衛生軍曹陸軍獣医務軍曹陸軍軍楽軍曹陸軍法事務軍曹
伍長陸軍伍長陸軍憲兵伍長陸軍技術伍長陸軍主計伍長陸軍建技伍長陸軍衛生伍長陸軍獣医務伍長陸軍軍楽伍長陸軍法事務伍長
兵長陸軍兵長陸軍憲兵兵長 陸軍技術兵長陸軍衛生兵長陸軍軍楽兵長陸軍法事務兵長
上等兵陸軍上等兵陸軍憲兵上等兵陸軍技術上等兵
陸軍衛生上等兵陸軍軍楽上等兵陸軍法事務上等兵
1等兵陸軍1等兵陸軍技術1等兵陸軍衛生1等兵
2等兵陸軍2等兵陸軍技術2等兵陸軍衛生2等兵

関連タグ編集

日本陸軍 青年将校 軍服

日本軍 大本営 憲兵 大日本帝国海軍

明治三十八年制戦時服/明治三十九年制四五式軍衣昭五式軍衣九八式軍衣

四五式

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