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概要編集

大日本帝国陸軍の軍人であり、最終階級は少佐。

日本軍では第55歩兵師団に所属し、ビルマ戦線に従軍した。

終戦後は祖国に戻らず、ベトナム独立のために現地ベトナム人たちに協力し、ベトナム独立戦争(インドシナ戦争)に参戦し戦い、ベトナム正規軍(後のベトナム人民軍)の教官を行った。

また、ベトナム軍の英雄であるグエン・ソン(ヴォー・グエン・ザップ)将軍の軍政顧問も行っていた。

その頃はベトナム人名の「チャン・チ・ズン(陳志勇)」を名乗っていたという。


経歴編集

日本軍時代編集

広島県福山市生まれで、その後は大阪府の今宮中学に通い、陸軍予科士官学校を経て陸軍士官学校に入学し卒業したエリートであり、卒業と同年に騎兵少尉に任官、騎兵第11連隊の留守隊に付属した。

その翌年に中尉に昇進し、歩兵第55師団の配下である騎兵第55連隊の中隊長に就任。第二次世界大戦ではビルマ戦線に従軍し戦った。戦時中に第55師団参謀部の付属将校となる。


ベトナム独立戦争に参加編集

終戦後、石井少佐は帰国を拒み、第55師団の有志たちと共に、現地のベトナム人たちと協力し、ベトナム独立戦争に参戦することを決め、そのことを師団司令部に報告したところ、司令部はそれを了解し送別会を開いて彼らを送りだした。

その後、ベトナム各地でベトナム人たちに匿われていた日本軍兵士たちから志願兵を集め、その一方で、他国における独立戦争に加わるのは職業軍人の任務であるとして(例外もあるが)、祖国日本に家族を残している召集兵たちには帰国するよう説得を行ったという。


教官時代編集

そうして兵士を集めた後に、石井少佐はベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学トイホア陸軍中学で教官を務め、ベトナム軍の南部総司令部顧問として、現地のベトナム人たちに日本式ゲリラ戦術を伝授し、陸軍中学に続いて設立されたクァンガイ軍政学校でも教官に就任し、日本軍兵補出身者を含む、実戦経験を持つベトミンの小中級の幹部たちに軍事指導を行った。


そうして彼らを訓練しながら、自身も実戦経験の浅い彼らを先導し、共にフランス軍と戦った。

そうした戦いの中で、ベトナム南部においてフランス軍と交戦中、敵の仕掛けた地雷によって戦死したとされている。


逸話編集

彼は「敗北の帰還兵となるよりも同志と共に越南独立同盟軍に身を投じ、喜んで大東亜建設の礎石たらんとす」という言葉を残し、ベトナム独立のためにその命を捧げる決意をしていたという。

石井少佐は死後に、日本ベトナムの双方のために戦った英霊として、現在も靖国神社に祀られている。


関連タグ編集

日本軍 大日本帝国陸軍

ベトナム人民軍 ベトミン

ベトナム民主共和国

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